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Amitié amourouse 恋は薔薇のしらべ
6 大地の匂い
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「うーん、まったく……これは新しい発見です」
くるくると麺をフォークに巻きつけ、アルノーは感心してうなった。
「まさかズッキーニが、パスタの代わりになるとは」
畑で育ち過ぎたズッキーニを、陽色はピーラーでできるだけ長く、厚めにスライスした。そうすると、かぼちゃの一種であるズッキーニは、見た目も触感も、フェットチーネの代用になる。ただパスタに比べると水っぽくあっさりしているから、ソースは濃厚なゴルゴンゾーラチーズのソースにした。
「おいしいです」
そう言うアルノーの腕の白すぎる包帯は、器用にも彼が自分で巻いた。
食事に手もつけず申し訳なさそうにそれを見る陽色に、アルノーはやれやれ、といいたげに指を組んだ。
「陽色さん」
「……はい」
「僕はもう痛くもないし、気にもしていないのに、どうしてまだそんな顔を?」
「でも……」
アルノーはふぅっと吐息をつくと、
「おいしく食べるには、料理がおいしいだけじゃダメなんですよ。バラが、綺麗なだけじゃ物足りないようにね」
急に日本語になって続けた。
「たとえば香りのように。一緒に食べてくれる人が、笑顔でいてくれないと、僕は嫌なんです」
アルノーの言いたいことは理解できた。普段一人で食事をする彼にとって、こうして誰かと食卓を囲む機会もそうはないはずで、陽色もそのひと時を台無しにしたくはなかった。
「香り……笑顔……」
陽色は無理に笑おうとして、それが出来ずにうつむいた。
「あ──なんかまずいこと言ったかな」
狼狽えたアルノーの声に、陽色は自分の視界が揺らめくのに気づいた。いつの間にか涙が溢れていた。
泣く理由もないのに、第一、悲しくもないというのに、なぜ涙が溢れてくるのだろう?
首を傾げたら、下まつ毛を重たくしていた涙の雫が、ぽとりとテーブルに落ちた。
「陽色さん……」
「不思議です。今のアルノーさんの話に、泣く要素はゼロだったのに」
「そうですよね、良かった。いや、悪かった」
「僕、おかしいです」
「そうですね! いや、そんなことないです」
「あははっ」
陽色は両手で顔を覆った。
「あ……雨」
とん、とん、と、不意に屋根を打つ小さな音に、陽色は天井を見上げた。雨を気にするそぶりで、上を向いたまま鼻をすすった。
アルノーもつられて天井を見上げながら、あっという間に連続する雨音の響きに耳を澄ませている。
「激しいですね。山道はぬかるみます、今夜はここに泊まってはいかがですか?」
もちろん、陽色さんの予定がなければの話ですけど、と付け加えて言うのに、陽色は目をしばたたいて答えた。
「洗い物や、掃除や洗濯をさせてください」
怪我をしたアルノーの腕を気づかっての言葉だった。
ため息が聞こえた気がして顔を正面に戻すと、アルノーが真っ直ぐに陽色の目を覗き込んでいた。
「そういう理由では泊められないなぁ」
低められた声に、心臓が大きく鳴った。思いがけない強い直視に、まごつきながらも視線を合わせると、アルノーはその顔から笑みを消していた。
組んだ指に顎を乗せて、しばらく無言で陽色を見つめた後、こう訊いた。
「あなたは、僕の精油が欲しい。僕は代わりに、あなたの何が欲しいと思いますか?」
「え……?」
「お金? それとも名声ですか? 安定した生活? さてなんだろう。僕にもわからない。だけど僕は、今までのブローカーのようにあなたを追い払おうとは思わなかったし、今朝あなたを山道で待っているとき、待ち遠しいとさえ思ったんですよ」
出会ってたった三日ですが、と、アルノーはどこか不敵な笑みを唇に浮かべた。
「だけど、こんなお遊びを続けていても埒が明かないでしょう。だいたい、お互い仕事になりません」
だから、もう決着をつけましょう、とアルノーは言った。
「明日、テストをしましょう。僕の精油をかけて──」
「テスト、ですか?」
「はい。僕は僕の精油を営利目的だけで扱ってほしくはない。けれど納得できる相手になら、お分けしても良いと考えています。そのための簡単なテストをさせてください。
何、僕が選ぶ草花の品種を当てるだけのテストです。全部当てれば、あなたの勝ち。あの精油をあるだけ差し上げますし、安定して生産できるように努力もしましょう。けれど一つでも外せば、僕の勝ち。あなたは精油のことはすっかり忘れて、すぐに日本に帰る。どうです?」
「……嫌だと言っても、もう僕にはアルノーさんを説得できるチャンスがないということですか」
「そうです」
「だったら受けるしかないです。僕に選択肢は元々ない」
「そんな言い方はやめてください。虐めている気分だ。陽色さんには、かけるものも、失うものもないということですよ」
そう言う男の真意が汲み取れず、陽色はじっとその瞳を見つめ返した。
アルノーは瞼を伏せると、綺麗な指先でフォークを回して、たっぷりとフェットチーネをすくいとった。どろりとしたソースが、皿に落ちた。
「受けます」
きっぱりと返事をすると、アルノーは頷いてパスタを口に運ぶ。
陽色はなぜか無性に、泣き顔を見せたことが悔しくなって、競うようにフォークで巻き取ったパスタを、大口を開けて口に突っ込んだ。
ゴルゴンゾーラの香りは、まだ熟成過程のように青臭く感じられた。いや、そうじゃない。
きっとずっしりと重たいズッキーニが含んでいた、ここの大地の匂い。この男が育てた土と野菜の力強さなのだと陽色は思う。
だからなんだと言うのだ、僕は絶対に負けないと、むきになってパスタを平らげ、陽色は舌を出して唇のソースを舐めた。
その時アルノーの顔に、わずかな驚きが掠めたのに気づきもしなかった。
くるくると麺をフォークに巻きつけ、アルノーは感心してうなった。
「まさかズッキーニが、パスタの代わりになるとは」
畑で育ち過ぎたズッキーニを、陽色はピーラーでできるだけ長く、厚めにスライスした。そうすると、かぼちゃの一種であるズッキーニは、見た目も触感も、フェットチーネの代用になる。ただパスタに比べると水っぽくあっさりしているから、ソースは濃厚なゴルゴンゾーラチーズのソースにした。
「おいしいです」
そう言うアルノーの腕の白すぎる包帯は、器用にも彼が自分で巻いた。
食事に手もつけず申し訳なさそうにそれを見る陽色に、アルノーはやれやれ、といいたげに指を組んだ。
「陽色さん」
「……はい」
「僕はもう痛くもないし、気にもしていないのに、どうしてまだそんな顔を?」
「でも……」
アルノーはふぅっと吐息をつくと、
「おいしく食べるには、料理がおいしいだけじゃダメなんですよ。バラが、綺麗なだけじゃ物足りないようにね」
急に日本語になって続けた。
「たとえば香りのように。一緒に食べてくれる人が、笑顔でいてくれないと、僕は嫌なんです」
アルノーの言いたいことは理解できた。普段一人で食事をする彼にとって、こうして誰かと食卓を囲む機会もそうはないはずで、陽色もそのひと時を台無しにしたくはなかった。
「香り……笑顔……」
陽色は無理に笑おうとして、それが出来ずにうつむいた。
「あ──なんかまずいこと言ったかな」
狼狽えたアルノーの声に、陽色は自分の視界が揺らめくのに気づいた。いつの間にか涙が溢れていた。
泣く理由もないのに、第一、悲しくもないというのに、なぜ涙が溢れてくるのだろう?
首を傾げたら、下まつ毛を重たくしていた涙の雫が、ぽとりとテーブルに落ちた。
「陽色さん……」
「不思議です。今のアルノーさんの話に、泣く要素はゼロだったのに」
「そうですよね、良かった。いや、悪かった」
「僕、おかしいです」
「そうですね! いや、そんなことないです」
「あははっ」
陽色は両手で顔を覆った。
「あ……雨」
とん、とん、と、不意に屋根を打つ小さな音に、陽色は天井を見上げた。雨を気にするそぶりで、上を向いたまま鼻をすすった。
アルノーもつられて天井を見上げながら、あっという間に連続する雨音の響きに耳を澄ませている。
「激しいですね。山道はぬかるみます、今夜はここに泊まってはいかがですか?」
もちろん、陽色さんの予定がなければの話ですけど、と付け加えて言うのに、陽色は目をしばたたいて答えた。
「洗い物や、掃除や洗濯をさせてください」
怪我をしたアルノーの腕を気づかっての言葉だった。
ため息が聞こえた気がして顔を正面に戻すと、アルノーが真っ直ぐに陽色の目を覗き込んでいた。
「そういう理由では泊められないなぁ」
低められた声に、心臓が大きく鳴った。思いがけない強い直視に、まごつきながらも視線を合わせると、アルノーはその顔から笑みを消していた。
組んだ指に顎を乗せて、しばらく無言で陽色を見つめた後、こう訊いた。
「あなたは、僕の精油が欲しい。僕は代わりに、あなたの何が欲しいと思いますか?」
「え……?」
「お金? それとも名声ですか? 安定した生活? さてなんだろう。僕にもわからない。だけど僕は、今までのブローカーのようにあなたを追い払おうとは思わなかったし、今朝あなたを山道で待っているとき、待ち遠しいとさえ思ったんですよ」
出会ってたった三日ですが、と、アルノーはどこか不敵な笑みを唇に浮かべた。
「だけど、こんなお遊びを続けていても埒が明かないでしょう。だいたい、お互い仕事になりません」
だから、もう決着をつけましょう、とアルノーは言った。
「明日、テストをしましょう。僕の精油をかけて──」
「テスト、ですか?」
「はい。僕は僕の精油を営利目的だけで扱ってほしくはない。けれど納得できる相手になら、お分けしても良いと考えています。そのための簡単なテストをさせてください。
何、僕が選ぶ草花の品種を当てるだけのテストです。全部当てれば、あなたの勝ち。あの精油をあるだけ差し上げますし、安定して生産できるように努力もしましょう。けれど一つでも外せば、僕の勝ち。あなたは精油のことはすっかり忘れて、すぐに日本に帰る。どうです?」
「……嫌だと言っても、もう僕にはアルノーさんを説得できるチャンスがないということですか」
「そうです」
「だったら受けるしかないです。僕に選択肢は元々ない」
「そんな言い方はやめてください。虐めている気分だ。陽色さんには、かけるものも、失うものもないということですよ」
そう言う男の真意が汲み取れず、陽色はじっとその瞳を見つめ返した。
アルノーは瞼を伏せると、綺麗な指先でフォークを回して、たっぷりとフェットチーネをすくいとった。どろりとしたソースが、皿に落ちた。
「受けます」
きっぱりと返事をすると、アルノーは頷いてパスタを口に運ぶ。
陽色はなぜか無性に、泣き顔を見せたことが悔しくなって、競うようにフォークで巻き取ったパスタを、大口を開けて口に突っ込んだ。
ゴルゴンゾーラの香りは、まだ熟成過程のように青臭く感じられた。いや、そうじゃない。
きっとずっしりと重たいズッキーニが含んでいた、ここの大地の匂い。この男が育てた土と野菜の力強さなのだと陽色は思う。
だからなんだと言うのだ、僕は絶対に負けないと、むきになってパスタを平らげ、陽色は舌を出して唇のソースを舐めた。
その時アルノーの顔に、わずかな驚きが掠めたのに気づきもしなかった。
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