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琥珀とスパイス
5 マリンノート
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陽色が歩くのに合わせて小さく床が鳴り、今度は暖炉の傍らから声が聞こえた。
「あなたの目は強すぎる。僕やティフォンの鼻並みに。けれど人の五感は、突出して強いものがあれば、往々にしてそれに頼りすぎることになるんですよ」
カチャリと何かガラスの鳴る音がして、アルノーはその方向に顔を向けた。
「確かに、こうして視界を塞がれてしまうと、音であなたを探すしかないようですね。でも僕は目隠し鬼をするつもりはありませんよ」
アルノーは視界を遮るスカーフを解こうと、頭の後ろに手をやった。
「ダメ……」
ふわりと空気が動き、アルノーのそばに戻った陽色が、なだめるように太ももを撫でた。
「僕と同じ世界に来るためには、その目を閉じて──」
アルノーの前で膝立ちになっているのであろう陽色が、アルノーの唇に何かを触れさせる。
それはアルノーが期待していた陽色の唇ではなかったけれど、同じようにみずみずしく柔らかかった。
「……バラですか?」
「さっきとは違うバラです」
陽色はそれをくるくると、唇の上で左右に転がす。
アルノーは深く息を吸ったけれど、ややして首を振った。
「目隠ししていても匂いません」
「……焦らないで」
バラが唇から離れる。
けれど唇のすぐ前にあることは、自分の吐く息が温かく跳ね返ってくることからわかる。
「バラの花に、鼻を寄せすぎては駄目です」
陽色は耳に囁くように言う。
太ももに置かれた陽色の手は、ずっと太ももを撫でるように動いていて、アルノーはその手に手を重ね動きをとどめた。
すべての感覚を嗅覚に集中してみたかった。
眉間に皺を寄せ、鼻腔を行き来する空気に注意を向ける。
「そう、花びらと鼻の間に、空気を循環させるイメージで……香りのきっさきを感じてください」
すると突然、アルノーの鼻に最初の感覚が訪れる。
淡くかすかなマリンノート。
気化しやすい軽めの香りとでもいうのか、それがふいに香った。
「少し感じました。海の匂いに似ているかな?」
「花と海の中心にある香りです。もっと深くまで感じて下さい。どっしりとした本質まで──」
次の感覚が訪れるまで、辛抱強くアルノーは待った。
それから感じたのは意外にも、フルーツの香り。
──ラズベリーの甘さ…?
わずかな甘さは、感じると同時に、もっとくっきりとしたスパイスのタッチに変化する。
「あぁ……」
「感じますか?」
陽色の手が頬に沿い、アルノーはぶるりと震えながら頷いた。
「なんですこのバラは? 農場にこんなバラがありましたか?」
そう訊いたアルノーに、陽色はよく知っているバラの名前を答えた。
「不思議です。強香種でもない上に、真冬のバラなのに……」
にわかには信じがたくて、アルノーは陽色の手をきゅっと握った。
「いいえ。香りはいつでもそこにあって、見出されるのを待っています。ただ気づきにくいだけで」
アルノーは頷くと、心の中で陽色の言葉を反芻した。
自分は目にばかり頼っているけれど、本当に大切なものは目に見えないのかもしれない。
──だからこそ、焦がれてやまない。
「アルノーさん、解きましょうか?」
動きを止めたアルノーに、陽色が訊ねる。
結び目へ伸ばされた手をやんわりと押さえ、
「あなたの世界はいつでも、こんなにも香りで溢れかえっているのかな?」
低く言って手のひらに口づけると、陽色が微かに身じろいだ。
アルノーは唇に笑みを浮かべると、腕を手繰るようにして陽色を抱き寄せる。
「このまま……目を閉じてあなたを抱いたら、どんな気持ちがするでしょうね?」
「あなたの目は強すぎる。僕やティフォンの鼻並みに。けれど人の五感は、突出して強いものがあれば、往々にしてそれに頼りすぎることになるんですよ」
カチャリと何かガラスの鳴る音がして、アルノーはその方向に顔を向けた。
「確かに、こうして視界を塞がれてしまうと、音であなたを探すしかないようですね。でも僕は目隠し鬼をするつもりはありませんよ」
アルノーは視界を遮るスカーフを解こうと、頭の後ろに手をやった。
「ダメ……」
ふわりと空気が動き、アルノーのそばに戻った陽色が、なだめるように太ももを撫でた。
「僕と同じ世界に来るためには、その目を閉じて──」
アルノーの前で膝立ちになっているのであろう陽色が、アルノーの唇に何かを触れさせる。
それはアルノーが期待していた陽色の唇ではなかったけれど、同じようにみずみずしく柔らかかった。
「……バラですか?」
「さっきとは違うバラです」
陽色はそれをくるくると、唇の上で左右に転がす。
アルノーは深く息を吸ったけれど、ややして首を振った。
「目隠ししていても匂いません」
「……焦らないで」
バラが唇から離れる。
けれど唇のすぐ前にあることは、自分の吐く息が温かく跳ね返ってくることからわかる。
「バラの花に、鼻を寄せすぎては駄目です」
陽色は耳に囁くように言う。
太ももに置かれた陽色の手は、ずっと太ももを撫でるように動いていて、アルノーはその手に手を重ね動きをとどめた。
すべての感覚を嗅覚に集中してみたかった。
眉間に皺を寄せ、鼻腔を行き来する空気に注意を向ける。
「そう、花びらと鼻の間に、空気を循環させるイメージで……香りのきっさきを感じてください」
すると突然、アルノーの鼻に最初の感覚が訪れる。
淡くかすかなマリンノート。
気化しやすい軽めの香りとでもいうのか、それがふいに香った。
「少し感じました。海の匂いに似ているかな?」
「花と海の中心にある香りです。もっと深くまで感じて下さい。どっしりとした本質まで──」
次の感覚が訪れるまで、辛抱強くアルノーは待った。
それから感じたのは意外にも、フルーツの香り。
──ラズベリーの甘さ…?
わずかな甘さは、感じると同時に、もっとくっきりとしたスパイスのタッチに変化する。
「あぁ……」
「感じますか?」
陽色の手が頬に沿い、アルノーはぶるりと震えながら頷いた。
「なんですこのバラは? 農場にこんなバラがありましたか?」
そう訊いたアルノーに、陽色はよく知っているバラの名前を答えた。
「不思議です。強香種でもない上に、真冬のバラなのに……」
にわかには信じがたくて、アルノーは陽色の手をきゅっと握った。
「いいえ。香りはいつでもそこにあって、見出されるのを待っています。ただ気づきにくいだけで」
アルノーは頷くと、心の中で陽色の言葉を反芻した。
自分は目にばかり頼っているけれど、本当に大切なものは目に見えないのかもしれない。
──だからこそ、焦がれてやまない。
「アルノーさん、解きましょうか?」
動きを止めたアルノーに、陽色が訊ねる。
結び目へ伸ばされた手をやんわりと押さえ、
「あなたの世界はいつでも、こんなにも香りで溢れかえっているのかな?」
低く言って手のひらに口づけると、陽色が微かに身じろいだ。
アルノーは唇に笑みを浮かべると、腕を手繰るようにして陽色を抱き寄せる。
「このまま……目を閉じてあなたを抱いたら、どんな気持ちがするでしょうね?」
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