吹雪の小屋

猫パンチ三世

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第三話 冷たい過去

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 申し訳ありません。

 大変失礼致しました。

 俺はこの言葉が大好きだった。
 大好きだと勘違いするほど、この言葉を言っていた。

 頭を下げて、下げて、下げ続けて。
 相手の顔もまともに見れないほど頭を下げた。

 小学校四年生の時に両親が事故で死んで、遠い親戚に引き取られた俺に安心できる場所なんて無かった。親戚って言ったってしょせんは他人だ、彼らにとって俺はただの金食い虫でしかない。
 それを早くに理解してしまった俺は、自分がいていい理由を作るのに必死だった。

 勉強も運動も頑張った、それだけにならないように人付き合いも頑張った。

『周りに自慢できる子供』になる事が、生きていくための必須条件だった。

 小、中、高校をやり抜き、俺は大学へ進んだ俺は逃げるように家を出た。
 育ててくれた事には感謝している、だがあの家は寒くて息苦しかった。

 大学で可も無く不可も無い日々を過ごした俺は卒業後、都内のとある企業に就職した。
 大手でかなり安定した、世間的には『当たり』企業。
 運が良かった、俺があの会社に入れたのはその一言に尽きる。
 だが俺の運は、そこで終わった。

 俺の初めての上司は、とんでもないクズ野郎だった。
 無能なくせに声がデカくて自己顕示欲が強い、考え方が昔のままで止まっているような奴だった。
 人を貶めるのが大好きで、聞いていられないような暴言も『今どきの軟弱者に喝を入れてやった』と武勇伝のように語る奴だった。

 俺も奴に目を付けられた人間の一人だ。

 どれだけ仕事で結果を出しても認めらず、手柄は全て奴の総取り。
 俺は、いつまでも使えない新入社員を演じ続けなければいけなかった。

 理不尽な罵倒、嘲笑、軽蔑の眼差しを浴び続けた俺の体は驚くほど簡単に限界を迎えた。

 何もかも嫌になった。
 仕事も、助けてくれない周りの人間も、理不尽な現実を変える力のない自分も、コンクリートだらけの冷たい街も何もかも。

「それで何もかも投げ出して、ここに来たんだ。昔この辺に住んでたから土地勘はあったし、この山は何回かしか来てないけど、楽しい記憶があったから」

 ここまで話をして、胸にあったつかえのようなものが取れたのと同時に、初対面の相手になんて重苦しくつまらない話をしたのかという後悔が襲って来た。

 俺が恐る恐るゆきの方を見ると、彼女は少し悲しそうな顔をして俺の方を見ていた。

「……ごめん、つまらない話だった」

「そんな事ありません」

 俺は、心底自分が卑怯だと感じていた。
 ゆきと出会ってからそう時間は経っていない、だが彼女が俺の話を聞いて間違ってもつまらないなどと言うような女性では無い事ぐらいは理解しているつもりだ。

 そしてそれを理解した上で、彼女を気遣うような振りをしながら、自分が欲しい言葉を彼女から引き出したんだ。
 まったく呆れるほど、意地汚くて卑怯な人間だ。

「でも良かった」

「良かった?」

「あなたがちゃんと自分を守る事ができて」

「守った? 俺はただ何もかも投げ出してきただけだ、現実から社会から逃げただけだ。何も良くなんてない」

「きっとそう言って、あなたを責める人もいるでしょう。でも全部投げ出したから、ちゃんとから、あなたはいま生きている」

「そう……だけど」

 俺はゆきのような考え方はできそうにない、彼女の言葉は嬉しいがそれでも俺の中には逃げ出した後ろめたさがある。

 自分以外の大多数の人間が、多少の窮屈さや不満を感じながらもどうにか迎合している社会というものに、自分は適合する事ができなかった。

「もしかしたら私たち、似ているのかもしれませんね」

「え?」

 浮かない顔をしていたのがバレてしまったのか、少し強がっているような声でゆきは話を始めた。

「私も独りでずっと冷たい場所にいました、ずっと、ずうっと」

「君も?」

「ええ、静かで落ち着く場所、けれど誰とも交わる事のない場所。心地よくもあり、寂しい場所です。だから少し私たちは似ているかも」

 ゆきはどこか遠くを見るような顔で、ぽつりぽつりとそう言った。
 彼女がどこにいたのか、何をしていたのか、そんな事はどうでも良かった。

 だが恐らく彼女は、自分と同じかそれ以上に辛い環境に身を置いていたんだろうという事は何となく察せた。

「良太さん、あなたは吹雪が止んでここを出たらどうしますか?」

「どうって……」

「また苦しい現実に戻るんですか?」

 ゆきの距離は、さっきよりもずっと近い。
 あと少し自分の手を動かせば、床についているゆきの手に重なりそうだ。

「またあの耳障りな音がする世界に戻るんですか?」

 そう言って彼女は、俺の目を覗き込む。
 その瞳はまるでどこまでも落ちていけそうな穴のようでもあり、黒い宝石のようでもあった。
 不気味で、綺麗な瞳だった。

 背筋がゾクゾクと脈打つ、無意識のうちに遠くへ追いやっていた馬鹿げた疑問が、俺の頭に帰ってきた。

「君は……誰なんだ?」

 その言葉を口にしてから、妙に部屋が冷え込んできた気がする。
 おかしい、あまりにも寒すぎる。
 
 火は普通に燃えている、なのにどうしてこんな寒いんだ。
 
 ゆきは黙ったまま、上着を脱いだ。
 良く映える白いセーター、温かそうな服のはずなのになぜか寒々しい印象を与えてくる。

 彼女はふう、と小さく息を吐く。
 
「私は……ゆき、あなたに伝えた名前に嘘はありません。ただ言っていない事があるだけ……」

 彼女は、俺の手にそっと自分の手を重ねた。
 
「なっ……!」

 冷たい、まるで手の形をした氷を乗せられたような感覚が俺を襲う。
 あまりの冷たさに、驚いて振り払う事もできない。

 彼女の手は、俺の手にぴったりとはりついている。

「君は……!」

「私は雪と氷から生まれた……あなたたちの言葉を借りるなら……雪女と呼ばれる存在です」

 吹雪はまだ、止みそうにない。
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