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8.街にて
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久しぶりにソフィアと休日が揃ったある日、二人は街に出掛けていた。
きっかけはソフィアの頼み事だった。
「カレン、私に刺繍を教えてくれない?」
「構わないわ。何に刺すか決めているの?」
「まずはハンカチから始めようかなって。お買い物にも付き合ってくれる?」
「えぇ、もちろん。次のお休みに一緒に行きましょうか」
修道院で繕い物はしたけれど、刺繍らしい刺繍は長らく刺していない。
感謝を告げてくるソフィアの隣でカレンの心も浮き立っていた。
材料を買うお金も、刺繍に割く自由な時間も今はあるのだから。それが自らの労働による成果であることが誇らしかった。
◇◇◆◇◇
街に出るときは決まって大通りを避けることにしている。
貴族も立ち寄る大通りでイノール子爵にうっかり出くわす可能性を排除するため、修道院に世話になっていた頃にリース院長と相談して決めたことだった。
幸い、物流が盛んな王都だけあって市民の愛用する商店街も品揃えは充実しているので困ったことはない。今日訪れた店も手芸用品はしっかり揃っている。
「どうしよう、どの糸も色が綺麗で選べないわ」
そう言いながらあれこれ刺繍糸を手に取るソフィアに笑いを堪えつつ、カレンも気になる色をいくつか選んでいた。過去のカレンにとって刺繍は嗜みとして覚えるものという認識だったが、今は実用出来るのだから色を選択することすら楽しい。
「ハンカチは白がいいかしら?」
「練習なら白や明るめの色がいいと思うわ。生地が薄すぎると刺しにくいから気を付けてね」
素直に助言に従うソフィアと共に買い物を済ませて店を出る。
職員寮への帰り道でも話題は自然と刺繍に触れたものとなった。
「ちゃんと仕上げられるか不安だわ」
「小さなものからコツコツ頑張りましょう? ひとつ仕上げたら『次は大きく、次はもっと綺麗に』って欲張りになれるのよ」
「そうね、飽きたり挫折したくないもの。地道に頑張る」
「ソフィアは手先が器用だから上達も早いと思うわ」
「本当? せめて人前で使っても恥ずかしくないくらいに上達出来るといいんだけど……」
その顔は珍しく思案顔だ。
(きっと贈りたい相手がいるのね)
根拠のない直感だけども、何故だか確信があった。
(尋ねてみてもいいのかしら。でも触れられたくないことかもしれないし……)
ずっと友人と呼べる相手がいなかったため、こんなときにどう声を掛ければ良いのかがわからない。親しい間柄であっても全てを曝け出せるとは限らないし、踏み込まれたく領域だってあるだろう。
「私で良ければ出来る限り練習に付き合うわ」
だから、こんな応援しか出来なかった。
気の利かない自分にひっそりと落ち込みつつも職員寮へ続く道を歩く。
早速今日から教わりたいというソフィアの希望を叶えるため、寄り道はせずに帰ると決めていた。
カレンがこれまでに刺した刺繍の図案やお気に入りのモチーフ、初めて針を持った年齢等々質問責めに遭っていると、通りの向こうから二人組の中年男性が歩いてきた。その足取りは遠目からでも危うい。
ふとフローランのことを思い出す。彼は酔っ払いに怪我を負わせられていた。
直に見たことがないので自信はないが、道先の男たちは多分酔っ払っている。
「端に寄ってやり過ごしましょ」
ソフィアも二人組に気付いていたようで小声でそう囁いた。無言の頷きを返す。
立ち話を装うために道端で足を止めた。手の荷物に視線を落として、なるべく顔を合わせないように心掛ける。
しかし運が悪かった。
酒に酔っているからか、落ち着きなくキョロキョロと目線を泳がせていた男がソフィアを捉えてしまった。
「綺麗な姉ちゃんがいるぞ」
まだいくらか距離はあるのに大きな声で指差してくる。
男たちの視界を遮るようにソフィアの前に立ち、顔を寄せた。
「あれはお酒を?」
「えぇ、酔っ払ってる。どこかお店に入って匿ってもらうのがいいと思う」
「わかったわ」
やむを得ず、男たちに背を向けて来た道を引き返すことにした。
視界に入るのはいずれも軒先に商品を並べる形式の店舗ばかりで、匿ってもらえそうにない。何事かを喚いている男たちの声を背に足早で歩いていると、見慣れた色が唐突に目に飛び込んできた。
第二騎士団の深緑の制服。
次に意識が捉えたものは、金の腕章と銀の腕章。
その二人が誰なのか、顔を見ずとも理解出来た。
「ソフィア、カレン、俺の背後に回れ」
頭上の高いところから力強い声が落とされて、ほっと心が落ち着きを取り戻す。カッツェの指示通りに彼の広い背中の後ろでソフィアと身を縮こませると、それを見届けたレグデンバーが長い足ですたすたと中年たちの元に歩いていった。
「失礼。お酒を召されていますか?」
依然大声を張り上げている男たちの声よりもずっと通りの良い声だった。
誰もが知る騎士団の制服に身を包み、副団長の証である銀糸の腕章を付けた騎士にそう問われれば、酔った男たちも口を噤む。
「通りで大声を出されますと市民の皆様のご迷惑となります。どうか節度を持ってお楽しみ下さい」
丁寧な口調で非難するでもなく言い聞かせる様は、まるで家庭教師のようだ。
酒で気を大きくしていたであろう男たちがごにょごにょと呟いた後、レグデンバーに頭を下げる。そうして彼の横を過ぎてカッツェの横をすり抜ける際にもまた頭を下げた。
大事にならずに済み、肩の力が抜ける。それはソフィアも同じようで小さく息を吐くのがわかった。
「ソフィア、大丈夫か?」
長身のカッツェが腰を折ってソフィアの顔を覗き込む。その声音は部下たちに向けるそれよりもずっと柔らかい。
「えっ、はい、大丈夫です」
「怪我を負ったりは?」
「いえいえ、してません! 野次を飛ばされただけですから」
「そうか、ならいい」
力強い眉の下、いつもなら鋭い光を湛えている眼差しが和らいでいる。
その視線を一身に浴びるソフィアの頬は真っ赤に色付いていた。
「カレンも問題ないか?」
「はい」
「お二人がご無事で何よりです」
レグデンバーが三人の元へと戻ってくる。その際、素早くソフィアの頭からつま先までに目を走らせ、次いでこちらに目線を移したことに気付き、申し訳なさを感じてしまう。けして軽んじられているわけではないのに居心地が悪い思いだった。
思わず顔を伏せるカレンの横で会話は続けられる。
「この後の予定は?」
「もう寮へ帰るだけです」
「念の為、我々で送り届けよう」
「えっ、そんなお忙しいんじゃ」
狼狽えるソフィアの言葉に脳裏を過るものがあった。
(団長と副団長が揃ってこんな通りにいらっしゃるなんて、お仕事の最中じゃないのかしら)
任務で外に出るという話は度々聞いているので、巡回も仕事の一環なのだろう。しかし団の上位二名が揃っているとなると何らかの案件を抱えていると考えるのが妥当だ。
「職員を送り届けることも重要な任務だ」
「ここで話していたら人目を集めますよ。行きましょう」
レグデンバーの言葉にもまだ躊躇いを見せるソフィアの背がカッツェの大きな掌でそっと押し出される。それにはソフィアも足を踏み出さざるを得ない。任務とまで言い切られてしまうとカレンも口出しは出来ず、レグデンバーと共に彼らの後に続いた。
「どこに行っていたんだ?」
「えっと、手芸用品を買いに」
「裁縫は得意なのか?」
「繕い物は人並み程度だと思います、多分。カレンの方が上手なので今日から刺繍を教わろうかなって思っていまして」
前方の二人は世間話に花を咲かせている。
時折カッツェを見上げるソフィアの目元が赤みを帯びていることは後ろを歩くカレンにもわかるほどで、その理由は想像に難くない。
(ソフィアはきっとカッツェ団長を……)
刺繍糸を懸命に選んでいた彼女の姿が蘇る。
「楽しんでこられたようですね」
カレンの隣を歩くレグデンバーが藍色の瞳をゆるりと細めて見つめる先は、淡い金髪を揺らして歩く親友の背中。
つい先程のカッツェが見せたソフィアへの対応を考えると、それぞれの気持ちが向かう先はカレンにだって見えてくる。
(いたたまれないわ……)
男性と肩を並べて歩くことが初めてだと気付けないほどに、カレンにとって気まずい帰路だった。
きっかけはソフィアの頼み事だった。
「カレン、私に刺繍を教えてくれない?」
「構わないわ。何に刺すか決めているの?」
「まずはハンカチから始めようかなって。お買い物にも付き合ってくれる?」
「えぇ、もちろん。次のお休みに一緒に行きましょうか」
修道院で繕い物はしたけれど、刺繍らしい刺繍は長らく刺していない。
感謝を告げてくるソフィアの隣でカレンの心も浮き立っていた。
材料を買うお金も、刺繍に割く自由な時間も今はあるのだから。それが自らの労働による成果であることが誇らしかった。
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街に出るときは決まって大通りを避けることにしている。
貴族も立ち寄る大通りでイノール子爵にうっかり出くわす可能性を排除するため、修道院に世話になっていた頃にリース院長と相談して決めたことだった。
幸い、物流が盛んな王都だけあって市民の愛用する商店街も品揃えは充実しているので困ったことはない。今日訪れた店も手芸用品はしっかり揃っている。
「どうしよう、どの糸も色が綺麗で選べないわ」
そう言いながらあれこれ刺繍糸を手に取るソフィアに笑いを堪えつつ、カレンも気になる色をいくつか選んでいた。過去のカレンにとって刺繍は嗜みとして覚えるものという認識だったが、今は実用出来るのだから色を選択することすら楽しい。
「ハンカチは白がいいかしら?」
「練習なら白や明るめの色がいいと思うわ。生地が薄すぎると刺しにくいから気を付けてね」
素直に助言に従うソフィアと共に買い物を済ませて店を出る。
職員寮への帰り道でも話題は自然と刺繍に触れたものとなった。
「ちゃんと仕上げられるか不安だわ」
「小さなものからコツコツ頑張りましょう? ひとつ仕上げたら『次は大きく、次はもっと綺麗に』って欲張りになれるのよ」
「そうね、飽きたり挫折したくないもの。地道に頑張る」
「ソフィアは手先が器用だから上達も早いと思うわ」
「本当? せめて人前で使っても恥ずかしくないくらいに上達出来るといいんだけど……」
その顔は珍しく思案顔だ。
(きっと贈りたい相手がいるのね)
根拠のない直感だけども、何故だか確信があった。
(尋ねてみてもいいのかしら。でも触れられたくないことかもしれないし……)
ずっと友人と呼べる相手がいなかったため、こんなときにどう声を掛ければ良いのかがわからない。親しい間柄であっても全てを曝け出せるとは限らないし、踏み込まれたく領域だってあるだろう。
「私で良ければ出来る限り練習に付き合うわ」
だから、こんな応援しか出来なかった。
気の利かない自分にひっそりと落ち込みつつも職員寮へ続く道を歩く。
早速今日から教わりたいというソフィアの希望を叶えるため、寄り道はせずに帰ると決めていた。
カレンがこれまでに刺した刺繍の図案やお気に入りのモチーフ、初めて針を持った年齢等々質問責めに遭っていると、通りの向こうから二人組の中年男性が歩いてきた。その足取りは遠目からでも危うい。
ふとフローランのことを思い出す。彼は酔っ払いに怪我を負わせられていた。
直に見たことがないので自信はないが、道先の男たちは多分酔っ払っている。
「端に寄ってやり過ごしましょ」
ソフィアも二人組に気付いていたようで小声でそう囁いた。無言の頷きを返す。
立ち話を装うために道端で足を止めた。手の荷物に視線を落として、なるべく顔を合わせないように心掛ける。
しかし運が悪かった。
酒に酔っているからか、落ち着きなくキョロキョロと目線を泳がせていた男がソフィアを捉えてしまった。
「綺麗な姉ちゃんがいるぞ」
まだいくらか距離はあるのに大きな声で指差してくる。
男たちの視界を遮るようにソフィアの前に立ち、顔を寄せた。
「あれはお酒を?」
「えぇ、酔っ払ってる。どこかお店に入って匿ってもらうのがいいと思う」
「わかったわ」
やむを得ず、男たちに背を向けて来た道を引き返すことにした。
視界に入るのはいずれも軒先に商品を並べる形式の店舗ばかりで、匿ってもらえそうにない。何事かを喚いている男たちの声を背に足早で歩いていると、見慣れた色が唐突に目に飛び込んできた。
第二騎士団の深緑の制服。
次に意識が捉えたものは、金の腕章と銀の腕章。
その二人が誰なのか、顔を見ずとも理解出来た。
「ソフィア、カレン、俺の背後に回れ」
頭上の高いところから力強い声が落とされて、ほっと心が落ち着きを取り戻す。カッツェの指示通りに彼の広い背中の後ろでソフィアと身を縮こませると、それを見届けたレグデンバーが長い足ですたすたと中年たちの元に歩いていった。
「失礼。お酒を召されていますか?」
依然大声を張り上げている男たちの声よりもずっと通りの良い声だった。
誰もが知る騎士団の制服に身を包み、副団長の証である銀糸の腕章を付けた騎士にそう問われれば、酔った男たちも口を噤む。
「通りで大声を出されますと市民の皆様のご迷惑となります。どうか節度を持ってお楽しみ下さい」
丁寧な口調で非難するでもなく言い聞かせる様は、まるで家庭教師のようだ。
酒で気を大きくしていたであろう男たちがごにょごにょと呟いた後、レグデンバーに頭を下げる。そうして彼の横を過ぎてカッツェの横をすり抜ける際にもまた頭を下げた。
大事にならずに済み、肩の力が抜ける。それはソフィアも同じようで小さく息を吐くのがわかった。
「ソフィア、大丈夫か?」
長身のカッツェが腰を折ってソフィアの顔を覗き込む。その声音は部下たちに向けるそれよりもずっと柔らかい。
「えっ、はい、大丈夫です」
「怪我を負ったりは?」
「いえいえ、してません! 野次を飛ばされただけですから」
「そうか、ならいい」
力強い眉の下、いつもなら鋭い光を湛えている眼差しが和らいでいる。
その視線を一身に浴びるソフィアの頬は真っ赤に色付いていた。
「カレンも問題ないか?」
「はい」
「お二人がご無事で何よりです」
レグデンバーが三人の元へと戻ってくる。その際、素早くソフィアの頭からつま先までに目を走らせ、次いでこちらに目線を移したことに気付き、申し訳なさを感じてしまう。けして軽んじられているわけではないのに居心地が悪い思いだった。
思わず顔を伏せるカレンの横で会話は続けられる。
「この後の予定は?」
「もう寮へ帰るだけです」
「念の為、我々で送り届けよう」
「えっ、そんなお忙しいんじゃ」
狼狽えるソフィアの言葉に脳裏を過るものがあった。
(団長と副団長が揃ってこんな通りにいらっしゃるなんて、お仕事の最中じゃないのかしら)
任務で外に出るという話は度々聞いているので、巡回も仕事の一環なのだろう。しかし団の上位二名が揃っているとなると何らかの案件を抱えていると考えるのが妥当だ。
「職員を送り届けることも重要な任務だ」
「ここで話していたら人目を集めますよ。行きましょう」
レグデンバーの言葉にもまだ躊躇いを見せるソフィアの背がカッツェの大きな掌でそっと押し出される。それにはソフィアも足を踏み出さざるを得ない。任務とまで言い切られてしまうとカレンも口出しは出来ず、レグデンバーと共に彼らの後に続いた。
「どこに行っていたんだ?」
「えっと、手芸用品を買いに」
「裁縫は得意なのか?」
「繕い物は人並み程度だと思います、多分。カレンの方が上手なので今日から刺繍を教わろうかなって思っていまして」
前方の二人は世間話に花を咲かせている。
時折カッツェを見上げるソフィアの目元が赤みを帯びていることは後ろを歩くカレンにもわかるほどで、その理由は想像に難くない。
(ソフィアはきっとカッツェ団長を……)
刺繍糸を懸命に選んでいた彼女の姿が蘇る。
「楽しんでこられたようですね」
カレンの隣を歩くレグデンバーが藍色の瞳をゆるりと細めて見つめる先は、淡い金髪を揺らして歩く親友の背中。
つい先程のカッツェが見せたソフィアへの対応を考えると、それぞれの気持ちが向かう先はカレンにだって見えてくる。
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