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第十四話

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 鳥の鳴き声で目が覚めた。窓から入る日差しが心地よい、気持ちのいい朝だ。
 私はうーんと伸びをしながら起き上がり

『気分はどうだ?』

 横からかけられた声に驚いて、ベッドの上でバウンドした。

「ぬぁっ!」

 人の姿のリリョスさんが横に立っていた。

 なんで部屋の中に?

 私は、周りを見渡して、ようやく異変に気付いた。

 ここはどこ? ここは異世界……だけど……でもどこ?

『もう昼だ。具合は?』

 疑問に思いながら、話しかけてくる彼の方を見た私は、目をぱちくりさせてしまった。

 なんというか。なんというか……この人誰? とか考えてしまったからだ。

 いやまあ……リリョスさんに間違いないけれど。でも……。

 今までになく優しい表情のリリョスさんは、声色も穏やかで、まるで別人というか、ときどき笑ってくれるあの感じとも、何か違っていた。

「ここどこっ……じゃなくてえっと」

『んん?』

 ベッドの端に腰かけて、首を傾げるリリョスさんの仕草があれで、どうにも直視できない。もしかしたら、いつもと違う恰好だからだろうか。鎖骨が見える首元の広いシャツと麻っぽい七分丈のパンツというラフさが、別人感を醸し出しているのか。

 私はひとまず彼から目をそらして、もう一度部屋の中を見た。
 清潔感のある綺麗な藁の壁と床。いつも寝泊りしている小屋よりも広いが、私の乗っている藁のベッドが一つと灯篭一つ以外は何もなくて、生活感があまりない。窓の外には生垣があって、その向こうには晴れ渡る空が見えた。

 女子寮じゃないし……まったくどこだか想像つかない。

『ここ……家……ん?』

 私は、察しのよい彼なら、語尾に疑問符を付けただけでもわかってくれると踏んで、窓の外を見たまま聞いてみた。

『俺の家だ』

『俺……家』

 『俺』 はリリョスさんのことで 『家』 は住む場所。
 つまりここは、リリョスさんの家…………。

『リリョス家……』

 つぶやいたら

『そう。正解だ』

 頭をなでられた。
 私は、ビクンっとまたベッドをバウンドして、かけられていた布団を顔まで引き上げた。
 前もそうだが、決して嫌じゃない……嫌じゃないけれど恥ずかしい。

 私は、落ち着かない中、なぜ自分がここに居るのか、昨日どこで寝たのかを思い出す方に専念した。

 えっと、昨日……昨日は、うさ耳さんが来て……嵐が来るって言われて……それから……それから……夜中。

 背中に受けた爆音を思い出し、ゾっと背筋が伸びた。

 昨日、嵐で……家が……いや……夜中……誰かが庭に来て、柱を…………折った。小屋から伸びた縄を暗闇の中で引く人たちを……私は見た。

 布団をつかむ両手が震えだした。

 あれは……なんだったの? 私がまだ中に居るのを知りながらやったの……?

 悪口や無視や仲間はずれなんかとは違う。初めて感じる殺意に、胸の奥が冷たくなった。

 でも……そんなことされる覚えは……いや……でも言葉わからないし、もしかしたら取り壊し予定だったのに、手違いであそこに住まわせてたとか……でも……でもやっぱりよくわからない。

 私は、ゴクリと唾を飲み込んで、リリョスさんを見た。

『私……嵐……家……?』

 彼ならば、きちんと何が起きたのか教えてくれるはずだ。丁寧に家系図まで書いてハミグと自分の関係を教えてくれたりもしたし。

 怖いから本当は聞きたくないけれど、聞かずにいるのはもっと怖い。

 小さく覚悟して、全身に力を入れたら

 フワっと良い香りに包まれた。

『ここに居ればいい。ここは…………安全だ』

 白檀に似た香りと耳の奥を撫でるような甘い声。眼前には彼の首筋。

 ふっと離れていくその温もりは、私に嵐の中での出来事を鮮明に思い出させてくれたのだが、もうなんだかいろいろな意味で許容量オーバーで、質問する気力が消えた。

 私の軽率な片言が、彼のポテンシャルをどんどん引き出しているのか、それともこれは子ども扱いなのか。

 あんな目にあったから気を遣ってくれている?

『シャワー浴びて着替えたほうがいい。こんなのしかないが』

 私は、ぐるぐる考えごとをしながら、渡されたシャツを持って彼のあとに続き、小屋にあったのより大きなシャワー室に入り、そこでもまだ考え続けて……。

『シャワーあげる』

 彼の言葉で、カァーっと顔が熱くなった。

 わかるように言ってくれているのかもしれないけど、まだまだ整理しきれていない記憶を、こんなときに引きずり出すのはやめて欲しい。

『外っ!』

 私は、俯いて、ドアを指さし、彼に出て行くよう言った。
 すると、下からのぞき込まれ、一言。

『わかった』

 わかってないぃいいいい!! さっきから全然わかってくれないぃぃぃ!!

 心の中で叫びながら、シャワーを浴びた私は、置いてくれていた手ぬぐいで体を拭き、貰ったシャツを着て。たぶん彼のシャツなのだろう、ぶかぶかで膝まであるからワンピースと言えなくもないが……これはあれだ。彼シャツというやつ……ん? あれは彼氏のシャツってことだよね。
ってことは……。

 誰得だよこれーーーー!!

 気持ちの整理が出来ないままでも恐怖心からは抜けることが出来た。

 おかげで少し落ち着いた私は、女子寮に居たころ食べていような朝食を、二人用の小さな机と椅子が二つしか置いていない台所で食べさせて貰い。

 そのあと、なぜか家の中を案内してもらった。

 お手洗いとシャワーと台所と居間と部屋が五つ。一つは彼の部屋で、もう一つはさっき私が寝ていた部屋、あとは書斎もあって、残りの二つは物置らしく、鍵がかかっていた。

 失礼かもしれないが、どこもかも簡素で見どころはなく、お家見学は一瞬で終わった。

 とすると……私はそろそろ帰ったほうがいいのだろうか。

 どこに……。

 ハミグと二人で直した家も……フラミアさんに貰ったものもぺったんこになってしまった。
 着物の懐に入れたはずの絵と瓶もどさくさで無くしたようだし。

 改めて考えると、異世界に来て史上一番最悪な状態ではないだろうか。

 我が家が懐かしい。

 できれば転校前の家に戻りたい。引っ越してからどれくらいたっただろうか。転校して二か月程度。ここへ来て……四か月ぐらい。あまりちゃんと数えてはいないけれど。

 一体いつまで続くのか……なんて考えたら膝を折って泣きわめきたくなるので、私はもう、必死で切り替えた。
 ぐっすり眠って、シャワーですっきりして、ご飯まで貰えたから、なんとか出来た。

 怖いけれど、小屋跡に行って出来るだけ荷物を救出して、フラミアさんを探して、住み込みの仕事を紹介してもらえるよう頼むしかない。

 何はともあれ、生きていて良かった。リリョスさんのおかげで助かった。

 これ以上気を遣わせないようにしなければ。

『リリョス。今日、ありがとぉう。外……外』

 まずは出口を案内して貰って、それからお別れの言葉を言えば、そろそろお暇しますになるだろうと、私は窓の外を指さした。

 するとリリョスさんは 『外……な』 と頷いて、玄関のドアを開け、外へ連れ出してくれた。

 結構広い庭には雑草がたくさん生えていて、正面の生垣に門がある。

 ここを出た後の道はわからないけれど、一番外側の生垣に沿って一周すれば、魚を捌いていた台所へは行けるはずだ。そこからなら、あの小屋もそう遠くない。

 タタタっと門に走り寄って鍵を外し、振り返った私は

『私。ほな帰るわ。じゃあまたね』

 リリョスさんにお辞儀して、門を開け放った。

 瞬間。

 ビュオーっと吹き上がる風にシャツが舞い上がった。

「あれ……」

 後ろから腕を掴まれ、数歩下がった私は、口を大きく開けて、目も大きく見開いた。

 門の先は……空……空しかない。

「っぶな!こっちは外への門だったんだっ」

 私はバクバク言う心臓を抑え、腕を掴んでくれた彼に 「まちがえたっ」 焦って日本語で伝えた。

『…………』

 何も言わず、私の腕を離したリリョスさんの表情は、怒ってもないし笑ってもない。無……になっていた。

 急に飛び降りようとしたと思ってるのかも。怪しい女説が彼の中で再び浮上してたらやだな。

 こうなったら どこから出ればいいですか? と聞くよりも、探した方がいいかもしれない。

 私は、じっとこっちを見ている彼に笑いかけがながら、草の生えた庭を歩いた。

「こっちかな?」

 左に門はなく、生垣の隙間からは長く伸びた樹の枝と空が見える。

「こっち?」

 左に行ったついでに家の裏に回ったが、そこにも門はなく、生垣の隙間からはやはり空しか見えない。

「じゃあこっちだ」

 右側へ行くも、門はなかった。同じように生垣の隙間を覗くと、空ではないが茶色しかなかった。
 隣の建物の色だろうか。

 私は、バックしながら、生垣の上を見上げた。

 上にも茶色いのがある。

 全貌を確かめようと、ほとんど真上を向いたその先も茶色があって、緑があって、その隙間に空がある。

 木……の幹?

 このとてつもなく大きな茶色は……建物ではなく、巨大な木の幹のようだ。大きすぎてなかなか気付けなかったが……。

 えーっと……えーっと……あっちとこっちには空が見えてて、あっちに木の幹と上の方は葉っぱで……もしかして小屋がある広いところと階層が違う? しかもここ……枝の端っこ?

 元居た場所が見えないかと、上を向いたまま後ろに下がり続けていると、ドンっと背中に何か当たった。

「っきゃ」

 振り返ると、リリョスさんが立っていて、グイっと腕を引っ張り上げられた。

 私は、躓きそうになりながら、彼の胸に額をぶつけて、顔を上げた。

『どこへ帰るつもりだ?』

 微笑んでいるリリョスさんの……目が……全然笑っていない。

『どうやって?』

 私の頬に添えられた彼の手が、ゆっくり下へ降りて首筋を撫で、腕を伝い降りて私の手を取った。

 両手を掴まれているせいではなく、動けない。動かし方がわからない。

 どうしよう。どうしよう。なにこれ? よくわからない。どういう状況?

トンっ

 彼の鼻先が私の手の甲にあたった。

 自己紹介……だ。

 突然ぐわんぐわんした混乱の中につき落とされた私の脳が、ただ一つ、知っていることを見つけて歓喜した。

『これからよろしく……フク』

 そのため、どう考えても様子のおかしいリリョスさんの、どう考えてもおかしい行動をその場で咎めたりせず。

『よっ……よ……よ……よろしこー』

 勉強の成果を発揮してしまった。
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