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6、父との対話
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リリアーヌは静かに扉を開け、父の書斎へと足を踏み入れた。
公爵家の当主、アレクサンドル・グランディールがいるこの部屋は、重厚な木製の家具に囲まれ、落ち着いた雰囲気が漂っている。
書棚には古い書物が並び、机の上には文書の束。
暖炉の火が静かに揺れていた。
父は椅子に腰掛け、彼女を見やると、静かに顎を引いた。
「座れ」
「失礼いたします」
リリアーヌは優雅にスカートの裾を整え、向かいの椅子に腰を下ろす。
「夜分に呼び立てて申し訳ないな」
「いえ、お父様がこの時間にお話をお持ちになるのですもの。きっと重要なことでしょう?」
アレクサンドルはわずかに目を細める。
「……察しがいいな」
そう言うと、父は机の上に置かれた書簡を指で弾いた。
リリアーヌが視線を向けると、それは王宮からの文書らしい。
「王宮からの正式な通達だ」
リリアーヌは眉を寄せる。
「婚約破棄の正式な手続き……ではなく?」
「そうであれば、もう少し丁寧な内容になっているはずだ。だが、これはそうではない」
父は書簡を開き、静かに読み上げた。
『本日、王太子殿下の婚約破棄が宣言された件について、貴族院において正式な審議を行う。
また、聖女フェルミナ・ダルク殿の証言を基に、公爵令嬢リリアーヌ・グランディールの行動についても再検討を行う』
「……随分とふざけた内容ですね」
リリアーヌは呆れたように微笑む。
「つまり、王太子が『婚約破棄は正当なものである』と後付けで正当化したいのですね?」
「その通りだ。そして問題なのは、フェルミナ・ダルクの証言が何を意味するのか」
父は指先で机を軽く叩く。
「貴族院で何を議論するつもりかは見え透いている。『王太子殿下が正しく、リリアーヌ・グランディールに問題があった』という結論を導きたいのだろう」
リリアーヌは顎に指先を上げて、冷静に考えを巡らせる。
(つまり……今度は貴族院を使って、貶めるつもり……ということ?)
「王家の立場を保つために、わたくしに罪をなすりつける……ということですね」
「その可能性が高い。だが、公爵家がそう簡単に屈すると思っているなら、王家も随分と甘く見ているものだ」
アレクサンドルの声には微かな怒りが滲んでいた。
長年、この国の貴族社会を支えてきた公爵家を、そんな雑なやり方で潰せると本気で思っているのか——そう言いたげだ。
リリアーヌはふっと微笑む。
「王家の判断力も落ちたものですね」
「……その通りだ。元々私はあの王太子には疑問を抱いていた。あまりにも浅はかすぎる行為が多い」
父は静かに目を閉じ、深く息を吐いた。
「リリアーヌ、今後の方針について確認しておこう」
彼はゆっくりと目を開き、まっすぐに娘を見つめる。
「公爵家は、王家との関係を見直す。王太子殿下はすでに信用に値しない。今後、彼が即位したとしても、我々が全面的に支持することはない」
「……ええ。それが賢明な判断でしょう」
リリアーヌは頷く。
父の決定は当然だ。
王家は今回の件で、公爵家に対して不義を働いたも同然。
王太子ルドルフは支援する価値がない。
「しかし、だからといって王家を敵に回すことは得策ではない」
父は慎重に言葉を選びながら続ける。
「王家の弱体化が進めば、他の勢力——特に隣国が動く可能性もある。今はまだ静観しつつ、立ち位置を調整すべきだろう」
「ふふ……それではまるで、王家が衰退していくのを待つようなものですね」
「……そうなるかもしれんな」
アレクサンドルは淡々と言う。
「この国がどこに向かうのか、それを見極める時のようだな」
リリアーヌは静かに目を伏せる。
(……これが、前世の物語ならば)
本来の物語では、王太子は聖女と結ばれ、彼女の力を借りて国を繁栄へと導いた。
そして、公爵家は彼を支え、王国の礎を築く役割を担っていた——はず。
しかし、今のルドルフに、そんな器量は感じられない。
(このままでは、王国は傾くかもしれないわね……)
この国を本当に守るべき者は誰なのか。
王家か、それとも貴族か——。
リリアーヌはゆっくりと息を吐き、父を見据えた。
「お父様、わたくしにできることはございますか?」
アレクサンドルはわずかに眉を上げる。
「お前がどう動くかは、お前次第だ。ただ、ひとつ言っておく」
彼は静かに告げた。
「お前は、すでにこの国の未来を変え始めている」
リリアーヌの青い瞳が、わずかに揺れる。
(この国の未来を……変えている?)
父は淡々と続けた。
「お前は、あの場で王太子を退けた。公爵家の誇りを守り、貴族たちに疑問を抱かせた。お前が何を望むにせよ、それを忘れるな」
リリアーヌはそっと唇を引き結ぶ。
(わたくしが、未来を変えた……)
それは、まるでこの世界が「本来の物語」と違う方向へ進み始めた証。
では、ここから——。
(どう変えていくべき?この国をそれとも……わたくしと家族を?)
思考を巡らせながら、リリアーヌは再び父を見つめた。
公爵家の当主、アレクサンドル・グランディールがいるこの部屋は、重厚な木製の家具に囲まれ、落ち着いた雰囲気が漂っている。
書棚には古い書物が並び、机の上には文書の束。
暖炉の火が静かに揺れていた。
父は椅子に腰掛け、彼女を見やると、静かに顎を引いた。
「座れ」
「失礼いたします」
リリアーヌは優雅にスカートの裾を整え、向かいの椅子に腰を下ろす。
「夜分に呼び立てて申し訳ないな」
「いえ、お父様がこの時間にお話をお持ちになるのですもの。きっと重要なことでしょう?」
アレクサンドルはわずかに目を細める。
「……察しがいいな」
そう言うと、父は机の上に置かれた書簡を指で弾いた。
リリアーヌが視線を向けると、それは王宮からの文書らしい。
「王宮からの正式な通達だ」
リリアーヌは眉を寄せる。
「婚約破棄の正式な手続き……ではなく?」
「そうであれば、もう少し丁寧な内容になっているはずだ。だが、これはそうではない」
父は書簡を開き、静かに読み上げた。
『本日、王太子殿下の婚約破棄が宣言された件について、貴族院において正式な審議を行う。
また、聖女フェルミナ・ダルク殿の証言を基に、公爵令嬢リリアーヌ・グランディールの行動についても再検討を行う』
「……随分とふざけた内容ですね」
リリアーヌは呆れたように微笑む。
「つまり、王太子が『婚約破棄は正当なものである』と後付けで正当化したいのですね?」
「その通りだ。そして問題なのは、フェルミナ・ダルクの証言が何を意味するのか」
父は指先で机を軽く叩く。
「貴族院で何を議論するつもりかは見え透いている。『王太子殿下が正しく、リリアーヌ・グランディールに問題があった』という結論を導きたいのだろう」
リリアーヌは顎に指先を上げて、冷静に考えを巡らせる。
(つまり……今度は貴族院を使って、貶めるつもり……ということ?)
「王家の立場を保つために、わたくしに罪をなすりつける……ということですね」
「その可能性が高い。だが、公爵家がそう簡単に屈すると思っているなら、王家も随分と甘く見ているものだ」
アレクサンドルの声には微かな怒りが滲んでいた。
長年、この国の貴族社会を支えてきた公爵家を、そんな雑なやり方で潰せると本気で思っているのか——そう言いたげだ。
リリアーヌはふっと微笑む。
「王家の判断力も落ちたものですね」
「……その通りだ。元々私はあの王太子には疑問を抱いていた。あまりにも浅はかすぎる行為が多い」
父は静かに目を閉じ、深く息を吐いた。
「リリアーヌ、今後の方針について確認しておこう」
彼はゆっくりと目を開き、まっすぐに娘を見つめる。
「公爵家は、王家との関係を見直す。王太子殿下はすでに信用に値しない。今後、彼が即位したとしても、我々が全面的に支持することはない」
「……ええ。それが賢明な判断でしょう」
リリアーヌは頷く。
父の決定は当然だ。
王家は今回の件で、公爵家に対して不義を働いたも同然。
王太子ルドルフは支援する価値がない。
「しかし、だからといって王家を敵に回すことは得策ではない」
父は慎重に言葉を選びながら続ける。
「王家の弱体化が進めば、他の勢力——特に隣国が動く可能性もある。今はまだ静観しつつ、立ち位置を調整すべきだろう」
「ふふ……それではまるで、王家が衰退していくのを待つようなものですね」
「……そうなるかもしれんな」
アレクサンドルは淡々と言う。
「この国がどこに向かうのか、それを見極める時のようだな」
リリアーヌは静かに目を伏せる。
(……これが、前世の物語ならば)
本来の物語では、王太子は聖女と結ばれ、彼女の力を借りて国を繁栄へと導いた。
そして、公爵家は彼を支え、王国の礎を築く役割を担っていた——はず。
しかし、今のルドルフに、そんな器量は感じられない。
(このままでは、王国は傾くかもしれないわね……)
この国を本当に守るべき者は誰なのか。
王家か、それとも貴族か——。
リリアーヌはゆっくりと息を吐き、父を見据えた。
「お父様、わたくしにできることはございますか?」
アレクサンドルはわずかに眉を上げる。
「お前がどう動くかは、お前次第だ。ただ、ひとつ言っておく」
彼は静かに告げた。
「お前は、すでにこの国の未来を変え始めている」
リリアーヌの青い瞳が、わずかに揺れる。
(この国の未来を……変えている?)
父は淡々と続けた。
「お前は、あの場で王太子を退けた。公爵家の誇りを守り、貴族たちに疑問を抱かせた。お前が何を望むにせよ、それを忘れるな」
リリアーヌはそっと唇を引き結ぶ。
(わたくしが、未来を変えた……)
それは、まるでこの世界が「本来の物語」と違う方向へ進み始めた証。
では、ここから——。
(どう変えていくべき?この国をそれとも……わたくしと家族を?)
思考を巡らせながら、リリアーヌは再び父を見つめた。
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