白波坂の前日譚 ― どら焼きと守の秘密ー

伊藤 生ちゃん

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第1話 どら焼きの午後

第1話 どら焼きの午後

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蒼ヶ原中学校の帰り道。
白波坂のふもとにある和菓子屋から、甘い匂いがふわりと流れてきた。
「ねぇ守、ちょっと寄ってこ」
彩香が肩掛けのスクールバッグを揺らしながら言う。
「……別にええけど」
守は黒いリュックを背負ったまま、歩幅を合わせてついていく。
店の中は放課後の光が差し込み、ガラスケースにはどら焼きや大福が並んでいる。
彩香は迷わずどら焼きを二つ買い、店を出ると守の前にひょいっと差し出した。
「はい、これ守の」
「……なんで俺の分まで」
「いいからいいから。ほら、食べてみて」
「家で食う」
「え、なんで?」
「……なんか、もったいないやろ」
彩香は一瞬きょとんとしたあと、にやっと笑った。
「じゃあさ――」
どら焼きの袋を開け、半分ほど紙をむいた状態で、
彩香は守の口元にぐいっと差し出した。
「はい、あーん」
「は!? いや、ちょ……」
「ほら、早く。温かいうちに食べなよ」
「……どら焼きは冷めても食えるやろ」
「いいから! あーん!」
守は周りに誰もいないのを確認して、しぶしぶ口を開ける。
「……あーん」
「よしっ」
彩香がどら焼きを押し込む。
守は噛んだ瞬間、目を少しだけ見開いた。
「……うま」
「でしょ! ほら、もう一口」
「いや、もうええって」
「いいから食べなよ。守、甘いの好きでしょ?」
彩香は楽しそうに、また守の口元へどら焼きを近づける。
守は顔をそむけながらも、結局また一口食べた。
「……なんで俺に食わせたいん」
「んー……守が喜ぶかなって思って」
「別に喜んでへん」
「耳赤いよ?」
「うるさい」
彩香はくすっと笑い、残りのどら焼きを自分で食べ始めた。
白波坂を登りながら、守は手に残った甘い香りをそっと嗅ぐ。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
その日の夜。
守は自分のどら焼きを机に置き、しばらく眺めてからゆっくりと食べた。
「……やっぱ、うま」
小さく呟いた声は誰にも届かない。
ただ、甘さだけが静かに胸に残った。
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