銀鷲と銀の腕章

河原巽

文字の大きさ
2 / 48

2.銀の腕章、金の腕章

しおりを挟む
 カレンは布巾を持った手を止めて、声の主を仰ぎ見る。
 最初に目を引いたのは深緑の制服と銀色の刺繍が施された豪奢な腕章。更に顔を上げると短く切り揃えられたチョコレート色の髪の下で穏やかな笑みを浮かべた騎士がカレンを見下ろしていた。

「こんにちは、レグデンバー副団長。今日は皆さんとご一緒ではないのですね」

 見知った顔にカレンも頬を緩めて挨拶を返す。
 深緑の制服が示すのは第二騎士団員の身分、銀の腕章があかすのは副団長の地位。
 そこにいたのはジグランカ王国第二騎士団の副団長に就いているドノヴァ・レグデンバー。誰だと怪しむ余地もない騎士団の実力者だった。

「任務中に部下が負傷しまして。後始末に追われていたらこんな時間です」

 カレンよりも年上で騎士団の上位に籍を置いているというのにその物腰は柔らかく、引き締まった大きな身体からも威圧感はない。笑顔のときに下がる眉尻も彼の柔和な雰囲気を作る一役を買っているのかもしれない、とカレンは思った。

「医務室に運ばれたとお伺いしました」

 騎士用に多めに盛られたトレーを調理台から運んでくる。追加でパンをふたつ、皿に足した。パン食の日に決まってふたつ追加を頼まれているうちに自然と覚えてしまったのだ。

「酒に酔った男が割れた空き瓶を振り回して暴れていたそうです。止めに入った部下が足を刺されてしまいました」
「まぁ……」
「浅く切れただけで大事に至らなくて良かったですよ」

 カレンが手配した昼食を医務室で食べたであろう騎士を思って深く頷く。誰が誰と判別がつかずとも身近に接する騎士に危険が及ぶのは悲しいことだ。
 カウンターに差し出したトレーを引き寄せたレグデンバーだが、すぐにはその場を離れない。ぐるりと食堂のホールを見渡し、ある場所で視線を止めた。

「素敵ですね、あの髪飾り」

 カレンだけに聞こえる声で発した彼が藍色の瞳をふんわりと細めて見つめる先。テーブルに残された食器を片付け、天板を丹念に磨く働き者の後ろ姿がそこにあった。
 三角巾の下で淡く輝く金髪は薄紅色の髪留めで纏められている。

「ソフィアさんの髪色によく合っている」

 遠目からではよく見えないが、手に取ると小さな花形のレースが寄せて作られている髪飾り。レグデンバーの言葉通り、ソフィアにとても似合うその代物は他でもないカレンが選んで勧めたものだ。休日に二人で出掛けた際にひと目見てソフィアにぴったりだと直感した。
 その気持ちを共有するかのような褒め言葉に、カレンの胸の内がほんのりと喜びで温かくなる。

「私もそう思います」
「可愛らしいケーキのようですね」

 ふっと息を吐くように呟かれたのは強靭な肉体を持つ騎士からはかけ離れた甘い言葉。カレンに同意を求める眼差しにも甘さが滲んでいる。
 本当にその通りだ、と心の中で同意する。
 ふんわりと柔らかい金色と砂糖細工のような優しい紅色は見るだけで幸せになるお菓子のようだ。

(ソフィアだからこそ、ね)

 雑貨屋で髪飾りを見つけたあの日、ソフィアにお揃いにしないかと購入を勧められたが断ってしまった。彼女にぴたりと合致するものでもカレンには浮いてしまうように感じられたからだ。
 そんなことを思い出しているとレグデンバーが思いがけない言葉を放った。

「カレンさんもお似合いですよ」
「え?」
「葡萄色がとても似合っています」

 大柄な彼が小首を傾げて覗き込むような仕草を見せる。
 そこで合点がいく。淡色の髪飾りは断ってしまったが、それならばとソフィアが選んでくれたのが今身に着けている葡萄色の髪留めだった。
 ソフィアが光を透かしてしまうかのような金糸の髪を持つ一方、カレンはその光さえも吸い込んでしまいそうな紫黒色の髪をしている。互いに背中の半分ほどまで伸びた髪だが、ソフィアの軽やかな印象に比べるとカレンはしっとりと落ち着いていて、まるで正反対だ。

(気を遣わせてしまったかしら)

 それとも物欲しそうな顔になってしまっていたのだろうか。親友に対する賛辞は真実喜ばしいものだったのだが。
 羞恥を隠すような曖昧な微笑みで礼を述べてカレンは作業に戻ろうとした。しかし、またも別の声に呼び止められる。

「カレン、二人分頼む」

 太く力強い声に振り返ると、レグデンバーの隣にやや長めの赤毛を乱雑にかき上げる大男の姿があった。

「こんにちは、カッツェ団長。トレーはふたつのままで構いませんか?」
「あぁ、問題ない」

 カレンを一瞥して頷き返す男は深緑の制服に金の腕章を装着した第二騎士団団長のレオ・カッツェだった。レグデンバーの上司である彼もまた部下の負傷事件で食事が遅れたのかもしれない。
 調理台に向き直り、大盛りのトレーをふたつ引き寄せていると背後から男たちの話し声が聞こえてきた。

「まだ食ってなかったのか、ドノヴァ」
「今来たところですから」
「何だ、お前。パンの追加だけで足りるのか」
「団長が食べ過ぎなだけでしょう」

 上位に就く騎士の子どものようなやりとりに緩む頬を引き締めつつ、シチューを波立たせないよう慎重な手つきでトレーをカウンターに運ぶ。一仕事やりきったカレンが顔を上げると、カッツェの視線は離れた場所に注がれていた。
 やはりそこにも働き者の後ろ姿。
 カッツェとレグデンバーにつられてソフィアを眺めているうちにテーブルを拭き終えた当の本人がこちらの視線に気付いた。

「団長、副団長、こんにちは」
「あぁ」
「こんにちは、ソフィアさん」

 置き去りの食器を携えたソフィアが戻ってくると目立つカッツェやレグデンバーの存在も相まって、益々華やかな一画と化す。

「お二人とも今日は時間をずらしていらっしゃったんですね」
「部下が事件に巻き込まれてゴタゴタしていたからな」
「医務室にいらっしゃる騎士様のことですか?」
「何故ソフィアが知っている?」

 カッツェの眉根が微かに寄るのをカレンは見た。精悍ではあるが幾分強面の騎士団長が少し表情を険しくするだけで迫力が増す。本人に威嚇するつもりはないとわかっていても、逃げ腰になってしまうのは仕方ないことだと思う。

「さっき、お食事の配達をさせていただいたんです。ね、カレン」
「えぇ。別の騎士様が持ち出したいと仰っていたところにソフィアが配達を申し出てくれました」

 カレンはレグデンバーからも事情を聞いたが、団長としては事件が外部に漏れるのを厭うのかもしれない。親友が悪く思われないよう、事の経緯を説明するとカッツェは得心した様子で頷いた。

「そうか。手間を掛けさせたな」
「いえ、別の配達のついででしたから」

 ソフィアとカッツェのやりとりの傍らで、医務室にいる騎士のことを思う。もう随分と時間は経過しているからおそらくは食事も済んでいるはずだろう。食堂内の混雑が落ち着いていることを確認してカレンは切り出した。

「ソフィア。私、医務室の食器を回収してくるわ」

 昼食が終われば間もなく料理人たちが夕食の仕込みを始める。その前に食器や調理器具の洗浄を済ませなければならず、それはカレンたち職員の仕事となる。雑用は早めに終わらせておきたかった。

「団員に届けさせますよ」
「これも私たちの仕事のうちですから」
「私が行くわよ、カレン」
「ソフィアは配達と片付けで動き回ったでしょう?」

 レグデンバーとソフィアの申し出をやんわりと断る。
 親友の後ろ姿に見入る二人の視線を目の当たりにすると、余計なお世話だと知りつつも自身が残るよりソフィアに残ってもらう方が良いと思えたから。

「すぐに戻るからお願いね」
「わかったわ。任せて」

 カウンターを抜け、レグデンバーとカッツェに会釈をして食堂を出る。
 怪我人への配達は未経験だが、待機医宛てに医務室へ配達したことはあるので道筋は把握している。
 迷うことなく辿り着いたそこには件の騎士が太腿に包帯を巻いた姿で寝台に腰掛けており、食器の回収に来たことを伝えるといたく感謝されてしまった。
 改めて礼をしたいと言い募る騎士に「どうかお気遣いなく」とだけ返し、サイドテーブルに置かれたバスケットを持ち上げた。

「どうぞ、お大事に」
「本当にありがとう!」

 去り際の背中に掛けられる感謝の言葉が心地良い。
 感謝をされるよりもする側の立場だった頃には、こんな気持ちは知らなかった。
 そう思うとソフィアとの出会いに感謝の祈りを捧げたくなる。

「そこのお嬢さん」

 一介の使用人だとしても王城にふさわしい振る舞いを心掛けるカレンが今日幾度目かの呼び掛けを受けたのは、食堂へ戻る道中のことだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

【完結】あなたの色に染める〜無色の私が聖女になるまで〜

白崎りか
恋愛
色なしのアリアには、従兄のギルベルトが全てだった。 「ギルベルト様は私の婚約者よ! 近づかないで。色なしのくせに!」 (お兄様の婚約者に嫌われてしまった。もう、お兄様には会えないの? 私はかわいそうな「妹」でしかないから) ギルベルトと距離を置こうとすると、彼は「一緒に暮らそう」と言いだした。 「婚約者に愛情などない。大切なのは、アリアだけだ」  色なしは魔力がないはずなのに、アリアは魔法が使えることが分かった。 糸を染める魔法だ。染めた糸で刺繍したハンカチは、不思議な力を持っていた。 「こんな魔法は初めてだ」 薔薇の迷路で出会った王子は、アリアに手を差し伸べる。 「今のままでいいの? これは君にとって良い機会だよ」 アリアは魔法の力で聖女になる。 ※小説家になろう様にも投稿しています。

愛されなかった公爵令嬢のやり直し

ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。 母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。 婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。 そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。 どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。 死ぬ寸前のセシリアは思う。 「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。 目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。 セシリアは決意する。 「自分の幸せは自分でつかみ取る!」 幸せになるために奔走するセシリア。 だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。 小説家になろう様にも投稿しています。 タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

【完結】ルイーズの献身~世話焼き令嬢は婚約者に見切りをつけて完璧侍女を目指します!~

青依香伽
恋愛
ルイーズは婚約者を幼少の頃から家族のように大切に思っていた そこに男女の情はなかったが、将来的には伴侶になるのだからとルイーズなりに尽くしてきた しかし彼にとってルイーズの献身は余計なお世話でしかなかったのだろう 婚約者の裏切りにより人生の転換期を迎えるルイーズ 婚約者との別れを選択したルイーズは完璧な侍女になることができるのか この物語は様々な人たちとの出会いによって、成長していく女の子のお話 *更新は不定期です *加筆修正中です

二度目の初恋は、穏やかな伯爵と

柴田はつみ
恋愛
交通事故に遭い、気がつけば18歳のアランと出会う前の自分に戻っていた伯爵令嬢リーシャン。 冷酷で傲慢な伯爵アランとの不和な結婚生活を経験した彼女は、今度こそ彼とは関わらないと固く誓う。しかし運命のいたずらか、リーシャンは再びアランと出会ってしまう。

処理中です...