6 / 33
Amitié amourouse 恋は薔薇のしらべ
6 大地の匂い
しおりを挟む
「うーん、まったく……これは新しい発見です」
くるくると麺をフォークに巻きつけ、アルノーは感心してうなった。
「まさかズッキーニが、パスタの代わりになるとは」
畑で育ち過ぎたズッキーニを、陽色はピーラーでできるだけ長く、厚めにスライスした。そうすると、かぼちゃの一種であるズッキーニは、見た目も触感も、フェットチーネの代用になる。ただパスタに比べると水っぽくあっさりしているから、ソースは濃厚なゴルゴンゾーラチーズのソースにした。
「おいしいです」
そう言うアルノーの腕の白すぎる包帯は、器用にも彼が自分で巻いた。
食事に手もつけず申し訳なさそうにそれを見る陽色に、アルノーはやれやれ、といいたげに指を組んだ。
「陽色さん」
「……はい」
「僕はもう痛くもないし、気にもしていないのに、どうしてまだそんな顔を?」
「でも……」
アルノーはふぅっと吐息をつくと、
「おいしく食べるには、料理がおいしいだけじゃダメなんですよ。バラが、綺麗なだけじゃ物足りないようにね」
急に日本語になって続けた。
「たとえば香りのように。一緒に食べてくれる人が、笑顔でいてくれないと、僕は嫌なんです」
アルノーの言いたいことは理解できた。普段一人で食事をする彼にとって、こうして誰かと食卓を囲む機会もそうはないはずで、陽色もそのひと時を台無しにしたくはなかった。
「香り……笑顔……」
陽色は無理に笑おうとして、それが出来ずにうつむいた。
「あ──なんかまずいこと言ったかな」
狼狽えたアルノーの声に、陽色は自分の視界が揺らめくのに気づいた。いつの間にか涙が溢れていた。
泣く理由もないのに、第一、悲しくもないというのに、なぜ涙が溢れてくるのだろう?
首を傾げたら、下まつ毛を重たくしていた涙の雫が、ぽとりとテーブルに落ちた。
「陽色さん……」
「不思議です。今のアルノーさんの話に、泣く要素はゼロだったのに」
「そうですよね、良かった。いや、悪かった」
「僕、おかしいです」
「そうですね! いや、そんなことないです」
「あははっ」
陽色は両手で顔を覆った。
「あ……雨」
とん、とん、と、不意に屋根を打つ小さな音に、陽色は天井を見上げた。雨を気にするそぶりで、上を向いたまま鼻をすすった。
アルノーもつられて天井を見上げながら、あっという間に連続する雨音の響きに耳を澄ませている。
「激しいですね。山道はぬかるみます、今夜はここに泊まってはいかがですか?」
もちろん、陽色さんの予定がなければの話ですけど、と付け加えて言うのに、陽色は目をしばたたいて答えた。
「洗い物や、掃除や洗濯をさせてください」
怪我をしたアルノーの腕を気づかっての言葉だった。
ため息が聞こえた気がして顔を正面に戻すと、アルノーが真っ直ぐに陽色の目を覗き込んでいた。
「そういう理由では泊められないなぁ」
低められた声に、心臓が大きく鳴った。思いがけない強い直視に、まごつきながらも視線を合わせると、アルノーはその顔から笑みを消していた。
組んだ指に顎を乗せて、しばらく無言で陽色を見つめた後、こう訊いた。
「あなたは、僕の精油が欲しい。僕は代わりに、あなたの何が欲しいと思いますか?」
「え……?」
「お金? それとも名声ですか? 安定した生活? さてなんだろう。僕にもわからない。だけど僕は、今までのブローカーのようにあなたを追い払おうとは思わなかったし、今朝あなたを山道で待っているとき、待ち遠しいとさえ思ったんですよ」
出会ってたった三日ですが、と、アルノーはどこか不敵な笑みを唇に浮かべた。
「だけど、こんなお遊びを続けていても埒が明かないでしょう。だいたい、お互い仕事になりません」
だから、もう決着をつけましょう、とアルノーは言った。
「明日、テストをしましょう。僕の精油をかけて──」
「テスト、ですか?」
「はい。僕は僕の精油を営利目的だけで扱ってほしくはない。けれど納得できる相手になら、お分けしても良いと考えています。そのための簡単なテストをさせてください。
何、僕が選ぶ草花の品種を当てるだけのテストです。全部当てれば、あなたの勝ち。あの精油をあるだけ差し上げますし、安定して生産できるように努力もしましょう。けれど一つでも外せば、僕の勝ち。あなたは精油のことはすっかり忘れて、すぐに日本に帰る。どうです?」
「……嫌だと言っても、もう僕にはアルノーさんを説得できるチャンスがないということですか」
「そうです」
「だったら受けるしかないです。僕に選択肢は元々ない」
「そんな言い方はやめてください。虐めている気分だ。陽色さんには、かけるものも、失うものもないということですよ」
そう言う男の真意が汲み取れず、陽色はじっとその瞳を見つめ返した。
アルノーは瞼を伏せると、綺麗な指先でフォークを回して、たっぷりとフェットチーネをすくいとった。どろりとしたソースが、皿に落ちた。
「受けます」
きっぱりと返事をすると、アルノーは頷いてパスタを口に運ぶ。
陽色はなぜか無性に、泣き顔を見せたことが悔しくなって、競うようにフォークで巻き取ったパスタを、大口を開けて口に突っ込んだ。
ゴルゴンゾーラの香りは、まだ熟成過程のように青臭く感じられた。いや、そうじゃない。
きっとずっしりと重たいズッキーニが含んでいた、ここの大地の匂い。この男が育てた土と野菜の力強さなのだと陽色は思う。
だからなんだと言うのだ、僕は絶対に負けないと、むきになってパスタを平らげ、陽色は舌を出して唇のソースを舐めた。
その時アルノーの顔に、わずかな驚きが掠めたのに気づきもしなかった。
くるくると麺をフォークに巻きつけ、アルノーは感心してうなった。
「まさかズッキーニが、パスタの代わりになるとは」
畑で育ち過ぎたズッキーニを、陽色はピーラーでできるだけ長く、厚めにスライスした。そうすると、かぼちゃの一種であるズッキーニは、見た目も触感も、フェットチーネの代用になる。ただパスタに比べると水っぽくあっさりしているから、ソースは濃厚なゴルゴンゾーラチーズのソースにした。
「おいしいです」
そう言うアルノーの腕の白すぎる包帯は、器用にも彼が自分で巻いた。
食事に手もつけず申し訳なさそうにそれを見る陽色に、アルノーはやれやれ、といいたげに指を組んだ。
「陽色さん」
「……はい」
「僕はもう痛くもないし、気にもしていないのに、どうしてまだそんな顔を?」
「でも……」
アルノーはふぅっと吐息をつくと、
「おいしく食べるには、料理がおいしいだけじゃダメなんですよ。バラが、綺麗なだけじゃ物足りないようにね」
急に日本語になって続けた。
「たとえば香りのように。一緒に食べてくれる人が、笑顔でいてくれないと、僕は嫌なんです」
アルノーの言いたいことは理解できた。普段一人で食事をする彼にとって、こうして誰かと食卓を囲む機会もそうはないはずで、陽色もそのひと時を台無しにしたくはなかった。
「香り……笑顔……」
陽色は無理に笑おうとして、それが出来ずにうつむいた。
「あ──なんかまずいこと言ったかな」
狼狽えたアルノーの声に、陽色は自分の視界が揺らめくのに気づいた。いつの間にか涙が溢れていた。
泣く理由もないのに、第一、悲しくもないというのに、なぜ涙が溢れてくるのだろう?
首を傾げたら、下まつ毛を重たくしていた涙の雫が、ぽとりとテーブルに落ちた。
「陽色さん……」
「不思議です。今のアルノーさんの話に、泣く要素はゼロだったのに」
「そうですよね、良かった。いや、悪かった」
「僕、おかしいです」
「そうですね! いや、そんなことないです」
「あははっ」
陽色は両手で顔を覆った。
「あ……雨」
とん、とん、と、不意に屋根を打つ小さな音に、陽色は天井を見上げた。雨を気にするそぶりで、上を向いたまま鼻をすすった。
アルノーもつられて天井を見上げながら、あっという間に連続する雨音の響きに耳を澄ませている。
「激しいですね。山道はぬかるみます、今夜はここに泊まってはいかがですか?」
もちろん、陽色さんの予定がなければの話ですけど、と付け加えて言うのに、陽色は目をしばたたいて答えた。
「洗い物や、掃除や洗濯をさせてください」
怪我をしたアルノーの腕を気づかっての言葉だった。
ため息が聞こえた気がして顔を正面に戻すと、アルノーが真っ直ぐに陽色の目を覗き込んでいた。
「そういう理由では泊められないなぁ」
低められた声に、心臓が大きく鳴った。思いがけない強い直視に、まごつきながらも視線を合わせると、アルノーはその顔から笑みを消していた。
組んだ指に顎を乗せて、しばらく無言で陽色を見つめた後、こう訊いた。
「あなたは、僕の精油が欲しい。僕は代わりに、あなたの何が欲しいと思いますか?」
「え……?」
「お金? それとも名声ですか? 安定した生活? さてなんだろう。僕にもわからない。だけど僕は、今までのブローカーのようにあなたを追い払おうとは思わなかったし、今朝あなたを山道で待っているとき、待ち遠しいとさえ思ったんですよ」
出会ってたった三日ですが、と、アルノーはどこか不敵な笑みを唇に浮かべた。
「だけど、こんなお遊びを続けていても埒が明かないでしょう。だいたい、お互い仕事になりません」
だから、もう決着をつけましょう、とアルノーは言った。
「明日、テストをしましょう。僕の精油をかけて──」
「テスト、ですか?」
「はい。僕は僕の精油を営利目的だけで扱ってほしくはない。けれど納得できる相手になら、お分けしても良いと考えています。そのための簡単なテストをさせてください。
何、僕が選ぶ草花の品種を当てるだけのテストです。全部当てれば、あなたの勝ち。あの精油をあるだけ差し上げますし、安定して生産できるように努力もしましょう。けれど一つでも外せば、僕の勝ち。あなたは精油のことはすっかり忘れて、すぐに日本に帰る。どうです?」
「……嫌だと言っても、もう僕にはアルノーさんを説得できるチャンスがないということですか」
「そうです」
「だったら受けるしかないです。僕に選択肢は元々ない」
「そんな言い方はやめてください。虐めている気分だ。陽色さんには、かけるものも、失うものもないということですよ」
そう言う男の真意が汲み取れず、陽色はじっとその瞳を見つめ返した。
アルノーは瞼を伏せると、綺麗な指先でフォークを回して、たっぷりとフェットチーネをすくいとった。どろりとしたソースが、皿に落ちた。
「受けます」
きっぱりと返事をすると、アルノーは頷いてパスタを口に運ぶ。
陽色はなぜか無性に、泣き顔を見せたことが悔しくなって、競うようにフォークで巻き取ったパスタを、大口を開けて口に突っ込んだ。
ゴルゴンゾーラの香りは、まだ熟成過程のように青臭く感じられた。いや、そうじゃない。
きっとずっしりと重たいズッキーニが含んでいた、ここの大地の匂い。この男が育てた土と野菜の力強さなのだと陽色は思う。
だからなんだと言うのだ、僕は絶対に負けないと、むきになってパスタを平らげ、陽色は舌を出して唇のソースを舐めた。
その時アルノーの顔に、わずかな驚きが掠めたのに気づきもしなかった。
19
あなたにおすすめの小説
入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?
monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。
そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。
主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。
※今回の表紙はAI生成です
※小説家になろうにも公開してます
【完結】護衛騎士の忠誠は皇子への揺るぎない溺愛
卯藤ローレン
BL
――『皇帝の怒りを買い、私邸に幽閉された』という仄暗い噂を持つ皇子に会ったら、あまりにも清らかな人でした――
この物語の舞台は、とある大陸の最西端に位置する国、ファンデミア皇国。近衛騎士団に転属となったブラッドリーは、第四皇子の護衛騎士に任命された。実際に会ったその人は、とっても気さくでとってもマイペース、意外とちょっとやんちゃ。そして、市民から『英雄』と称され絶大に慕われていた。それは奇病――皇子が生まれながらに有している奇跡の力で、密かに国を救っているからだった。しかしその力は、多方面からめちゃくちゃに命を狙われる原因にもなっていて……。皇子に向く刃、ブラッドリーはその全てから身を挺して主人を護る。
襲撃されて、愛を自覚して、筋トレして、愛を育んで、また襲撃されて。
たったひとりの愛しい皇子を、護衛騎士は護って護って護り抜く。
主従関係の上に咲く激重な溺愛を、やかましい使用人ズと共に、しっとりめなラブコメでお送りします。
◇筋肉バカつよつよ年下騎士×マイペース花咲く年上皇子
◇21日からは12時と18時の2回更新。
何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか
風
BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。
……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、
気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。
「僕は、あなたを守ると決めたのです」
いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。
けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――?
身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。
“王子”である俺は、彼に恋をした。
だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。
これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、
彼だけを見つめ続けた騎士の、
世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
僕たち、結婚することになりました
リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった!
後輩はモテモテな25歳。
俺は37歳。
笑えるBL。ラブコメディ💛
fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。
影武者は身の程知らずの恋をする
永川さき
BL
孤児院出身のライリーは農場で働いている傍ら、冒険者を副業としている。
しかし、農場では副業が禁止である上に、冒険者は孤児院で嫌悪の対象となっている。
解雇や失望されてしまう可能性があっても冒険者として働くのは、貧しい孤児院に仕送りをするためだった。
そんなある日、冒険者ギルドから帰宅する途中、正体不明の男に尾行される。
刃を交え、ギリギリのところで男を振り切ったが、逃げ切れていなかったとわかったのは、その数日後のこと。
孤児院に現れたのは王宮の近衛騎士の三人。
そのうちの一人であるユリウスは、ライリーが尾行を振り切った正体不明の男だった。
自身の出自を餌に、そして言外に副業やその内容をバラすと脅され、王宮に行くことを決意したライリーを待ち受ける運命とは……。
近衛騎士×元孤児の影武者の切ない身分差BL。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる