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23、夜の囁き、王子の誘惑
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夜が深まる頃、公爵家の邸内は静寂に包まれていた。
だがその静けさを破るように、屋敷の門前で馬の蹄が石畳を打つ音が響く。
「……ロイエン・シュトラール殿下でございます。おひとりでお越しです」
執事グスタフの報告に、リリアーヌはわずかに眉をひそめた。
使者ではなく、彼自身が再び現れたということは、よほどの用件だ。
「通して。応接室ではなく……わたくしの私室に」
その判断にグスタフが一瞬だけ目を見開いたが、すぐに恭しく頷いた。
リリアーヌは鏡の前で髪を軽く整え、上質な羽織を一枚肩にかける。
(この時間に“ふらりと訪れる”王子様が、ただの使いではないのは明らか)
そして、扉が静かにノックされた。
「お入りになって」
応えた声は穏やかだが、隙はない。
扉が開かれると、あの夜と同じく、黒髪に琥珀の瞳の青年が現れた。
「……夜分に申し訳ない」
「構いませんわ。殿下のお越しなら、何時でも歓迎いたします」
リリアーヌは優雅に笑みを浮かべ、ロイエンに椅子を勧める。
ロイエンは礼を述べると、静かに腰を下ろした。
「今日来たのは、公的な用ではない。……私的な話をしに来た」
「まあ。前回も十分に“私的”でしたけれど?」
「今回は、もっと踏み込んだ話だ」
ロイエンの瞳が、じっと彼女を捉える。
そのまなざしは、政治の使者ではなく――一人の男のものだった。
「君に正式な婚約を申し込んだのは、戦略として正しい判断だと今も思っている。
だが、今夜はそういう話ではない」
リリアーヌは目を細める。
「では、何をしに?」
「君が他の誰かに攫われてしまうんじゃないかと思って、夜も眠れない。……それだけだ」
沈黙――。
まるで時間そのものが凍りついたかのような静寂が、部屋に満ちた。
リリアーヌは思わず瞳を瞬かせる。
目の前に座る男は、情熱的な言葉を軽々しく口にするような人間ではないはずだ。
どちらかといえば、理知と冷静の化身。――そう思っていたのに。
「あら……冗談も仰るのね、殿下」
軽く微笑むその声の奥に、わずかな探りが混じる。
だが、返ってきたのは、曇りのないまなざしと、低く澄んだ声だった。
「冗談ではない。真剣に言っている」
ロイエンの眼差しは、まっすぐに彼女を射抜いていた。
一切の飾りも、演技も、そこにはない。
リリアーヌは内心で小さく息をのむ。
その言葉の重さが、静かに、確かに――心に触れた。
「政治的に君が重要だということは、わかっている。だが私は――君自身が、欲しい」
「欲しい?」
「君の在り方が。強さが。美しさが。……誇り高く、だれにも媚びない君を、私は心のどこかでずっと君のような人を求めていたんだと思う」
言葉が、静かに胸に落ちていく。
リリアーヌはあえて視線を外し、窓の外の夜空に目を向けた。
(これは……わたくしに一目惚れした……ということかしら?)
「……殿下。あなたは本気でそう仰っているの?」
「本気だ。……政治も、国も、家名も捨てていいとは言わない。だが、それとは別に、私は君を望んでいる。……男として」
その言葉は、リリアーヌの胸に静かに沈んでいった。
淡く揺れる蝋燭の灯が、ふたりの間を柔らかく照らす。
「……困りましたわね」
リリアーヌは小さく苦笑を漏らして、首を傾げた。
ロイエンに嫌悪感はない。見た目も立場もその頭脳も悪くはない。
ただ、彼と結婚は視野に入れても、それは政治的な判断であり、恋愛など考えたことがなかった。
「困らせたくて来たわけじゃない。だが、どうしても伝えておきたかった。君がこれから何を選ぶにせよ、その判断の中に……“私”も選択肢として残してくれれば、それでいい」
リリアーヌはしばらく黙っていた。
だがやがて、息を吐き、微笑む。
「あなたはずるいわ、殿下。……あまりにも真剣で、誠実で。わたくし、理性で動くつもりなのに……心が揺れてしまうではありませんの」
ロイエンもまた、わずかに笑う。
「それなら良かった。君が少しでも“人”として、私を見てくれるのなら」
リリアーヌは椅子から立ち上がり、彼に歩み寄る。
「でも、まだ答えは出しませんわ。私は公爵令嬢。――何より、自分の物語の主人公。
だから、自分の物語を今閉じることはできないの」
「わかっている。……だからこそ、君を惹かれてしまった。ただ、それを伝えたかった」
その言葉に、リリアーヌの瞳が一瞬だけ揺れた。
そして――彼女は微笑む。
「ならば、殿下。わたくしを誘惑するのなら……その誠意、最後まで見せていただきますわね?」
ロイエンは立ち上がり、彼女の手を取る。
「もちろん。君が誰にも奪われぬように」
そして、その手に一礼し、扉へと向かう。
静かに閉まる扉。
残されたリリアーヌは、窓の外を見ながらそっとつぶやいた。
「……ロイエン様。意外にあなたは……抜け目のない男ね」
今、この状況で、そしてそれが真実として。
且つ、伝えに来たのは計算ではなく衝動的と言うならば──天性として気配を読む天才かもしれない。
いよいよリリアーヌも気が抜けないというものだ。
だが、その口元には、確かに――微笑が浮かんでいた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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だがその静けさを破るように、屋敷の門前で馬の蹄が石畳を打つ音が響く。
「……ロイエン・シュトラール殿下でございます。おひとりでお越しです」
執事グスタフの報告に、リリアーヌはわずかに眉をひそめた。
使者ではなく、彼自身が再び現れたということは、よほどの用件だ。
「通して。応接室ではなく……わたくしの私室に」
その判断にグスタフが一瞬だけ目を見開いたが、すぐに恭しく頷いた。
リリアーヌは鏡の前で髪を軽く整え、上質な羽織を一枚肩にかける。
(この時間に“ふらりと訪れる”王子様が、ただの使いではないのは明らか)
そして、扉が静かにノックされた。
「お入りになって」
応えた声は穏やかだが、隙はない。
扉が開かれると、あの夜と同じく、黒髪に琥珀の瞳の青年が現れた。
「……夜分に申し訳ない」
「構いませんわ。殿下のお越しなら、何時でも歓迎いたします」
リリアーヌは優雅に笑みを浮かべ、ロイエンに椅子を勧める。
ロイエンは礼を述べると、静かに腰を下ろした。
「今日来たのは、公的な用ではない。……私的な話をしに来た」
「まあ。前回も十分に“私的”でしたけれど?」
「今回は、もっと踏み込んだ話だ」
ロイエンの瞳が、じっと彼女を捉える。
そのまなざしは、政治の使者ではなく――一人の男のものだった。
「君に正式な婚約を申し込んだのは、戦略として正しい判断だと今も思っている。
だが、今夜はそういう話ではない」
リリアーヌは目を細める。
「では、何をしに?」
「君が他の誰かに攫われてしまうんじゃないかと思って、夜も眠れない。……それだけだ」
沈黙――。
まるで時間そのものが凍りついたかのような静寂が、部屋に満ちた。
リリアーヌは思わず瞳を瞬かせる。
目の前に座る男は、情熱的な言葉を軽々しく口にするような人間ではないはずだ。
どちらかといえば、理知と冷静の化身。――そう思っていたのに。
「あら……冗談も仰るのね、殿下」
軽く微笑むその声の奥に、わずかな探りが混じる。
だが、返ってきたのは、曇りのないまなざしと、低く澄んだ声だった。
「冗談ではない。真剣に言っている」
ロイエンの眼差しは、まっすぐに彼女を射抜いていた。
一切の飾りも、演技も、そこにはない。
リリアーヌは内心で小さく息をのむ。
その言葉の重さが、静かに、確かに――心に触れた。
「政治的に君が重要だということは、わかっている。だが私は――君自身が、欲しい」
「欲しい?」
「君の在り方が。強さが。美しさが。……誇り高く、だれにも媚びない君を、私は心のどこかでずっと君のような人を求めていたんだと思う」
言葉が、静かに胸に落ちていく。
リリアーヌはあえて視線を外し、窓の外の夜空に目を向けた。
(これは……わたくしに一目惚れした……ということかしら?)
「……殿下。あなたは本気でそう仰っているの?」
「本気だ。……政治も、国も、家名も捨てていいとは言わない。だが、それとは別に、私は君を望んでいる。……男として」
その言葉は、リリアーヌの胸に静かに沈んでいった。
淡く揺れる蝋燭の灯が、ふたりの間を柔らかく照らす。
「……困りましたわね」
リリアーヌは小さく苦笑を漏らして、首を傾げた。
ロイエンに嫌悪感はない。見た目も立場もその頭脳も悪くはない。
ただ、彼と結婚は視野に入れても、それは政治的な判断であり、恋愛など考えたことがなかった。
「困らせたくて来たわけじゃない。だが、どうしても伝えておきたかった。君がこれから何を選ぶにせよ、その判断の中に……“私”も選択肢として残してくれれば、それでいい」
リリアーヌはしばらく黙っていた。
だがやがて、息を吐き、微笑む。
「あなたはずるいわ、殿下。……あまりにも真剣で、誠実で。わたくし、理性で動くつもりなのに……心が揺れてしまうではありませんの」
ロイエンもまた、わずかに笑う。
「それなら良かった。君が少しでも“人”として、私を見てくれるのなら」
リリアーヌは椅子から立ち上がり、彼に歩み寄る。
「でも、まだ答えは出しませんわ。私は公爵令嬢。――何より、自分の物語の主人公。
だから、自分の物語を今閉じることはできないの」
「わかっている。……だからこそ、君を惹かれてしまった。ただ、それを伝えたかった」
その言葉に、リリアーヌの瞳が一瞬だけ揺れた。
そして――彼女は微笑む。
「ならば、殿下。わたくしを誘惑するのなら……その誠意、最後まで見せていただきますわね?」
ロイエンは立ち上がり、彼女の手を取る。
「もちろん。君が誰にも奪われぬように」
そして、その手に一礼し、扉へと向かう。
静かに閉まる扉。
残されたリリアーヌは、窓の外を見ながらそっとつぶやいた。
「……ロイエン様。意外にあなたは……抜け目のない男ね」
今、この状況で、そしてそれが真実として。
且つ、伝えに来たのは計算ではなく衝動的と言うならば──天性として気配を読む天才かもしれない。
いよいよリリアーヌも気が抜けないというものだ。
だが、その口元には、確かに――微笑が浮かんでいた。
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