イトムシ    〜 幼少期〜

夜束牡牛

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夜の気配1

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○○○○○

 キイトはゆっくりと瞼を開けた、体が重たい。
 まわりを伺うと、薄暗い部屋に、カーテンの隙間から光が入っている。起き抜けのせいか、喉がひどく渇いていた。それに喉が擦れ、吐糸管が詰まるような感じもする。

(今日は糸が紡ぎにくいだろうなぁ)

 そうぼんやりと思った矢先、突然、昨夜の出来事が蘇った。足音、男、糸、母さん――……はっきりと目が覚め、飛び起きて毛布を払う。
 キイトが毛布を払った際に、シロが置いたぬいぐるみが落ちた。しかしキイトはそれには気付かず、昨夜の恐怖を思い出す薄暗さが不快で、窓へと走りカーテンを勢いよく開けた。

 太陽の光が部屋を照らし出し、薄暗さが消えると、ほっと息を吐いた。
 体を動かしてわかったのだが、起きてしまえば不思議と身が軽い。頭もすっきりとし、目の奥が清々とする。ただ、喉は相変わらず渇いていた。

(とにかく御加水ごかすいを飲まなきゃ……。喉が詰まって痛いや)

 キイトは水を求め台所へと向かった。
 イトムシ館から館士兵達の姿は消えていたが、キイトの目と感覚には、いまだ大勢が出入りした後のよそよそしさが、薄らと残って見えた。食堂を通り、台所の水盤へと真っ直ぐに進む。そこでキイトは、すんっと鼻を鳴らした。

(あれ? 御加水って匂いがあったんだ)

 鼻腔に、瑞々しく爽やかな香りが流れ込み、直感的にそれが御加水だと分かった。
 台所の奥にある台上の水盤に向かうと、より水の香りは濃くなった。
 絶えず零れる水盤の淵に、直接口を付け、喉を鳴らし御加水を飲む。冷たい御加水が、喉と吐糸管から体へと沁みわたり、生き返るようだ。
 いままで御加水をこんなにも美味しく感じたことは無かった。
 キイトはその日初めて、この特別な地下水の味を堪能した。

「あら、坊ちゃんたら、そんな飲み方なさって」

 キイトは水盤から口を離すと、台所へと入って来たシロへ振り返り、ぐいと袖で口を拭った。シロはその動作にふくふくと笑い、キイトの正面へとしゃがみ込んだ。

「寝坊助さん、もう夕方ですよ。お腹へったでしょう? シロがいまおいしい……あ」

 シロは突然、言葉を忘れた。

 キイトと目を合わせた瞬間、夕方の台所も、夏に騒ぐ虫の声も遠のき、急に深い夜が訪れたように感じたのだ。
 キイトの黒い目が、夜の深みを呑み込んだように、とらえどころのない暗さでシロを覗いている。周りの音が消える。囲む気配が変る。肌を温める光が遠のき、滑らかな暗さが覆いかぶさって来る――。

「お腹へった」
「え? あぁ……あら、ごめんなさいね、なんだかぼんやりしちゃって……。そうそう! お腹すいたでしょうね、いま、シロがおいしい物を作りますからね!」

 シロは、「何か消化の良い物を」と言いながら慌てて動き出した。
 
 キイトは、くるくると動くシロの背を見上げて首を傾げた。シロと目があった瞬間、シロの生き生きとした瞳がとろりと下がり、どこか遠く、全く違う世界を見ているようだった。キイトが気を引くように空腹を訴えると、とたん、何時もの、楽しく騒がしげな瞳が動き出した。
 シロは昨夜の事で疲れているのだろう、そう思った。それよりも、シロは夕方と言った、では、昼は何処へ行ったのだろう? キイトは台所の窓から外を見た。太陽は下がり、薄い黄金と青空、染まりつつある茜色。きれい。そうじゃない。寝すぎた。

「ヒノデちゃんは朝方、小石丸様の所へ行ったままなの。心配ねぇ……。桃! クロが市場で、美味しい桃を見つけたのよ、そのまま食べる? それとも御加水でくたくた煮にしましょうか? いえ、ひたひた漬けも涼しいわね」

 シロのお喋りを背に、キイトは台所を抜け出し庭へと出た。夕方まで眠り込んでいたのが勿体なく、何だか損をした気分だった。
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