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あなたは私の一部になれるか?

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 取締役からその名前が出たときに、急に懐かしさが込み上げてきた。そして今の私に必要なのはあのときの空気感だと感じた。

 どうだ、と問われたが即決だった。しかしそのようなことはおくびにも出さずに、多少の間を取って貸しですよと言わんばかりにそのことを受け入れた。

 あの子がここに来る。

 陳腐な物言いをするとあの頃は若かった。必死で押さえようとも押さえきれない私に向けられた甘い気配は私の心をくすぐった。あの子の前で幾度も隙を作るも奥手なあの子は軽やかにスルー。そろそろ私も焦れてきた頃、電話越しで告白の予告が来た。

 真剣に、しっかりと、あの子の話しに相槌を打ちながら笑いをこらえるのが大変だった。まさか告白の予告をされるとは思わなかった。私が歩んで来なかった、あるいはあったかもしれないが小石の如く気にも止めなかったささやかな事象が、あの子にとってはここまで一大事だったのだ。想定を超える奥手ぶりに関心しつつ明らかに今までとは違う人種にわくわくしていた。

 今思えばあの子の良いところはこういうところだったのだろう。世間や私にとっては些細なことでもあの子にとっては大事だったのだ。生きづらそうだなと思いながら、それでも丁寧に生きようとするあの子に対して密かに感心していた。

 ずらりと並んだ面々は各々自分のパソコンの画面を見ながら報告をしたり聞いたりしていた。彼ら彼女らが私の部下と呼ばれる者達だ。私は現場、総務、育休を挟んで今の企画部のマネージャーになった。今の私の仕事は前に出ることではない。彼ら彼女らのマネジメントだ。私には純粋な企画部の者の大変さややりがいを完全に理解することは出来ないが、理解出来ないからと言って今の仕事が出来ないほど不器用ではない。それは良かったと思っている。

 実情を知らない者が上に立つ。彼ら彼女らも馬鹿ではないので社会や会社の仕組みを理解し受け入れてはいるが、端々に、うっすらと、隔たりを感じる瞬間がある。
 手足が欲しい。私の考えを何の疑いもなく素直に実行してくれるような。

「では今週もがんばりましょう」
 号令をかけて会議室をあとにする。なにやらデスクが騒がしかった。
「おや、きましたね」
 人事の男は私を発見するなりそう言ったが別段今日は約束などしていなかったはずだ。

「お久しぶりです」
 男の影から出てきたあの子の挨拶は借りてきた猫のように遠慮がちだった。
「えっ、もう来たの?」
 はにかみながらそう返すと、あの子の顔がぱっと明るくなった。相も変わらずわかりやすい。

 人事の男の説明によると、思ったよりも荷ほどきが早く終わったので見学も兼ねてさっそく来たらしい。そして時間があるのですることがあれば伝えてほしいとのことだ。

 人事の男の説明には若干いらつきながらも明日に来る予定で組んでいたタスクをいくつか伝えると、不安そうな顔をしながらも了解ですと頷いてくれた。付きっきりで教えてあげるのが一番だとは思うが、あいにく私はそういうのが好きではないし、次の会議もあったので足早にデスクを離れた。

 私はあの子の人生をめちゃくちゃにしたとは思っていない。今回あの子を受け入れたのも決して罪悪感からなどではない。ただ、今の私に必要なものをあの子が持っていただけだ。

 あの子の泣き顔を思い出しながら、私は足取り軽く会議室の扉を開けた。
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