日刊幼女みさきちゃん!

下城米雪

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第二章 仕事と子育て

SS:ゆいとまくらとながいよる

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 ママが帰ってこない。

 土曜日の午後九時、ゆいはリビングで独り、テレビを見ながら結衣の帰りを待っていた。そろそろ瞼が重たくなってきたけれど、まだお風呂にも入っていないから寝るワケにはいかない。一人前のレディは毎日お風呂に入るのだ。

「……テレビ、おもしろくない」

 テレビにはテンションの高いバラエティ番組が映し出されているが、ゆいにはイマイチ面白さが分からない。
 
 ふわぁと何度目かの欠伸をして、ポチポチとチャンネルをいじる。
 だけど、やっぱりどれも面白くない。

 ついにテレビを消したゆいは、てくてく玄関まで歩いてドアを見上げた。むむむと眉をしかめてドアノブをにらんでも、やっぱりそれは動かない。

 ねむい……。

 今日は運動会があって、いっぱい運動した。しかも今は普段なら布団に入っている時間だ。ゆいがいつの間にか抱きしめていた枕は、いつもなら頭の上にある。

「……………………っは! ダメ、ねちゃダメ!」

 立ったまま目を閉じていたゆいは慌てて首を振った。今日はママを待つと決めたのだ。

 運動会が終わった後、ゆいはタクシーで迎えに来た結衣と共に帰宅した。だけど結衣は仕事の途中だったから、今日は遅くなると言って、またどこかへ行ってしまった。

 ゆいは運動会の話をいっぱいしたかったけど、もう立派なレディだから我慢できる。さみしくなんかない、むしろ感謝している。だって生きる為にはたくさんお金が必要で、ママはゆいの為に頑張ってくれているのだ。

 それにしても、働き過ぎである。聞けば、みさきのパパは土日は仕事をしないらしい。土日は保育園がお休みだから、たぶん先生達も土日は仕事をしていない。
 
 だからゆいはちょっと心配だった。
 ママだいじょうぶかな。つかれてないかな。

 そこでゆいは、少しでもママに楽をしてもらおうと考えた。

 ジャン! 洗濯物!
 なんと洗濯機の中に入っていた服がアイロンの隣まで運ばれている!
 ゆいはシワも取ってしまいたかったが、アイロンは危ないから触っちゃダメと言われているから断腸の思いで我慢した。

 ジャン! おにぎり!
 なんと炊飯器に入っていた白米が美しい三角の形になってお皿の上に乗っている!
 うーん、おいしそうだ。ゆいはおなかが空いていたけれど、ママが帰ってくるまでは我慢する。本当はサンドイッチを作りたかったけど、材料が無くてどうしようもなかった。

「いちにんまえのレディは、おてつだいができる!」

 えっへんと枕を脇に挟んで胸を張るゆい。
 だが直ぐに睡魔が襲ってきて、その姿勢のままうとうとしてしまう。

 うとうと、うとうと……バタン。

「……いたくない」

 ゆいは頭の後を抑えながら、グーっと枕に顔を埋めた。
 いたくないし、ないてない。ほんとだよ?

 ゆいは暫く枕に顔を埋めたまま、じっとしていた。
 そんな時間が一分、二分と流れ……

「っは! ダメ、ねたらダメ!」

 ゆいの表情は既にクライマックスだが、残念ながら睡魔との戦いは始まったばかりである。

 せめてお風呂には入っておこうか、いやでもお風呂で寝たら大変だ、おぼれちゃう。そもそもお風呂に入っている間にママが帰ってきたらどうしよう。そんなことを考えている間にずるずると時間が流れ、結局お風呂には入れない。

 歯磨きなら出来るかな。いやいや、まだ夜ご飯を食べないし、歯を磨いた後に食べたらもう一回歯を磨かなきゃいけない。

 なら夜ご飯を……やだ、ママと一緒に食べたい。

 こうして、ゆいの長い夜が始まった。

 ゆいはソファに座って、静かに時計を見つめる。
 一秒、二秒……十秒! はい十秒待った! なんでぇ!? ママ帰ってこなぁい!

 バンバンと膝に乗せた枕を叩いているのは、べつに遊んでいるわけではない。これは眠らない為の作戦なのだ。

「ねむい……」

 あまり効果が無い。どうしたものかと考えるゆいの頭には、ずっと前からピアノが浮かんでいるが、夜に弾くとご近所さんの迷惑になるからダメだとママに言われている。

「むむむ……」

 難しい顔をしながら、ゆいは枕を見る。
 そういえば、枕が変わると眠れないと本に書いてあったような……。

 ぴょんとソファから飛び降りて、ゆいはベッドに走る。そこでママが使っている枕を手に取り……残念! お揃いの枕でした!

「すー、はー……えへへ、ママのにおいがする」

 ゆいは枕に顔を押し付けたままソファに倒れ込んだ。柔らかい感触に押し返された後ゆっくりと顔が枕に沈み、そのまま暫くを動きを止める。

「……………………ハッ!? ねちゃダメ!」

 バっと枕から顔を上げて飛び起きた。
 時計を見ると短い針が十の近くにある。
 ママは未だ帰ってこない。
 
「……もう、ちょっと」

 もはや眠気は限界です。だけどゆいは、あと少しでママが帰って来るという直感に従って、もう少しだけ頑張ることにする。

 ふと机の上にある小さなおにぎりが目に入ったゆいは、ゆっくり指を伸ばしてつんつんしてみた。

「……さめてる」

 ゆいはおにぎりを作った時を思い出す。柔らかくて温かいどころか熱かったご飯は、いつの間にか冷たくて硬くなっていた。

「……おいしくない」

 お皿に並べられた十個のおにぎりを見て、ゆいはしょんぼりする。
 これじゃママは喜んでくれない。
 つくりなおさなきゃ。

 ゆいは弱弱しい動きで立ち上がって、お皿を持ち上げた。

「……そうだ、たべないと」

 ママから食べ物を粗末にすると立派なレディになれないと言われている。ゆいは基本的に緑色の食べ物が嫌いだけど、いつも頑張って食べてるし、ちょっと量が多くても時間をかけて完食するのだ。

 やっぱり美味しくない。
 しかも、十個もある。

「そうだ、あっためたらおいしくなるかも」

 少し元気になって、ゆいは真っ直ぐ電子レンジに向かう。その瞬間、机の角に足をぶつけてバランスを崩した。

「にゅぬぁわっ!?」

 声にならない声を出して、ゆいは踏ん張った。
 ピンと伸ばした両手はしっかりとお皿を掴んでいて、その上にはちゃんとおにぎりが乗っている。ピンと伸ばした片足は奇跡的に机に引っかかり、ゆいの身体を支えている。ギュッと踏ん張ったから背中は逆さまに丸くなっていて、ゆいは頭と右足と左足で綺麗なYの字を作り出していた。

 ……だ、だいピンチ!

 動けない!
 全身全霊で奇跡的なバランスを保つゆいは、きっと少しでも動いたら転倒してしまう。

 ……あ、あしとせなか、いたい。

 ただでさえ運動能力の無いゆいにとって、この姿勢は拷問に近い。
 でもここで諦めたらお皿さんがパリーンってなってママに迷惑がかかってしまう。

 ……ど、どうしよどうしよ! ピンチ! だいっっピンチ!

 ゆいは唯一動かせる目で周囲を見る。なにかないか、なにもないぞ。あれ、でもこれ手を伸ばせばお皿が床に届くような……届かないっ! でも、そっと落とせば大丈夫な気もする。

 手が自由になれば、後は床に手を着いて起き上がるだけだ。

「……よし」

 ゆいは呼吸を整えて、息を止めた。

 そっと、そっとだよ?
 ゆっくりだからね?
 ぜったいゆっくりだからね!

 カチャ。

「おかえりぃぃぃ!」

 ドン!

「おかえりママ! おかえりなさい!」

 結衣はドアをあけた途端に飛び込んで来た娘に驚いて目を丸くした。

「ゆい、まだ起きていたのですか?」
「うん! ずっとまってた!」
「まったく、良い子はとっくに寝る時間ですよ」

 そう言いながらも、結衣の頬はどうしようもなく緩んでいた。仕事の疲れなんて吹っ飛んだ。

「あのねあのね! あたし、ママのためにごはんつくったよ!」
「ご飯ですか?」
「うん! みて! ……あ、ああぁぁ!!」

 ゆいの目に映ったのは、お皿から転がり落ちたおにぎり達。
 幸いおさらさんは無事だったけれど、おにぎりさんは全滅してしまっていた。

「……ま、まっててね! すぐあったかくておいしいのつくるからね!」

 ゆいはタタタと駆けて、おにぎりを拾い始めた。
 その後ろ姿は……。

 結衣はゆっくりゆいの傍まで歩いて、小さなおにぎりをひとつ拾った。

「あ、ママはやすんでで……」

 パクリ、おにぎりを食べたママの姿を見て、ゆいはポカンと口を開ける。

「ありがとうございます。とても美味しいです」
「……うそ、つめてくて、かたい」
「一流のレディは嘘を吐きません。ゆい、本当に美味しいですよ」
「で、でも……」

 結衣はゆいに目の高さを合わせて、そっと頬に手を当てた。

「ゆいはママの作った料理、美味しいですか?」
「おいしい!」
「一番ですか?」
「いちばん!」
「はい、ありがとうございます。それは、愛情が沢山入っているからです」
「あいじょう?」
「はい。愛情が沢山入っていれば、どんな料理も美味しくなります」
「ほんと?」
「本当です」

 わぁっと、ゆいに笑顔が戻る。

「だけど料理は出来立てが一番美味しいのです。なので、今度は出来立てのご飯を食べさせてください」
「うん! できたて、たべさせてあげる!」

 よしよし、結衣は頭を撫でた。
 えへへ、ゆいは笑った。



 おにぎりを片付けた後、二人は一緒にお風呂に入った。そこでゆいは運動会の話をする。結衣が嬉しそうなゆいと同じくらい嬉しそうな顔で話を聞くから、ゆいの口は止まらなかった。

 ご飯を食べて歯を磨いて、少し休んだあと布団に入る。
 とっくに限界を超えていたゆいは、目を閉じると同時に眠りに就いた。

「……おやすみなさい、ゆい」

 一言、結衣は幸せそうに眠るゆいの頬にキスをした。
 その寝顔を暫く見つめた後、結衣は寝室を出てリビングの机に書類を並べる。

 今日仕事が遅くなったのは、後輩がミスをしたからだ。
 土日に行う仕事はプライベートという扱いであるから後輩に参加する義務は無いのだが、どうしてもと言って聞かなかったから、結衣は諦めて彼女を連れて行った。そして案の定失敗した。

 今日の結衣は機嫌が悪い。ただでさえ娘の運動会に出られなかったのに、他人の失敗によって娘との貴重な時間を奪われたのだ。これで怒らない方がどうかしている。

 しかし逆に考えれば失ったのは時間だけだ。今は荷物でしかない後輩も、時間が経てば、時間を奪うのではなく与えてくれる存在に成長するかもしれない。

 だから結衣が今しているのは、後輩の為の、未来の自分の為の、ゆいの将来の為の仕事だ。

 静かに目を閉じて、息を吐く。

 そして今日が終わり、次の一日が始まった。
 昨日と今日の境目で、結衣は仕事をしていた。
 だけど疲れなんて感じていない。
 
 当然だ。
 だって彼女は――
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