日刊幼女みさきちゃん!

下城米雪

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第五章 未来のこと

アニメを見た日(後)

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 面白かった。
 主人公の過去に焦点を当てたのが前作ならば、未来を描いたのが続編だろうか。

 学校を卒業して就職して、結婚して子供を作って……あれから主人公達がどのような人生を歩んだのか、それがありありと描かれていた。

 ありありと、という表現の通り大人向けの内容で、みさきには悪いが、これはちょっと見せられない。

「いやぁ、いい話だった」

 再生が終わってテレビ画面が切り替わった後、ぐっと背伸びをする。

 続編も五時間に編集されたものらしい。体感としては一時間も経っていないような気がするけれど、体へのダメージはしっかり蓄積されていたようで、そこそこ腰が痛い。もちろんアニメは文句無しに素晴らしいものだったが、それとこれとは別だ。

「お疲れ様です。楽しんで頂けましたか?」
「ああ、最高だった」

 目を閉じるといくつものシーンが浮かぶ。

「なんというか、理想を絵に描いたような物語だった」
「はい、理想を絵に描いた物語です」
「え?」
「実は、あのアニメの原作は漫画なんです」

 どこか得意げな表情で言う小日向さん。

「よかったら原作も読んでみませんか?」
「貸してくれるのか?」
「はい、全巻持ってます」
「なら貸してくれると嬉しい」
「分かりました。早速用意しますねっ」

 興奮した様子で言って立ち上がった小日向さん。

「いや、流石に夜遅いし、明日またお願いするよ」
「えっ、あっ、そですね。もう二時でした」

 小日向さんは時計へ目を向けてハッとする。
 それからソファに座りなおして、そっと通販番組が放送されていたテレビを消した。

「……すみません。好きな作品のこととなると、つい」

 音の消えた部屋で、どんより呟いた小日向さん。

「気にしないでくれ。ところで漫画の方はアニメと違いがあったりするのか?」
「はいっ、その違いを楽しむ物といいますかっ、原作有りのアニメは絶対に原作を読むべきなんです!」

 あっという間に元気を取り戻した小日向さん。本人も言っていたが、好きな物の話をすると周りが見えなくなるくらい楽しいのだろう。特に漫画の話をする時、見ている方までワクワクするほど目が輝く。

「そうか、漫画がアニメになるのか……」
「はい。いろんな人に読んでもらえて、編集さんが頑張ってくれるとアニメになります」
「編集さん?」
「コネとネゴシエーションの世界です」

 手でお金のサインを作る小日向さん。
 よく分からんが、いろいろ大変なのだろう。

「漫画家としては、やっぱりアニメになると嬉しいのか?」
「はい! 自分の描いたキャラ達が動いて喋るんですから、嬉しいに決まってます!」

 相変わらず真っ直ぐな目をした人だ。
 漫画家ってのは皆こうなのだろうか?

 いや、きっと逆だ。
 こんなにも綺麗な目をした人だから、誰かを感動させられるような物語を描くことが出来るのだろう。

「いつか小日向さんの漫画がアニメ化したら教えてくれ。必ず見る」
「そんなそんなっ、私の漫画なんてまだ人様に見せられるかどうかという段階で……」

 今のは成人向けとかそういう意味合いの言葉だろうか。確かに過去何度か読んだ小日向さんの漫画はアレな内容だったが、最後に読ませてもらったのは、みさきにも安心して読ませられる内容だった。あの台詞の無い漫画は今でも確かに覚えている。

「ファッ!?」

 突然大声をあげた小日向さん。
 驚いて目を向けると同時に、彼女はソファの上で華麗な土下座を披露した。

「すみませんっ、今のは天童さんを人間扱いしていないというわけではなくて、単に私の力不足といいますかあまり自信が無いというかそのっ、悪気は無いので!」

 ……どういう意味だ?

「よく分からんが気にしないでくれ。それより小日向さん、深夜だから、少し」
「!? ……すみません」

 しゅんとして小さくなる小日向さん。本当に感情表現が豊かで、見ていて飽きない。一度頭の中がどうなっているのか見てみたいものだ。

「漫画の物語って、どうやって考えてるんだ? 勝手に浮かび上がってくるのか?」
「うーん、人によると思います。私の場合は、実体験を元にして、こうなったらいいなぁという願望を表現する感じですね」

「そ、そうか。実体験を元に……」
「アヘェィァ!? い、いえっ、実体験といっても昔読んだ漫画を思い出しながらとか、細かい所を自分好みに変えたりとかで、ええっと……あれはっ、お金の為です!」

 小日向さんそれ余計に危なくなってる。そう心の中で呟きつつ、彼女が本当に言いたかったであろうことを考える。

「……つまり、誰かが描いた漫画を参考にしたりってことか」
「は、はい。そうです」

 お金の為という表現だと危ない解釈も出来るが、エロい本を描いた方が売れるから描いたとかそんな理由に違いない。そして描くためには、他の人が描いた本を参考にしたと、そう言いたかったのだろう。

 ……エロ本を真剣に読んでる小日向さんか。

「あの、天童さん。今なに考えてます?」
「いや、特に、何も」
「……そですか」

 言えない。ちょっと似合ってるなって思ったなんて口が裂けても言えない。早く話題を変えてごまかそう。

「実体験といえば、半年前くらいに見せてくれた漫画、あれもそうだろ?」
「半年前……あっ、はい、そうです。覚えててくれたんですね」
「面白かったからな」
「ふひひ、ありがとうございます」

 初めて見た時から絵が上手いとは思っていたが、あの時は本当に驚いた。話の内容とか、登場人物の心境とか、そういうの全部が絵だけで表現されていた。

「そういえば、あれってなんで絵だけだったんだ?」
「え?」

 あれ、何かおかしなこと言ったかな。

「ほら、漫画って普通は台詞がついてるだろ。あれはあれで良いと思ったが、なんとなく気になったから」
「ああ、えっと……あれは、ですね……」

 言い澱む小日向さん。
 聞かない方が良かったか?
 だけど隠されると余計に気になるな。

 あの時は確か、急に小日向さんに呼び出されて、公園まで歩いて、そこで漫画を渡された。またエロ本の感想を求められるのかと思いながら読んだ漫画だったが、中身は普通の内容だった。

 普通というか、どこか見覚えのある内容。

 住んでいる場所も何もかも違っていたが、節々にこれだと分かる内容があった。小日向さんが実体験を元に描いているのなら、きっとあの二人のモデルは俺と小日向さんに違いない。

 だからこそ最後だけが分からなかった。
 あの場面、二人はどんな会話をしたのだろう。

 そんな風に疑問に思っていたら、逆に小日向さんから質問されて、それで俺は――


 ――こうなったらいいなぁという願望を


 ……ちょっと待て、何か引っかかった。
 あの時は確か、二人の関係がどうなったのかと聞かれて、俺なりに真剣に考えて、それで――


 ――恋人に、なったんじゃないか?


 待て待て待て、まさかアレってそういう意図があったのか!? いやいや考え過ぎだ、あれは純粋に読者としての感想を求められていたに違いない。

「あれは、ですね」

 ドクンと大きな音がした。
 まるで胸の内側から強打されたかのようだった。

 カチ、カチと秒針に煽られて、トクントクンと心臓が騒ぐ。いつ声が聞こえるのか、どんな言葉が発せられるのか、それを考えるだけで体が浮き上がるような気分になる。

 それからどれだけ時間が流れただろう。
 一時間経っていたかもしれないし、数秒だけだったかもしれない。

 微かに息を吸う音がした。
 一瞬の間を置いて、彼女は言う。

「あれは、漫画の印象を知る為です」
「印象?」
「はい。絵だけを見て、読者がどんな印象を受けるのか、それを知りたいと思いました」
「……そうか」

 途端に緊張が解けて、どっと汗が流れ出した。
 やっぱり小日向さんは漫画家だ。自分の作品に対してどこまでも真剣で、だからこそ、あんなにも輝いた目をしているのだろう。

「それと、意識して欲しかったからです」
「何を?」

 目を向ける。
 直ぐに視線が重なった。

「私のこと。私と、天童さんのこと」

 それは完全に不意打ちだった。
 緊張が解け、無防備になった懐へと入り込み、彼女は言う。



「あの時の返事、聞かせてもらってもいいですか?」


 
 ――天童さんが、決めてください



「……俺も、返事をしようと思っていた」

 確かに今のは不意打ちだった。
 だけど心の準備はしていたし、言葉も用意してあった。そのせいか、自分でも驚く程に落ち着いている。

 散々悩んだけれど答えを出す時は一瞬だ。ならばせめて後悔しないように、堂々と返事をしよう。

「俺は――」

 正直、結婚がどういうものかは、まだ分かってない。
 兄貴は覚悟を決めろと言っていた。全てを背負い、全てを背負わせる覚悟をしろと言っていた。

 結婚についての知識ならある。一対の男女が法に記された家族という関係になり、その後の人生を共にする契約のことだ。

 同じ場所に住むということなら、今と何が違う?
 子を育てるということなら、みさきと三人で過ごす今の関係と何が違う?

 違わない。
 今と何も変わらない。

 小日向さんと出会ったのは、みさきを育てると決めた直後だった。何度も悩みを相談して、何度も助けてもらった。きっとみさきと一緒にいる時間は俺よりも長くて、みさきにとっては母親のような存在だ。そして、俺にとっても掛け替えのない存在だ。

 とても多くの時間を共にした。
 嬉しい時は一緒に美味しい物を食べた。
 本当に辛い時、何も言わずに元気をくれた。

 ただのご近所付き合いなんかじゃない。友達とも違う。恋人や家族でもない。どんな言葉を使っても、どれだけ言葉を並べても決して表現することは出来ない。この上なく大切な存在。

 そんな小日向さんが、この先も一緒に居たいと言ってくれた。その遠回しな表現を最初は理解できなくて、ようやく意味が分かった時は言葉にならないくらい嬉しかった。

 俺も同じだ。
 俺も、小日向さんと一緒に居たい。もっと彼女を見ていたい。

 そう考えた時、兄貴の言っていた覚悟という言葉の意味がほんの少しだけ分かったような気がした。
 そしてそれが、そのまま俺の答えになった。

 正解なんて分からない。
 だけどこれは俺が決めたことだ。
 俺が正しいと信じた選択だ。
 だから絶対に後悔はしない。

 
 この世界で最も綺麗な目が俺を見ている。
 その目を真っ直ぐ見据えて、そっと息を吸い込んだ。












「俺は、小日向さんを応援したい」




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