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24、揺れる心と、明けぬ夜
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ロイエンが去ったあとも、リリアーヌの私室には静けさが続いていた。
蝋燭の火はわずかに揺れ、壁に伸びた影を柔らかく躍らせている。
だが、その静寂の中に、彼女の心だけが静かに波立っていた。
(……私を「欲しい」と、言ったわね)
政治でもなく、外交でもなく。
「男として」と、彼は確かにそう言った。
それは、リリアーヌが生涯において最も距離を置いてきた言葉だった。
(恋愛は、足をすくわれる。そう思っていたのに)
ふと立ち上がり、鏡の前に歩み寄る。
映るのは、凛とした表情の自分――だが、その目には、ほんのかすかに戸惑いの色が混じっていた。
「……それなりにわたくしも、年相応と言うことかしらね」
誰にともなくつぶやいた声は、小さな笑いが含まれたように響く。
だが、心の奥では違う感情が芽吹いていた。
(軽々しく口説いたりするタイプじゃないとは思うけれど……。それでも、手放しで喜ぶのは早いでしょうね)
そのとき、扉の外から控えめなノックが聞こえた。
「お嬢様。……お休みのところ失礼をば」
執事グスタフの声だ。
「どうぞ」
返事をすると、扉が開き、彼が静かに入ってくる。
その手には一通の書簡。
「殿下が、お帰りの際に残されたお手紙です」
「……手紙?」
受け取った封筒には、彼の印章も署名もない。
ただ、リリアーヌの名が筆致鋭く書かれているだけ。
蝋燭の灯の下でそっと封を切ると、短い文章が目に飛び込んできた。
《これは命令でも願いでもない。ただ、伝えたいと思った。
君がもし、未来に迷った時、私が隣にいたいと――そう思っている。》
一読し、そっと手紙を折る。
その字の一つひとつが、どこまでも端正で、嘘のない意志を感じさせた。
「……ずるい男ね」
そうつぶやいたが、今度はもう少し――やさしい声だった。
翌朝。
リリアーヌはいつも通り早朝の報告を受け、執務室で地図と文書に向き合っていた。
だが、その指の動きが、わずかに鈍い。
「お嬢様?」
声をかけてきたのは、側近である女官・セシリア。
リリアーヌはすぐに背筋を正し、表情を整える。
「何か問題でも?」
「いえ……ただ、少しお疲れのように見えましたので」
「……そう見えたなら、精進が足りないわね。気を引き締めるわ」
微笑みを返したものの、その笑みにはいつもの鋭さがなかった。
(私は今、何を優先すべきかを問われている)
国家の未来、王宮の腐敗、フェルミナの信仰支配――それらすべてが背中にのしかかっている。
その上で、ロイエンという男が、私に「生き方」そのものを問うてきた。
(彼を選べば、たぶん私は――)
守られる側になる。
一国の王弟妃として、あるいは“隣で支える者”として生きることになる。
(それは自分で動くよりも楽でしょうね。けれどそれが望むことなのか……どうかしら、リリアーヌ?“私”……)
そのとき、使用人が血相を変えて部屋に駆け込んできた。
「お嬢様、至急です! ……“聖女庁”が王都南部にて、演説と“施し”を始めたとの報せが!」
リリアーヌは、すっと立ち上がった。
瞳に迷いはなかった。
「状況は?」
「すでに数百人が集まり、“神託による分配”として食糧や銀貨を受け取っているとのこと。
王宮からの兵も出ていますが、民衆に手が出せず、ただ見守るのみだと……」
「完全に、“支配”の第一歩ね……」
リリアーヌは視線を窓の外へと向ける。
その先にあるのは、フェルミナの微笑か、あるいは――炎の予兆か。
「急いでお兄様を呼んでちょうだい。いよいよこちらも、次の一手を打つ時よ」
たとえ夜に囁かれた甘い言葉が、心の奥で灯をともしたとしても――
リリアーヌ・グランディールは歩みを止めない。
(わたくしの物語を生きるために。わたくし自身の意志で、世界を変えるために)
窓の外、陽光が射し始める。
そして、その光に背中を押されるように、彼女は執務室の扉を開けた。
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蝋燭の火はわずかに揺れ、壁に伸びた影を柔らかく躍らせている。
だが、その静寂の中に、彼女の心だけが静かに波立っていた。
(……私を「欲しい」と、言ったわね)
政治でもなく、外交でもなく。
「男として」と、彼は確かにそう言った。
それは、リリアーヌが生涯において最も距離を置いてきた言葉だった。
(恋愛は、足をすくわれる。そう思っていたのに)
ふと立ち上がり、鏡の前に歩み寄る。
映るのは、凛とした表情の自分――だが、その目には、ほんのかすかに戸惑いの色が混じっていた。
「……それなりにわたくしも、年相応と言うことかしらね」
誰にともなくつぶやいた声は、小さな笑いが含まれたように響く。
だが、心の奥では違う感情が芽吹いていた。
(軽々しく口説いたりするタイプじゃないとは思うけれど……。それでも、手放しで喜ぶのは早いでしょうね)
そのとき、扉の外から控えめなノックが聞こえた。
「お嬢様。……お休みのところ失礼をば」
執事グスタフの声だ。
「どうぞ」
返事をすると、扉が開き、彼が静かに入ってくる。
その手には一通の書簡。
「殿下が、お帰りの際に残されたお手紙です」
「……手紙?」
受け取った封筒には、彼の印章も署名もない。
ただ、リリアーヌの名が筆致鋭く書かれているだけ。
蝋燭の灯の下でそっと封を切ると、短い文章が目に飛び込んできた。
《これは命令でも願いでもない。ただ、伝えたいと思った。
君がもし、未来に迷った時、私が隣にいたいと――そう思っている。》
一読し、そっと手紙を折る。
その字の一つひとつが、どこまでも端正で、嘘のない意志を感じさせた。
「……ずるい男ね」
そうつぶやいたが、今度はもう少し――やさしい声だった。
翌朝。
リリアーヌはいつも通り早朝の報告を受け、執務室で地図と文書に向き合っていた。
だが、その指の動きが、わずかに鈍い。
「お嬢様?」
声をかけてきたのは、側近である女官・セシリア。
リリアーヌはすぐに背筋を正し、表情を整える。
「何か問題でも?」
「いえ……ただ、少しお疲れのように見えましたので」
「……そう見えたなら、精進が足りないわね。気を引き締めるわ」
微笑みを返したものの、その笑みにはいつもの鋭さがなかった。
(私は今、何を優先すべきかを問われている)
国家の未来、王宮の腐敗、フェルミナの信仰支配――それらすべてが背中にのしかかっている。
その上で、ロイエンという男が、私に「生き方」そのものを問うてきた。
(彼を選べば、たぶん私は――)
守られる側になる。
一国の王弟妃として、あるいは“隣で支える者”として生きることになる。
(それは自分で動くよりも楽でしょうね。けれどそれが望むことなのか……どうかしら、リリアーヌ?“私”……)
そのとき、使用人が血相を変えて部屋に駆け込んできた。
「お嬢様、至急です! ……“聖女庁”が王都南部にて、演説と“施し”を始めたとの報せが!」
リリアーヌは、すっと立ち上がった。
瞳に迷いはなかった。
「状況は?」
「すでに数百人が集まり、“神託による分配”として食糧や銀貨を受け取っているとのこと。
王宮からの兵も出ていますが、民衆に手が出せず、ただ見守るのみだと……」
「完全に、“支配”の第一歩ね……」
リリアーヌは視線を窓の外へと向ける。
その先にあるのは、フェルミナの微笑か、あるいは――炎の予兆か。
「急いでお兄様を呼んでちょうだい。いよいよこちらも、次の一手を打つ時よ」
たとえ夜に囁かれた甘い言葉が、心の奥で灯をともしたとしても――
リリアーヌ・グランディールは歩みを止めない。
(わたくしの物語を生きるために。わたくし自身の意志で、世界を変えるために)
窓の外、陽光が射し始める。
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