おふとん

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 三月の第一日曜日。この日は高校三年生の卒寮式が行われた。施設の敷地内には小さな体育館があり、雨天時などは子ども達が室内遊びに使っている。そこのフロアの真ん中を花道で鮮やかに彩り、会場内も装飾を施し、卒寮していく子ども達を送り出すための儀式を執り行うという算段である。
 
 当然この式典には寮内の子ども達だけでなく、各フロアの全職員が参列する。子ども達は皆制服で、職員はスーツや礼服。ピンと張り詰めた空気は式典さながら。
 そんな中、卒寮生よりも一際浮いて目立って見えるのは菊崎である。歓迎会の時は、ワインレッドの深い赤色のスーツであったが、今日はまたそれとは違う物を身に纏っていた。茶色?黄土色?のジャケットを羽織り、緑の下地に赤と……多分黄色のチェックの入ったスラックス。お洒落には疎いおれだが、多分これはお洒落なのだろう。ただ、一人だけ結婚式の二次会の会場と間違えて入ってきたかの様。最初はやはり皆目を奪われていたが、「あの子はスーツを持っていないのかねぇ」と嘲笑したっきり、特には触れようとはしなかった。多分この一年で、皆ある程度、菊崎への免疫ができたのだろうきっと。
 おれを含め、高校生の在籍フロアの担当職員以外は、後方に並べたパイプ椅子に腰掛け参列するとのことなので、他の職員と並んでおれもその一つに腰掛けた。おれの斜め前に座った菊崎は、夕闇にポンと光る一番星の様に、この小さな会場の中でも、一人際立って見えた。

 ホーム長や高校生フロアの担当職員からの祝辞。在寮生からの送辞。そして卒寮生代表の答辞。形式的なものと言ってしまえば棘があるのかもしれないが、学校の卒業式などと同様の流れである。
 卒寮生の代表の子が答辞を読み始めた際のこと。おれより前に座っているから顔は見えやしないが、どうやら菊崎は涙を溢している様子だった。しきりに、目の当たりをジャケットの袖で拭っている。彼の隣に座る職員からポケットティッシュを受け取り、それを二枚まとめて鼻を拭きだした。
 余りを返そうと差し出していたが、その職員が笑顔でどうぞという仕草を見せたので、胸の前に小さく手を挙げて、すみませんねぇという素振りでそのまま鼻水にまみれたティッシュと一緒にポケットに仕舞い込んでいた。
 菊崎に限らず、職員にしろ子どもにしろ、泣いている者はちらほら見えた。今日までの施設生活の思い出や苦労を振り返ってか、この雰囲気に飲まれてか。理由はさておき、それが温かいものであるには違いないのであろう。式典が終わって会場から出てきた際、傾いた格好で目を腫らした菊崎は、何とも滑稽に見えた。

 

 その晩、菊崎に誘われた。また飲みに出るのかと思いきや、単車で迎えに行くから寒くない格好で待っていてくれと言う。どうやらツーリングに行く様だ。三月で多少暖かくなってきたとはいえ、まだ夜は十分冷える。何もこんな時期にとも思いはしたが、特に予定も入っていないおれは付き合うことにした。
 
 待ち合わせは十九時三十分頃。家のそばのコンビニにおれを拾いに来るというので、少し早めに向かうと真っ白なタンクのあの単車は、もう駐車場で待ち構えていた。菊崎は、おれの姿を見るなりタバコをコンビニに備え付けの灰皿に放り込み、ヘルメットを差し出しながら単車のシートに乗る様に促してきた。
「この歳になって男同士でタンデムなんてキモイとか言わないでくれよ」
 笑いながら菊崎は単車のエンジンの火を付けた。シートやステップ越しに伝わってくる重低音は、傍で聞いてるものとは比べ物にならない迫力があった。走り出すと顔に当たる夜風はキンと冷たい。しかし、風を切りつつ、車の間をすり抜けながら、過ぎていく街の光を眺めていると、その寒さも心地良く感じられた。
 
 三十分ばかり走り、私鉄の終点の駅も超えても、単車はぐんぐん飛ばしていく。
 ちょうど、あの夏祭りの河川敷まで来た。そこに掛かった大きな橋を渡ってもアクセルは緩むことはない。どこまで行くのかと菊崎に尋ねたが、風とエンジンに遮られておれの声は聞こえていない様子である。次第に単車は、街灯もほとんど無い山道へと進んでいった。
 車では離合も困難であろう道をぐんぐん登っていく。見えるのはヘッドライトが照らす数十メートル先の道路と、傍に生い茂る草木がうっすらと。良い加減行き先が不安になってきたところで、少し開けた場所に出た。単車の火を落とすと、辺りは静けさと闇に包まれた。山を登ってきていた訳だから気温も出発した時よりいくらか低いのだろうが、ひっそりと辺りを包む込む漆黒によって、より一層身が凍える様な気がしてならなかった。
 菊崎は、単車を停めた方とは反対の崖へと歩いていく。そっちの方は、ぼんやりと明るい。崖の傍にある簡易なベンチに、菊崎は腰を下ろしあぐらをかいていた。おれも菊崎の後を追おうとしたが、月のない真っ暗な中では足元がおぼつかないので、見えもしない道を恐る恐る、ゆっくりと足を運んだ。
 
 ベンチにまで辿り着いて顔を上げた途端、眼下に広がる街の光がぱぁっと飛び込んできた。おれはただただ、「おお~」という声が出た。
 タバコに火を付けながら菊崎は「良いとこでしょ?」と言う。民家や建物の灯りが山際を避けながらずうっと向こうの海まで伸びていて、それはまるで光の川。その景色に見惚れていたおれは、返事をした気になって声に出していなかったことに、少ししてから気付いた。
 ついさっきまで単車で流していた国道は、あんなに細く伸びていた。そこを走る車のライトは小さな点となって行き来している。通りから逸れたあの暗い所が、夏に子ども達と花火を見た河川敷だろう。
「俺さ、しょっちゅうここに来るんだよね。何かの節目だったり、良い事があったり。なぁんか嫌な事があったりしてもさ」
「意外だね」
「ああ、よく言われるよ」
「それは、ここに連れて来た女の子から?」
「うるせぇよ」と笑ってから菊崎は、タバコの煙をふぅっと夜空に向かって吹き出した。
 少し間を置いてから菊崎は語り始めた。
「卒寮ってさ、意外と感動するものなんだね」
 おれもベンチに腰掛けた。
「子どもにとってはさ、施設ってやっぱり窮屈なとこなんだろうなとは思うわけよ。職員は大勢いるし、子どもはその何倍もいて一緒に生活してるからさ。事情は色々あるから一概には言えないだろうけど、やっぱり親元から離れてそんな所で暮らすのは大変だろうなって思うんだよね」
 子ども達がいる寮の灯りは、大方あのあたりだろう。おれはその光を探しながら、菊崎の話に耳を傾けた。
「でもさ、いざ、卒寮だからもうすぐここを出ていかなければいけないってなると、出ていく方はもちろん、送り出す方も寂しくなるもんなんだから。人間、不思議だよなぁ」
「菊崎君大泣きしてたもんね」
 おれが少しからかう様に言うと、「うるせぇなあ」とタバコの火をポケットの灰皿に押し込んでいた。
「まぁ、そんなんだから、一緒に浸ろうかな、なんて思ってよ」
 また新たにタバコを取り出した菊崎は、深く深くその煙を吸い込んでは吐いてとしながら夜景を見ている。ぽぅっと光ってはまた弱まってと繰り返す、菊崎の咥えたタバコは、季節外れに一人起きだしてしまった、慌てん坊で儚い蛍の様だった。

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