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第二章:領主二年目第一部
さらなる職人の追加(二)
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「本当にお恥ずかしい話で恐縮です」
「いえ、本当に大事になる前に教えていただいたので、こちらとしてもお返しできることがあるかと」
ヴァイスドルフ男爵の屋敷に来ている。アンゼルム殿は恐縮しきっているが、俺は別に恩を売るために来たわけではない。お互いの利害が一致しただけだ。
ヴァイスドルフ男爵領は昨年の夏以降、急に経営状態が悪化した。だから仕事をなくしそうな領民の一部をうちに預けることを提案してきた。家畜も付けるので、何年か面倒を見てほしいと。ちょうどその頃にヴルスト作りの話が出ていたので、話を持って行きやすかったのだろう。その結果としてバーランとジンドホルツを中心に、三〇〇人もの畜産関係者がうちに来ることになった。
三〇〇人と言えばこれまでのドラゴネットの人口の半分に相当するが、ヴァイスドルフ男爵領にはいくつか町があるので、二割にも満たない。だが大人数であることには間違いない。
この三〇〇人は強制されてうちに来たわけではなく、食肉加工の仕事を続けたい者たちと、ハーマンのように魔獣の肉を使ってヴルストを作ってみたいという者たちの両方がいるそうだ。
俺としてはヴルスト作りの技術が自領に伝わる上に領民も一時的に増える。彼らが全員帰ったとしても、それまでに元からいた領民たちにその技術が伝わればいい。そのために希望者を募ってハーマンの下で働いてもらうつもりだ。
それに三〇〇人程度増えてもまったく困らないほど土地は広い。だから育てられない家畜をまとめて購入しようと思っている。そうなればお互いに腹の探り合いなどなしに意見交換を行おうとなった。
「彼らは差別区別なしにうちの領民と同じ待遇で迎え入れます。彼らがいずれこちらに戻りたいと言えば私としても彼らの希望を受け入れます。家畜の方も、それまでに子を産むでしょうから、同じ分だけお返しします」
「ありがたい話です。父から継いだ時はそれほどは大変ではなかったのですが、年々締め付けが厳しくなってしまいまして」
よくある話だ。王都に近い場所に領地を持つ大貴族が、その先の地方に領地を持つ他の貴族を従えたいと思った場合にはどうするか。一番簡単な方法は必要な物が手に入らないようにすることだ。ヴァイスドルフ男爵の場合は小麦とジャガイモがそれだった。
アンゼルム殿の父である先代のヴァイスドルフ男爵は王都の北にあるヴェルヒェンドルフ伯爵の依頼と呼ぶべきか指示と呼ぶべきか命令と呼ぶべきか、いずれにせよ納入する食肉を増やすようにと指示された。
そのためにはより多くの家畜を飼わなければならない。家畜が多くなれば飼育に必要な人手も増える。結果として小麦やジャガイモの栽培に関わる人手が減った。
そのうち人手を減らした影響で小麦の収穫量が減り始める。食べる分は当然だが、税の分も必要になる。ヴァイスドルフ男爵が小麦を作るために食肉の納入量を減らしたいと言うと、ヴェルヒェンドルフ伯爵は安値で小麦を売るから家畜の飼育はそのまま続けるようにと言う。そしてしばらくするとさらに食肉の納入量を増やすようにと言われた。
そのようなことが繰り返され、もうヴァイスドルフ男爵領内だけで領民が食べる小麦やジャガイモが十分に作れなくなった頃、その両方の値段が急に上げられた。
もちろん小麦とジャガイモ以外にも作っているだろうが、足りなくなるのは目に見えている。他の領地から売ってもらおうにもそこまで余裕のある領地は多くはない。あってもすでに手を回されている可能性もある。「ヴァイスドルフ男爵に小麦やジャガイモを売ったらどうなるか分かるよな」と。結果として言いなりになるしかなかった。家畜の飼育をやめれば領民が飢えることになる。食肉を売り、その代わりに小麦やジャガイモを購入するという図式ができたわけだ。
これは先代のヴァイスドルフ男爵だけを責めるわけにもいかない。ヴェルヒェンドルフ伯爵に目を付けられた時点で、どのみちそうなっていただろう。断れば北へ物が届かない可能性もあった。ヴァイスドルフ男爵のお抱え商人だけが盗賊に狙われることもあり得ただろう。
「小麦とジャガイモについてもできる限り早く元に戻したいと思っています」
「うちは小麦の収穫量には余裕がありますので、もし必要になればいつでも言ってください」
「すでに頼っておいて今さらかもしれませんが、小麦の様子を見つつ、無理そうなら春にライ麦を蒔きます。それも無理ならその際はお願いします」
大公派のヴェルヒェンドルフ伯爵は処分され、もう高い値段で小麦やジャガイモを買う必要はなくなったが、逆に食糧を売ってくれる相手がいなくなったことになる。小麦を持っていそうな大領地を持つ貴族はいくつも潰れた。急に大量の小麦を買い付けることは難しいので、少しずつ周りから融通してもらったようだ。
うちは小麦ならいくらでも出せるが、だからと言って無償という訳にはいかない。天候や疫病で収穫できなかったのとは違うからだ。それに無償にするのは作ってくれた農民たちに対して失礼になる。
こう言ってはいるが、アンゼルム殿は悪い人ではない。むしろ良い人だろう。少々優しすぎるところはあるが、優しくないよりも優しい方が領民としては暮らしやすいはずだ。デニス殿も含めてこの国の北部に領地を持つ者同士、協力できればいいと思っている。
アンゼルム殿は、しばらくは畑の様子を見つつ、小麦がダメそうなら春にライ麦を蒔く予定だと。その場合はうちから小麦を運ぶということに決まった。
「いえ、本当に大事になる前に教えていただいたので、こちらとしてもお返しできることがあるかと」
ヴァイスドルフ男爵の屋敷に来ている。アンゼルム殿は恐縮しきっているが、俺は別に恩を売るために来たわけではない。お互いの利害が一致しただけだ。
ヴァイスドルフ男爵領は昨年の夏以降、急に経営状態が悪化した。だから仕事をなくしそうな領民の一部をうちに預けることを提案してきた。家畜も付けるので、何年か面倒を見てほしいと。ちょうどその頃にヴルスト作りの話が出ていたので、話を持って行きやすかったのだろう。その結果としてバーランとジンドホルツを中心に、三〇〇人もの畜産関係者がうちに来ることになった。
三〇〇人と言えばこれまでのドラゴネットの人口の半分に相当するが、ヴァイスドルフ男爵領にはいくつか町があるので、二割にも満たない。だが大人数であることには間違いない。
この三〇〇人は強制されてうちに来たわけではなく、食肉加工の仕事を続けたい者たちと、ハーマンのように魔獣の肉を使ってヴルストを作ってみたいという者たちの両方がいるそうだ。
俺としてはヴルスト作りの技術が自領に伝わる上に領民も一時的に増える。彼らが全員帰ったとしても、それまでに元からいた領民たちにその技術が伝わればいい。そのために希望者を募ってハーマンの下で働いてもらうつもりだ。
それに三〇〇人程度増えてもまったく困らないほど土地は広い。だから育てられない家畜をまとめて購入しようと思っている。そうなればお互いに腹の探り合いなどなしに意見交換を行おうとなった。
「彼らは差別区別なしにうちの領民と同じ待遇で迎え入れます。彼らがいずれこちらに戻りたいと言えば私としても彼らの希望を受け入れます。家畜の方も、それまでに子を産むでしょうから、同じ分だけお返しします」
「ありがたい話です。父から継いだ時はそれほどは大変ではなかったのですが、年々締め付けが厳しくなってしまいまして」
よくある話だ。王都に近い場所に領地を持つ大貴族が、その先の地方に領地を持つ他の貴族を従えたいと思った場合にはどうするか。一番簡単な方法は必要な物が手に入らないようにすることだ。ヴァイスドルフ男爵の場合は小麦とジャガイモがそれだった。
アンゼルム殿の父である先代のヴァイスドルフ男爵は王都の北にあるヴェルヒェンドルフ伯爵の依頼と呼ぶべきか指示と呼ぶべきか命令と呼ぶべきか、いずれにせよ納入する食肉を増やすようにと指示された。
そのためにはより多くの家畜を飼わなければならない。家畜が多くなれば飼育に必要な人手も増える。結果として小麦やジャガイモの栽培に関わる人手が減った。
そのうち人手を減らした影響で小麦の収穫量が減り始める。食べる分は当然だが、税の分も必要になる。ヴァイスドルフ男爵が小麦を作るために食肉の納入量を減らしたいと言うと、ヴェルヒェンドルフ伯爵は安値で小麦を売るから家畜の飼育はそのまま続けるようにと言う。そしてしばらくするとさらに食肉の納入量を増やすようにと言われた。
そのようなことが繰り返され、もうヴァイスドルフ男爵領内だけで領民が食べる小麦やジャガイモが十分に作れなくなった頃、その両方の値段が急に上げられた。
もちろん小麦とジャガイモ以外にも作っているだろうが、足りなくなるのは目に見えている。他の領地から売ってもらおうにもそこまで余裕のある領地は多くはない。あってもすでに手を回されている可能性もある。「ヴァイスドルフ男爵に小麦やジャガイモを売ったらどうなるか分かるよな」と。結果として言いなりになるしかなかった。家畜の飼育をやめれば領民が飢えることになる。食肉を売り、その代わりに小麦やジャガイモを購入するという図式ができたわけだ。
これは先代のヴァイスドルフ男爵だけを責めるわけにもいかない。ヴェルヒェンドルフ伯爵に目を付けられた時点で、どのみちそうなっていただろう。断れば北へ物が届かない可能性もあった。ヴァイスドルフ男爵のお抱え商人だけが盗賊に狙われることもあり得ただろう。
「小麦とジャガイモについてもできる限り早く元に戻したいと思っています」
「うちは小麦の収穫量には余裕がありますので、もし必要になればいつでも言ってください」
「すでに頼っておいて今さらかもしれませんが、小麦の様子を見つつ、無理そうなら春にライ麦を蒔きます。それも無理ならその際はお願いします」
大公派のヴェルヒェンドルフ伯爵は処分され、もう高い値段で小麦やジャガイモを買う必要はなくなったが、逆に食糧を売ってくれる相手がいなくなったことになる。小麦を持っていそうな大領地を持つ貴族はいくつも潰れた。急に大量の小麦を買い付けることは難しいので、少しずつ周りから融通してもらったようだ。
うちは小麦ならいくらでも出せるが、だからと言って無償という訳にはいかない。天候や疫病で収穫できなかったのとは違うからだ。それに無償にするのは作ってくれた農民たちに対して失礼になる。
こう言ってはいるが、アンゼルム殿は悪い人ではない。むしろ良い人だろう。少々優しすぎるところはあるが、優しくないよりも優しい方が領民としては暮らしやすいはずだ。デニス殿も含めてこの国の北部に領地を持つ者同士、協力できればいいと思っている。
アンゼルム殿は、しばらくは畑の様子を見つつ、小麦がダメそうなら春にライ麦を蒔く予定だと。その場合はうちから小麦を運ぶということに決まった。
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