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4巻
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しおりを挟む1 ドラゴンのいる生活
ドラゴン。この世界において、龍種と呼ばれ畏敬の念を持って接せられる、高位生命体。
巨大な体躯と大きな翼を持ち、膨大な量の魔力を宿している。知能も高く、その存在は時として災害として扱われるほどだ。神と同格と認められる数少ない種族であり、国に守護神として迎えられた個体もいる。
天空を支配し、大地を蹂躙し、天候すら操ってみせるその能力を、過去幾度となく時の支配者が欲したが、実際にその力を手に入れられた者はごくわずかである。
「っと、まぁ。この龍種の存在が、先の大戦での戦況に大きく影響したわけだ。そもそも龍種は、龍の谷と呼ばれる聖域に棲息していて、古来アキタリア皇国の皇族が龍種との契約を……」
教師の淡々とした説明の声を、リザードマンのリュカはあんぐりと口を開けて聞いていた。
教室の前の黒板には歴史学教師により不格好なドラゴンの絵が描かれていて、その口からは炎のような落書きが飛び出している。
「ドラゴン……」
尻尾をぶんぶんと振りながら、リュカは自分の角に触れてみた。硬くて先は尖っているが、羊のように丸く曲がっている自分の角に、リュカは不満気に唇を尖らせる。
きらきらとした瞳で、リュカは黒板に描かれたドラゴンを見つめるのだった。
◆ ◆
学校の休み時間、リュカはクラスメイトのレティとシャロンに早速ドラゴンのことを聞いてみた。
「ドラゴン? 龍種のことか。うーん、うちは見たことないなぁ。シャロンならあるんやないか?」
「そうですわね。わたくしは何度かお会いしたことありますわよ。紳士的な方々ですわ」
特徴的な一つ目が、にこりと笑う。シャロンは柔和な表情を浮かべたまま、薄青い肌の手で頭の一本角をちょんと触った。
シャロンはオスーディアの貴族の中でも屈指の名門、ロプス家の令嬢だ。龍種との面会を世間話のように話す級友に、リュカは感嘆の声を漏らした。
「うわぁ、いいなぁ。リュカもドラゴンさん見てみたい」
図書室から借りた龍種の図鑑を胸に抱きながら、リュカは興奮して鼻の穴を広げた。
ふんふんと身を乗り出すリュカに、シャロンがあらあらと口元を緩める。
「リュカさんはリザードマンですものね。近しいと言えば近しいですわ」
「ほんとっ!? ならリュカもドラゴンになれるッ?」
シャロンの言葉に、リュカが顔を輝かせた。そんなリュカの瞳を見て、シャロンとレティが顔を見合わせる。そして、我慢できずに噴き出した。
「ぷっ、あははっ! そら無理やでリュカ。種族的に近いって言っても、別の種族なんやから」
「くふふ、だ、駄目ですわよレティ。そんなに笑っては。……ふふ」
笑う二人に、リュカがむぅと頬を膨らます。リュカとて分かってはいたが、こう面と向かって笑われると馬鹿にされたようで面白くない。
そんなリュカの心情を察してか、シャロンが涙を拭いながら説明をした。
「そもそもリュカさん、龍種とわたくしたちとでは種としての立ち位置が全く違いますわ」
「立ち位置?」
首を傾げるリュカに、シャロンがこくりと頷く。
「わたくしたち亜人や獣人と違って、龍種は完全な純血統種族です。わたくしたちと同じ言葉を話しますが、存在自体はむしろ土地神などの高位生命体に近いですわ。実際、龍種が土地神という地域も珍しくないですし」
シャロンの言葉を聞き、リュカは身近に純血統種族の知り合いなんていただろうかと、思い巡らす。レティは河童の亜人、シャロンはサイクロプスという魔族、そしてリュカはリザードマンだ。
「土地神っていうと、獅子神さまかー。うーん、それなら仕方ないかぁ。……あっ、でも、ヒョウカだって……」
言いながら、リュカはしょんぼりと肩を落とす。
しかし、ふとリュカの口から漏れた呟きに、今度はシャロンが首を傾げた。
「ヒョウカちゃんがどうかしましたか?」
「あっ。な、何でもないよっ! 何でもっ!」
慌ててリュカが口を押さえる。スノーゴーレムとしてねこのしっぽ亭で暮らすヒョウカが土地神であることは、ねこのしっぽ亭の住人だけの秘密だ。危ない危ないと、リュカは口笛を吹きながらそっぽを向いた。
不思議そうに頬に手を当てているシャロンも、特に突っ込む話ではないかと思って眉毛に触る。
二人のやりとりをぼおっと聞いていたレティが、話を変えようとして口を開いた。
「そういえば、メオさん痩せたんやって? よかったやん。てか、ほんまに痩せられるもんなんやな」
ねこのしっぽ亭の店長メオが、マスターの恭一郎の作った料理と蟲蜜が原因で丸々と太ってしまっていたことは、レティやシャロンも聞いていた。しかしダイエットの甲斐あってか、最近はほぼ元通りの体形になったらしい。そのことを、レティは興味深げに口にする。
「ええなぁ。うちもダイエットやっけ? してみよかなぁ」
恭一郎の顔を思い浮かべながら、レティは暑さを和らげるため頭の皿に水をかけた。気温ですっかり温くなった水が、それでも火照った皿の表面を冷やし、潤していってくれる。
暑くてたまらず胸元を全開にしているレティに、シャロンははしたないと目を細めた。しかし注意をするのは諦め、シャロンは懐から手鏡を取り出す。
「でも別に、恭一郎さんは気にしてないみたいでしたけどね」
シャロンが、一つ目の睫を手鏡で確認しながらレティの声に反応する。ああこれが原因かと、目の痛みの元になっていた睫を慎重に摘んだ。
「しかし、ええよなぁリュカもシャロンも。リュカはともかく、シャロンなんていつの間にかキョウイチローさん誑かして」
「ちょっと、誑かしたなんて人聞きの悪い。あくまで仕事上の引き抜きですわよ」
拗ねたように唇を尖らすレティに、シャロンが少し声を上げる。
恭一郎は、潰れかけたしっぽ亭を再建したり、これまで見たこともないサービスや営業スタイルを取り入れたりして、何かとこの街で注目されていた。シャロンはその手腕を高く買い、自身の経営するホテルグランドシャロンのフロアチーフとして、恭一郎を迎えたのである。
行動が早い友人に、レティはへいへいと空返事をして、腕を組んで考え込んだ。
「あんたらさぁ。……うちがキョウイチローさんと付き合える確率って、どれくらいやと思う?」
「あり得ません。万に一つも。可能性なんてないですわね」
「キョーにいちゃんは、リュカと結婚するからなー」
親友二人にばっさり切られ、うぐぐぐとレティは頭を垂れる。分かってはいるが、少しくらい応援してくれてもいいじゃないかと思いつつ、薄情な友人たちをレティは睨んだ。
「貴女が恭一郎さんに好意を抱いてるのは知ってます。けれど、他の女性の殿方に手を出すのは感心しませんわ」
「そうだぞー。リュカのキョーにいちゃんなんだからなー」
シャロンの言葉に、レティは痛いところを突かれたと口を閉じる。レティとて、恭一郎の心がどこに向いているのかくらい分かっているつもりだ。しっぽ亭に長いこと宿泊し続けている戦場の乳神ならともかく、ただの小娘の自分に可能性はないだろう。
しかし、そう簡単に割り切れたら乙女は恋なんてしない。レティはそう思いながら机の上に突っ伏した。
「……ところで。あんたらは、彼氏とかいないよな?」
顔を伏せたまま、机との隙間からレティの声が漏れてくる。何を言ってるんだというように、シャロンが一つしかない目を蔑みの形に細めた。
「当たり前でしょう。何を言い出すんですか貴女は?」
シャロンも、オスーディア四大貴族であるロプス家の令嬢だ。庶民のように自由な恋愛などできないことは、目の前の河童娘も知っているはずである。だからシャロンは、少々苛立った口調で質問を返してしまった。
「リュカは、キョーにいちゃんと結婚するからなー」
そんなシャロンに合わせるように、リュカもぎゃうぎゃうと頷いた。
二人の視線がレティに突き刺さり、そしてレティがゆっくりと顔を上げる。
「……つまり二人とも、既に結婚する相手が決まっているから、彼氏は無理やと?」
ぼそっと、レティが呟きを漏らす。そのレティの声に薄ら寒いものを感じて、シャロンが目を歪ませた。
「わたくしは決まっていませんが。まあ、自分で選べないという点では同じですわ。……それがどうかしましたか?」
シャロンの返答に、レティの目がすっと細くなる。付き合いの長いシャロンは、ああ、よからぬことを言い出すぞと察し、レティの次の発言に身構えた。
「うちだってそうや。シャロンほどでないにしろ、うちも堅い家やしな。……やけどや。何で彼氏を勝手に作ったらあかんねん。結婚相手は、どうせ親に決められるんや。やったら、学生時代に好きな男と付き合うくらいええやないか」
案の定、とんでもないことを言いだした。シャロンにはレティの言わんとすることも分かるが、それは到底許されることではない。
「あ、貴女ね。無理に決まってるでしょう。子供ができたりしたら、親にどう説明するつもりですの」
「うわー。付き合うイコール子作りって。シャロン、発想が不潔やわー。純情ですって顔して、中身は助平なんやからー。とんだ淫乱貴族様やね」
つい口にしたことをレティにからかわれ、シャロンの顔が真っ赤に燃える。一瞬で一本角の先まで赤く染まり、慌ててレティにがたりと詰め寄った。
「いいい、淫乱って。あ、貴女!! 言っていいことと悪いことがありますわよ!!」
「おーおー、図星突かれて慌てるなんて。心当たりあったんちゃうかぁ?」
むきーと、シャロンがレティに食ってかかる。先ほどのことを根に持っているのか、レティも挑発をやめない。
しかし、リュカはこの二人の喧嘩など慣れたもので、騒ぎをよそにレティの話をうーんと考えていた。
「……こどもって、結婚したらもらえるんじゃないの?」
ぴたりと、リュカの一言に二人の動きが止まる。そして、ぎぎぎと、首をリュカのほうに向け直した。シャロンとレティは一度お互いに顔を見つめ合わせた後、こほんと咳払いして各々の席に戻っていく。
「そ、そうですわよ。わたくしとしたことが、とんだ勘違いを」
「もう、シャロンてば慌てんぼさんやわぁ。結婚もしてないのに、子供ができるわけないやんかぁ」
にっこり笑い合う二人に、リュカが納得がいかないように眉を寄せる。
「でも、みんな『子作り』って。……どんな材料で作るの?」
不思議に思い、リュカが二人をじぃと見つめる。長年の疑問だが、大人は誰も答えてくれないのだ。ヒョウカにまで「……ヒョウカ。シラナイ」とはぐらかされてしまった。
リュカも自分が頭がいいのは理解している。しかし、自分がどう頑張っても赤ちゃんを作るなんてできそうにない。そんなことを、世の中のお母さんは全員やっているのだろうか。
尽きない疑問を、親友であり年長である二人にぶつけてみたのだ。
「そ、それは。その。……実は、うちもよく知らへんねん」
「わたくしも、実は。ほ、ほら! やったことありませんし!!」
嘘は言ってない、分かってるなと二人はお互いに視線を送り合う。
リュカは何か怪しいと思いながらも、大人にならないと分からないのかもしれないと追及を諦めた。二人も知らないのだ、そう事を急ぐ必要もないだろう。
リュカの興味が収まっていくのを感じて、レティとシャロンはほっと息をついた。そして、レティが思い出したように少し前の話題に戻す。
「ま、まあ。うちらだって、可愛い服着て彼氏とデートするくらいはいいんやないかという話や。……うちも、キョウイチローさんに手ぇ握られたいわ」
「貴女、まだ言ってますの? あ、あれは事故みたいなものです。ノーカンですわノーカン」
シャロンが、あの日の握手を思い出して頬を染める。自分では割り切ってるつもりだが、レティが事あるごとに蒸し返してくるので、その度に無駄に鼓動を刻んでしまうのだ。
「ふふ、まあそこでや。提案があるんやけど、今日学校の帰りに服買いに行かへんか? お薦めの店があるねん」
「服ぅ? 別に構いませんけど、何でまた」
自分で服など買いに行ったことがないお嬢様は、ちらりとリュカの方を見やった。リュカの分は自分が出せばいいかと思い、レティの話に耳を戻す。
「それが、アラン工房って店があってな……」
突然出てきたよく聞く名前に、リュカがぎゃうとレティに顔を向けた。何やら大人の階段を上れそうだぞと、リュカは期待を込めてお姉さんの話に耳を傾けるのだった。
◆ ◆
「キョーにいちゃんおはよー。学校行ってくるね!」
オスーディアの地方都市の中では大きな街、エルダニア。その街にあるねこのしっぽ亭は、今日も清々しい朝を迎えていた。
「おはようリュカちゃん。いつも早いねーって、ええっ!?」
目が覚めて階段を下りてきた佐藤恭一郎は、いつも通りに学校へと駆けていくリュカを見送った。日本からこの異世界に来て、もう何度も見ている光景だ。子供の朝は意外と早いよなぁと、普段と同じ気持ちでリュカの後ろ姿を眺める。
その瞬間、とんでもないことに気がついた。
「りゅ、リュカちゃん! ちょ、ちょっと待って! どうしたのその格好!」
リュカの尻尾が、ふりふりと揺れている。それはいい、いつも通りだ。
しかし、リュカの脚がちらちらと朝の日差しに照らされていた。尻尾が動く度に、揺れる布地からすべすべとした太股が覗いている。
リュカの腰には、ミニスカートが穿かれていた。
質のよい、プリーツスカート。赤を基調に、白とワインレッドのストライプ。日本の女子高生の制服のようだ。
それがこの世界にあること自体は、別に不思議ではない。何せ、あの今季の目玉商品は、恭一郎がデザインしたものなのだから。
「どうしたのって、買ったんだよー。アランさんの店で」
恭一郎が狼狽している意味が分からず、リュカが首を傾げる。リュカの身体を眺めて、恭一郎はたまらず声を上げた。
「め、メオさん! ちょっと、メオさーん!!」
何となく、自分じゃダメな気がしたのだ。
「……何か、問題あるんですか?」
「だ、だって! あんな短いスカート! 脚が丸見えじゃないですか!」
メオとリュカの二人から、じとーっと視線を送られ、恭一郎は不安になりながらも声を荒らげた。
「最近流行ってるんだー。みんな穿いてるよ」
さすがキョーにいちゃんの商品だぜと、リュカはにぱーと笑顔を作る。
そんなことは、恭一郎も当然知っている。今では、アランの店に限らず至る所で大人気だ。品質はピンからキリまでだが、それはお客さんが自分のお財布事情に合ったものを選べるようになっているということであり、流行りものであることの証明だろう。
だが、今はそういう問題ではない。
「み、みんなって! クラスの誰かが穿いてたとかでしょう? ……レティちゃんとシャロンちゃんに聞いてみな? まだ学生には早いって言うと思うよ」
「でも、レティとシャロンと一緒に買いに行ったんだよ?」
ちゃんとパンツも買ったから大丈夫だよと言って、リュカはふりふりと尻尾を動かして見せた。
さすがはアランだ。尻尾がついている種族用のスカートなのだろう。ぎりぎりで見えないようになっている。しかし、本当にぎりぎりだ。
「じゃあ、学校行ってくるね。遅刻しちゃう」
「ま、待ちなさい!! 俺はまだそれで学校に行っていいとは言ってないぞ!!」
引き留める恭一郎に、リュカが鬱陶しそうに振り返る。そのまま、目を細めて恭一郎に視線を送った。
お前が作った商品ちゃうんかい、と。そう言いたげな抗議の瞳だ。
「と、とにかく! ミニスカートで学校に行っちゃだめ!」
一向に譲らない恭一郎に、リュカが、はぁとため息をつく。そして、成り行きを見守っていたメオの方に身体を向けた。
「メオねーちゃんも、だめだと思う?」
「いえ、私は別に。可愛いし、いいんじゃないでしょうか。着たい服は着れるときに着るべきです」
最近ダイエットを成功させたメオは、リュカの味方だ。「可愛いのがかえって問題なんです」と言いかけて、恭一郎はうぐぐぐと声を詰まらせた。
リュカのことを想って言っているのに、このアウェー感。何故なんだと納得できないまま、恭一郎は悔しさを堪えて口を閉ざす。
「じゃあ、店長が了承したってことで。いってきまーす」
「あ、ちょっと!」
そうこうしているうちに、リュカがついーと出て行ってしまった。もう、恭一郎の制止の言葉を聞く耳は持っていない。恭一郎は肩を落として、リュカの揺れるスカートを見送った。
「……これが、反抗期ってやつか」
「いえ、違うと思います」
メオが、崩れ落ちる恭一郎に冷静に突っ込む。
「いやあ、ついオマケしてしまった。恭一郎さん、びっくりするぞう」
数日後、恭一郎に詰め寄られるとも知らずに、羊頭の服飾屋は、しははと笑っていた。
2 妹竜さまは思春期
ドラゴンは古来人々が畏れ、敬ってきた存在である。
高位種とは名ばかりではない。圧倒的な魔力は、オスーディアが誇る上級魔導師すら軽く凌駕し、爪と牙によって鉄の盾をも易々と切り裂くという。
そんな高位種に直面した者の反応は、決まってこうなるのではないだろうか。
「でっけぇ……」
恭一郎は、目の前の光景を端的に表した。思わず漏れた呟きが、夏の空気に溶け込んでいく。
「にゃわ、わわわわわわわっ」
隣でメオが、がくがくとその身を震わせていた。視線を自分の店の屋上に向け、慌てるのを通り越して、ただただ振動を地面に伝えている。顔はもうすでに涙が少し溢れていて、どうすればいいのか分からずパニックになりかけていた。
「どどど、どうして。わわわ、私のお店に……」
ふるふると、メオが腕を持ち上げる。指でそれを指し示そうとしたが、一瞬考えてさすがにまずいかもと思い直し、腕を下ろした。ぱくぱくと口を開閉させて、懇願するように恭一郎を振り返る。
「お、俺に言われても。……これ、やばいですかね?」
恭一郎の視線の先、しっぽ亭の屋上には、巨大な赤い影がうずくまっていた。
屋上を覆い隠すほどの体躯、店からはみ出すほどの翼と尻尾。
紛うことなき、ドラゴンである。
「ぐるるるる……」
居心地が良さそうに目を瞑る赤龍は、周りの視線など気にならないというように寝息を立てている。時折、寝返りのようなものだろうか、尻尾がずうんと動き、その度に屋上の縁が音を立てて削れていた。
「ど、どうすればいいんですか!? どうすればいいんですか!?」
メオが、取り乱して尻尾を揺らす。
そんなことを言われても、恭一郎にだって全く見当もつかない。しっぽ亭の周りには人だかりができ、中には慌てて逃げ出す人もちらほら見受けられた。
「うおっ、なんだいこりゃ」
騒ぎを聞いて外に出てきたアイジャの声に、恭一郎は安堵した。自分ではお手上げですと言って、おそらくこの街で一番の専門家に託す。
アイジャは、このオスーディアと隣国のアキタリア皇国との間にかつて起こった大戦で活躍した、エルフの魔法使いだ。実力だけでなく、知識も豊富な彼女なら、今の状況を何とかできるかもしれない。
「これ、ドラゴンですよね?」
恭一郎の問いかけに、アイジャは頷く。
「まだ若いけど、間違いなく龍種だね。何でまたこんな街中に」
赤い鱗。堂々たる角。どこからどう見ても普通の生き物ではない。暴れだしでもしたら、被害はしっぽ亭だけではすまないだろう。
心配そうな恭一郎の顔を見て、アイジャが真剣な顔つきで眉をひそめた。
「弱ったね。話が通じればいいが、そうじゃなかったらあたし一人じゃ荷が重いよ」
「え? ドラゴンって、アイジャさんより強いんですか!?」
そんな生き物、もうどうしようもない。恭一郎は絶望の表情で屋上を見上げる。
「あほたれ。こんな若造一匹なら、指先一つでバチンって終わるさね。問題は、その後のことだよ」
アイジャが困り顔で龍を見つめる。どうしたもんかと、前髪をくるくるといじった。
アイジャによると、龍種の仲間意識は相当なものらしい。今ここでこの龍を殺さないにしろ、手荒く追い払えば、まず間違いなく龍の巣から大量にドラゴンがやって来て、この街を襲うという話だ。
なんてはた迷惑な話なんだと、恭一郎は頭を抱えた。
「大人の龍の群が来るとなると、あたしといえども被害をゼロにするってわけにもいかないね。まあ、知能も高いしプライドも高いが、それだけ品のある生き物さね。話して分かってくれるといいんだが……」
アイジャはそう言っているが、恭一郎としては心配が募るばかりだ。エルダニアの街を戦場にするわけにはいかない。
アイジャが思案顔で屋上を睨み、そうこうしているうちに、むにゃむにゃと赤龍がその瞳を開けた。
「……んぅ? なんだ主等は。揃いも揃って、余の眠りの邪魔をしおって」
どうやら人だかりが五月蠅かったようで、龍が不機嫌そうに立ち上がり、恭一郎達を見下ろした。
恭一郎は雲行きが怪しくなってきたことを感じ、じりじりとメオの前に移動する。
「すまなかったねぇ。あまりにあんたが偉大なもんで。皆、あんたに見惚れてたのさ」
「なんだお前は。……エルフか?」
アイジャが、ここは自分の仕事だろうと一歩前に出た。
アイジャの身に宿る魔力の強大さに、赤龍もわずかに興味を示す。通常ではあり得ない程のアイジャの魔力量を感知して、赤龍はほんのりと眉を寄せた。
「ここはこの子の店でね。ちょいと、どいてもらえると助かるんだが」
「それはできん。余はこの場所が気に入った。下で店でも何でも勝手にするのは結構だが、ここはすでに余の縄張りだ」
龍の言葉を聞き、アイジャの口元が歪む。
最悪の事態だということが、アイジャの背中から恭一郎にも伝わってきた。
要は、このドラゴンは巣作りにエルダニアまでやってきたのだ。変わり者なのか、何の因果か、ねこのしっぽ亭の屋上を巣の場所として選んだらしい。街に巣を作るドラゴンなんて、アイジャですら聞いたことがなかった。
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