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5.初めて選んだ道
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着の身着のままで木戸を叩いたカレンに何かを察してくれたのか、出迎えてくれた女性に付き添われ、修道院長の元へ向かうことになった。
道すがら、女性はソフィアと名乗った。
「私は修道女ではないから力になれなくてごめんなさいね。近くに住んでいてたまにお手伝いに来ているのよ」
「お手伝い、ですか」
「えぇ。今日は畑のお世話をしてね、こんな芋を掘り上げたところよ」
両手で輪を作って快活に笑う彼女の笑顔に、いくらか心が落ち着きを取り戻す。
見ず知らずの誰かと話すことなど今までの人生にはあり得なかったことなのに、母や使用人に囲まれていたときよりもずっと息がしやすかった。
壁も床も質素な廊下を歩いた先、年季の入った扉をソフィアがノックするとややあってから応えがくる。連れ立って入る小さな部屋で待ち受けていたのは目元の皺にすら慈悲深さを湛えた老齢の修道女だった。
「どうしました? ソフィア」
「こちらの女性が救いの手を求めていらっしゃるようです」
そっと背中を押されたので一歩進み出る。
これまで披露する機会のなかった淑女の礼を以て挨拶をした。
「突然の訪問、どうかお許し下さいませ。カレン・イノールと申します」
「構いませんよ。私はこのモベノ修道院の院長を務めるリースと申します。一体どうされましたか」
ゆったりとした響きの語り口が心地良い。
打ち明け話をすること、ましてや助けを求めることはカレンにとって経験のないことで緊張しないと言えば嘘になる。しかしあの屋敷にも領地にも戻れる気はしない。だから勇気を振り絞った。
「私はイノール子爵家の娘として生まれました。ですが両親は共に金の髪を持ち、私は……ご覧のような黒髪です」
視界の両端に乱れた黒髪が映り込む。物心がついた頃から変わらない色。
「父は私を正式な後継と認めるつもりはないようでした。母の従兄弟が黒髪で、その方と母が親しくしていたこともあって、母の不実を疑っていたそうです。私自身も……父には姿を見せるな、と言われて育ちました」
静かに頷いてみせるリースの表情があまりにも優しくて、喉の奥がきゅっと締まる思いがした。何をどう伝えれば良いのか思案しながらも、戦慄きそうな唇を動かす。
「母にも私の黒髪が原因だと責められることが幾度となくありました。ですが私には何もわからなくて……」
「えぇ、そうでしょう。あなたご自身が選んだわけではないのですものね」
カレンの心に寄り添うその言葉が、更に背中を後押ししてくれるようだった。
「突然父に呼び出され、私は本日初めて王都に参りました。そしてお客様とお会いしました。私の知らないところで私はその方の後妻に入ることが決まっていたようです」
あの男の、人を蔑む下卑た眼差しを思い出してぶるりと身を震わせる。
「ですが、縁談はその場で破談となってしまいました。私を、私のこの黒髪を見て、その方も母の不実をお疑いになられたのです」
「それでお父様はお怒りになられた?」
「はい。私がその方に嫁ぐだけでなく、その方のご子息を養子に迎える話も出ていたようで、それも破談に……」
少なくとも母の血を継いでいることは確かなカレンよりも完全なる赤の他人をイノール家の跡取りに据えようとした父。
それすらも阻まれたと憤った彼はカレンの存在を消そうとした。
「イノール家の娘は病で帰らぬ人となった、と父は言いました。それを聞いて私は……殺されてしまうかもしれない、と……そう、思って……」
つんと鼻の奥が痛む。
無我夢中で屋敷を飛び出したカレンの胸中は身を守ることだけを考えていた。
しかし冷静さを取り戻しつつある今、身に降りかかった出来事を振り返ると途方もない悲しみが押し寄せてくる。
縁談も結べない、恥しか生まない存在に価値はないのだと。
もはや存在することすら許されないのだと、そう宣告されたも同然だった。
では、自分自身は何のために生まれて、何のために生きてきたのだろうか。
闇雲に駆けて修道院に辿り着いたことを説明すると、院長は深い理解を示してくれた。
「事情を抱えた方がこちらにいらっしゃることは少なくありません。どうか心と身体を休めて差し上げなさい」
「はい……ありがとうございます」
「カレンさん。あなたは実のお父様が誰なのか、気になりますか?」
とても静かな問い掛けなのに心を鷲掴みにされたような錯覚に陥る。
何故ならそれはカレンが最も考えようとしなかったことだったから。
古い記憶を辿れば真っ先に思い浮かぶのは母の恨み言。とにかく髪の色とカレンの存在を責められた。
父とされる人に至っては思い出と呼べるほどの記憶がない。
子爵が実父であれば血の繋がる親子であるにも関わらず酷い仕打ちを受けているのだし、母の従兄弟あるいは見も知らぬ誰かが父親なのだとすれば母の裏切りの結晶である己の存在が恥ずかしい。
どちらにせよ導き出される答えを受け入れるのが怖くて、ずっと目を背けてきた事柄だった。
力なく首を振ることで院長への返事とする。
「そう。きっとあなたはご自身を否定してこられたのでしょう。ですが、それは間違いですよ」
何もかもを見通したかのような、しかし静謐な口ぶりでリース院長は続ける。
「両親と似つかない髪や瞳を持って子が生まれてくることは稀にあることです。お祖父様やお祖母様よりも遡った先に黒髪を持ったご先祖がいらっしゃったのかもしれません。王族方でそのような話し合いが行われた歴史もあるそうですから十分に考え得ることです」
父方の祖父母に会ったことはない。会わせてもらったことはない、と言った方が正しいか。
母方の祖父母が領地の住まいに訪れたことは数度あった。がっかりとした目つきでカレンを見下ろしていた彼らの髪色も母に近い色味だったと記憶している。父の怒りようからすると彼の両親もおそらく黒髪に程遠い色合いだったに違いない。
「真実を探るのはご両親の役目です。努力を放棄した末の責めをあなたが引き受ける必要はありません」
「そう、でしょうか」
言葉の代わりに首肯するリースの瞳は慈しみに満ちていた。
「あなたはこれからどうされますか?」
「どう、とは……」
「生きたいと思ったから逃げてきたのでしょう? これからの道を決めるのはあなた自身ですよ」
(生きたい……?)
その一言に目が覚める思いだった。
父の仕打ちに飛び出してきた屋敷。そこには死の恐怖があったからだ。
死を逃れようと抗ったのは、生きる意思を他でもないカレンが持っていたから。
カレンが生まれて初めて自らの道を選択した日だった。
院長の手引きによりイノール家からの離籍を請う届けが国に提出された。
そんなことが出来るのかと驚くカレンに、リース院長と共に話を聞いてくれたソフィアが教えてくれた。
かつてモベノ修道院の側近くで事故を起こして立ち往生していた馬車を当時の修道女たちが救出したこと、馬車に乗車していたのが後の王妃となる貴族令嬢だったこと、修道女らの働きにいたく感動した令嬢がそれからの修道院に目をかけ、王妃となってからも支援を続けてくれたこと。
もう百年以上も前の出来事であるにも関わらず、今もこの辺りでは苦境で悩める女性に救いを差し伸べる権威ある修道院として有名だという。図らずも辿り着いたカレンだったが、多分に漏れず人生の泥濘から掬い上げられることになった。
◇◇◆◇◇
一市民として生きることになったカレンの修道院での生活が始まった。
決められた時間に起床し、修道女や身を寄せている女性たちと食事を共にした。その際の炊事や後片付け、掃除も自らの手で行う。不慣れなカレンにも皆が親切に教えてくれた。
日中は手伝いに勤しんだ。ソフィアが話していたように畑仕事をする日もあれば、繕い物に精を出す日もあった。令嬢の嗜みとして覚えた刺繍の腕が役に立ったことがカレンには嬉しかった。
手伝いに来た近隣の子どもたちに字を教え、反対に子どもたちから市井の暮らしを教わる日もあった。
「私の母もね、この修道院にお世話になっていたの」
「ソフィアさんのお母様も?」
「堅苦しい言葉遣いはなしにしましょ? そう、それでね、母は病で亡くなってしまったけれど、少しでも恩返しが出来ればと思ってお手伝いに来てるのよ」
麗らかな陽射しの下、肩を並べて雑草を摘む。そんな折にソフィアが打ち明けてくれた。
修道院から程近い一軒家に住むという彼女は頻繁に顔を覗かせていた。あの日カレンを招き入れた本人という自負もあってだろうか、細やかな気配りを見せてくれる。歳がひとつしか違わないこともあり、カレンにとって気負わず接することが出来る女性だった。
「他のご家族は……?」
「一人暮らしよ。だからついつい来たくなっちゃうのよね、ここに」
肩を竦めて笑う彼女は、寂しさの欠片すら感じさせない。
「……一人で生きていくにはどうすれば良いのでしょうか」
今は修道院の世話になっているが、いつまでもこのままでいられないことはわかっている。イノール家からの離籍が国に認められた今、生きる術は自ら切り拓いていかなければならない。
「働き口を見つけることが先決ね。今は働く女性も増えているそうだから、きっとカレンに合った仕事も見つかるはずよ」
「私に務まるか心配です」
「誰でも最初は初心者よ。ここでの生活にも慣れてきているでしょう? カレンは教わり方を知っているから大丈夫よ」
市井の女性からすればカレンは世間知らずの令嬢だろうに、そっと背中を押してくれる。それがとても心強かった。
「それに一人じゃないから」
「え?」
「リース院長も私もいるじゃない。一人なんかじゃないわ」
屈託なく言い切るソフィアと親しくなるのに時間は必要なかった。
そうして修道院で日々を過ごして三ヶ月が過ぎた頃。
いつも以上に爛々と煌めいた瞳に興奮の色を乗せてソフィアが修道院に現れた。
「聞いて、カレン! 仕事が見つかったのよ!」
「まぁ。それは素晴らしいことね」
「それも王城での仕事なのよ。食堂で働かせてもらえるの」
「大事なお役目なのね。でもソフィアならきっと上手くいくわ」
「何を言ってるの。あなたも一緒に行くのよ、カレン!」
「えっ?」
固まるカレンに差し出されたのは縁取りの装飾が緻密に描かれた採用通知書。
ソフィア・ルベンの名の下に間違いなくカレンの名が記されていた。
採用された理由もわからぬままに、カレンは王城で勤めることになった。
道すがら、女性はソフィアと名乗った。
「私は修道女ではないから力になれなくてごめんなさいね。近くに住んでいてたまにお手伝いに来ているのよ」
「お手伝い、ですか」
「えぇ。今日は畑のお世話をしてね、こんな芋を掘り上げたところよ」
両手で輪を作って快活に笑う彼女の笑顔に、いくらか心が落ち着きを取り戻す。
見ず知らずの誰かと話すことなど今までの人生にはあり得なかったことなのに、母や使用人に囲まれていたときよりもずっと息がしやすかった。
壁も床も質素な廊下を歩いた先、年季の入った扉をソフィアがノックするとややあってから応えがくる。連れ立って入る小さな部屋で待ち受けていたのは目元の皺にすら慈悲深さを湛えた老齢の修道女だった。
「どうしました? ソフィア」
「こちらの女性が救いの手を求めていらっしゃるようです」
そっと背中を押されたので一歩進み出る。
これまで披露する機会のなかった淑女の礼を以て挨拶をした。
「突然の訪問、どうかお許し下さいませ。カレン・イノールと申します」
「構いませんよ。私はこのモベノ修道院の院長を務めるリースと申します。一体どうされましたか」
ゆったりとした響きの語り口が心地良い。
打ち明け話をすること、ましてや助けを求めることはカレンにとって経験のないことで緊張しないと言えば嘘になる。しかしあの屋敷にも領地にも戻れる気はしない。だから勇気を振り絞った。
「私はイノール子爵家の娘として生まれました。ですが両親は共に金の髪を持ち、私は……ご覧のような黒髪です」
視界の両端に乱れた黒髪が映り込む。物心がついた頃から変わらない色。
「父は私を正式な後継と認めるつもりはないようでした。母の従兄弟が黒髪で、その方と母が親しくしていたこともあって、母の不実を疑っていたそうです。私自身も……父には姿を見せるな、と言われて育ちました」
静かに頷いてみせるリースの表情があまりにも優しくて、喉の奥がきゅっと締まる思いがした。何をどう伝えれば良いのか思案しながらも、戦慄きそうな唇を動かす。
「母にも私の黒髪が原因だと責められることが幾度となくありました。ですが私には何もわからなくて……」
「えぇ、そうでしょう。あなたご自身が選んだわけではないのですものね」
カレンの心に寄り添うその言葉が、更に背中を後押ししてくれるようだった。
「突然父に呼び出され、私は本日初めて王都に参りました。そしてお客様とお会いしました。私の知らないところで私はその方の後妻に入ることが決まっていたようです」
あの男の、人を蔑む下卑た眼差しを思い出してぶるりと身を震わせる。
「ですが、縁談はその場で破談となってしまいました。私を、私のこの黒髪を見て、その方も母の不実をお疑いになられたのです」
「それでお父様はお怒りになられた?」
「はい。私がその方に嫁ぐだけでなく、その方のご子息を養子に迎える話も出ていたようで、それも破談に……」
少なくとも母の血を継いでいることは確かなカレンよりも完全なる赤の他人をイノール家の跡取りに据えようとした父。
それすらも阻まれたと憤った彼はカレンの存在を消そうとした。
「イノール家の娘は病で帰らぬ人となった、と父は言いました。それを聞いて私は……殺されてしまうかもしれない、と……そう、思って……」
つんと鼻の奥が痛む。
無我夢中で屋敷を飛び出したカレンの胸中は身を守ることだけを考えていた。
しかし冷静さを取り戻しつつある今、身に降りかかった出来事を振り返ると途方もない悲しみが押し寄せてくる。
縁談も結べない、恥しか生まない存在に価値はないのだと。
もはや存在することすら許されないのだと、そう宣告されたも同然だった。
では、自分自身は何のために生まれて、何のために生きてきたのだろうか。
闇雲に駆けて修道院に辿り着いたことを説明すると、院長は深い理解を示してくれた。
「事情を抱えた方がこちらにいらっしゃることは少なくありません。どうか心と身体を休めて差し上げなさい」
「はい……ありがとうございます」
「カレンさん。あなたは実のお父様が誰なのか、気になりますか?」
とても静かな問い掛けなのに心を鷲掴みにされたような錯覚に陥る。
何故ならそれはカレンが最も考えようとしなかったことだったから。
古い記憶を辿れば真っ先に思い浮かぶのは母の恨み言。とにかく髪の色とカレンの存在を責められた。
父とされる人に至っては思い出と呼べるほどの記憶がない。
子爵が実父であれば血の繋がる親子であるにも関わらず酷い仕打ちを受けているのだし、母の従兄弟あるいは見も知らぬ誰かが父親なのだとすれば母の裏切りの結晶である己の存在が恥ずかしい。
どちらにせよ導き出される答えを受け入れるのが怖くて、ずっと目を背けてきた事柄だった。
力なく首を振ることで院長への返事とする。
「そう。きっとあなたはご自身を否定してこられたのでしょう。ですが、それは間違いですよ」
何もかもを見通したかのような、しかし静謐な口ぶりでリース院長は続ける。
「両親と似つかない髪や瞳を持って子が生まれてくることは稀にあることです。お祖父様やお祖母様よりも遡った先に黒髪を持ったご先祖がいらっしゃったのかもしれません。王族方でそのような話し合いが行われた歴史もあるそうですから十分に考え得ることです」
父方の祖父母に会ったことはない。会わせてもらったことはない、と言った方が正しいか。
母方の祖父母が領地の住まいに訪れたことは数度あった。がっかりとした目つきでカレンを見下ろしていた彼らの髪色も母に近い色味だったと記憶している。父の怒りようからすると彼の両親もおそらく黒髪に程遠い色合いだったに違いない。
「真実を探るのはご両親の役目です。努力を放棄した末の責めをあなたが引き受ける必要はありません」
「そう、でしょうか」
言葉の代わりに首肯するリースの瞳は慈しみに満ちていた。
「あなたはこれからどうされますか?」
「どう、とは……」
「生きたいと思ったから逃げてきたのでしょう? これからの道を決めるのはあなた自身ですよ」
(生きたい……?)
その一言に目が覚める思いだった。
父の仕打ちに飛び出してきた屋敷。そこには死の恐怖があったからだ。
死を逃れようと抗ったのは、生きる意思を他でもないカレンが持っていたから。
カレンが生まれて初めて自らの道を選択した日だった。
院長の手引きによりイノール家からの離籍を請う届けが国に提出された。
そんなことが出来るのかと驚くカレンに、リース院長と共に話を聞いてくれたソフィアが教えてくれた。
かつてモベノ修道院の側近くで事故を起こして立ち往生していた馬車を当時の修道女たちが救出したこと、馬車に乗車していたのが後の王妃となる貴族令嬢だったこと、修道女らの働きにいたく感動した令嬢がそれからの修道院に目をかけ、王妃となってからも支援を続けてくれたこと。
もう百年以上も前の出来事であるにも関わらず、今もこの辺りでは苦境で悩める女性に救いを差し伸べる権威ある修道院として有名だという。図らずも辿り着いたカレンだったが、多分に漏れず人生の泥濘から掬い上げられることになった。
◇◇◆◇◇
一市民として生きることになったカレンの修道院での生活が始まった。
決められた時間に起床し、修道女や身を寄せている女性たちと食事を共にした。その際の炊事や後片付け、掃除も自らの手で行う。不慣れなカレンにも皆が親切に教えてくれた。
日中は手伝いに勤しんだ。ソフィアが話していたように畑仕事をする日もあれば、繕い物に精を出す日もあった。令嬢の嗜みとして覚えた刺繍の腕が役に立ったことがカレンには嬉しかった。
手伝いに来た近隣の子どもたちに字を教え、反対に子どもたちから市井の暮らしを教わる日もあった。
「私の母もね、この修道院にお世話になっていたの」
「ソフィアさんのお母様も?」
「堅苦しい言葉遣いはなしにしましょ? そう、それでね、母は病で亡くなってしまったけれど、少しでも恩返しが出来ればと思ってお手伝いに来てるのよ」
麗らかな陽射しの下、肩を並べて雑草を摘む。そんな折にソフィアが打ち明けてくれた。
修道院から程近い一軒家に住むという彼女は頻繁に顔を覗かせていた。あの日カレンを招き入れた本人という自負もあってだろうか、細やかな気配りを見せてくれる。歳がひとつしか違わないこともあり、カレンにとって気負わず接することが出来る女性だった。
「他のご家族は……?」
「一人暮らしよ。だからついつい来たくなっちゃうのよね、ここに」
肩を竦めて笑う彼女は、寂しさの欠片すら感じさせない。
「……一人で生きていくにはどうすれば良いのでしょうか」
今は修道院の世話になっているが、いつまでもこのままでいられないことはわかっている。イノール家からの離籍が国に認められた今、生きる術は自ら切り拓いていかなければならない。
「働き口を見つけることが先決ね。今は働く女性も増えているそうだから、きっとカレンに合った仕事も見つかるはずよ」
「私に務まるか心配です」
「誰でも最初は初心者よ。ここでの生活にも慣れてきているでしょう? カレンは教わり方を知っているから大丈夫よ」
市井の女性からすればカレンは世間知らずの令嬢だろうに、そっと背中を押してくれる。それがとても心強かった。
「それに一人じゃないから」
「え?」
「リース院長も私もいるじゃない。一人なんかじゃないわ」
屈託なく言い切るソフィアと親しくなるのに時間は必要なかった。
そうして修道院で日々を過ごして三ヶ月が過ぎた頃。
いつも以上に爛々と煌めいた瞳に興奮の色を乗せてソフィアが修道院に現れた。
「聞いて、カレン! 仕事が見つかったのよ!」
「まぁ。それは素晴らしいことね」
「それも王城での仕事なのよ。食堂で働かせてもらえるの」
「大事なお役目なのね。でもソフィアならきっと上手くいくわ」
「何を言ってるの。あなたも一緒に行くのよ、カレン!」
「えっ?」
固まるカレンに差し出されたのは縁取りの装飾が緻密に描かれた採用通知書。
ソフィア・ルベンの名の下に間違いなくカレンの名が記されていた。
採用された理由もわからぬままに、カレンは王城で勤めることになった。
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