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居室
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「眼状紋とは、自然界の生物が擬態や威嚇として、体の一部に発生させる模様の一種です。
イトムシ様の場合では、非常に珍しく稀な事です。キイト様が特別な証拠ですね。あ、ココア飲んでください。体が温まりますし、甘い物は疲れに効きます。夏の雨はあなどれませんからね」
守護館の居室で、絨毯の上に座ったヌーは、タオルでキイトの髪を乾かしながら明るく話していた。
キイトは雨に濡れた宮服の代わりに、館士服を着ている。ヌーに話しかけられている間、無言でボタンを指で弾いていた。
ヌーは、密やかに弾かれるボタンの音を拾いながら、一人悔いた。
(キイト様を一人にしたのは間違いだった。今回は過度な躾はされなかったが、現場帰りからずっと口を開いてはくれないし……目線も合わない……。イトムシが視線を合わせないのは、完全な拒絶だ)
イトムシの睨み合い後には、小石丸の発言と館長の記憶から、キイトの両腕の痣が、眼状紋である事が確かとなった。
この場合の眼状紋は、力の強いイトムシに表われる痣で、長であるイトムシが持つ場合が多い。しかしヌーは、そのことをキイトに伏せた。
(キイト様はまだ幼い……。いま、自身の考えや、イトムシの前例の中で、自分の人生を縛ってしまうのは良くない。ましてや、こんな不安定な心情では、混乱を招いてしまう)
ヌーは、キイトの乾いた黒髪を丁寧に梳かし、努めて明るく話し続けた。天気の話、宮の行事の話、新しいお芝居の話――相づちは無いが、向けられる背と指の動きから、キイトが静かに、自分の話を聞いてくれているのが分かる。
「なので、本当に凄いんです。ずーっと舞台の袖から、バケツで水をかけ続けていて」
「メーさん、雨の日に湿っぽい話はナシだよー。カビが生えちまうよ」
緩やかな声音と共に、イチヤが扉から顔をひょいと出した。
いつもの、へらりとした軟派な笑顔が場に入って来る。
「おや、イチヤ」
「おつでーす」
イチヤが居室に入って来ると、キイトは慌てて下を向き、熱心に袖を見つめはじめた。そこでヌーは、キイトの無口の原因がようやく分かった。
(そうか、キイト様は、夜の目の影響のことを気にしているのか)
自身に頑なに合わせられなかった視線の理由がわかり、ヌーの目尻が下がる。しかしすぐに、それは、目前で同種の小石丸が、人間を苦しめ沈めた事に起因すると気付くと、胸が痛んだ。
(違いますよ。キイト様の目は、意図して人を苦しめようとなんかしませんよ……。そうお伝えしたいが、キイト様に、師である小石丸様の行動を人側から批判してしまうのも良くない……)
それならば、騒動で一度沈められたイチヤには、キイトが落ち着くまで少し離れていてもらおうと、ヌーは振り返えった。
イチヤは何か考え深げに腕を組んでいたが、ヌーの視線に気が付くと、彼の意図とは反対に笑顔を浮かべ、キイトへと近づいていく。
「キーイト君っ、あーそーぼ? ぽこぺんしよ」
「……」
イチヤはのんびりと話しながら、キイトの前へとしゃがみ込んだ。キイトはじっと下をいたままだ。
「イチヤ、すみませんがキイト様はお疲れです。また後で」
ヌーが丁重に退出をうながすが、イチヤは羊の鳴きまねでそれを遮る。
そして懐から、使い込んだ一組のカードを取り出し、かしゃかしゃと切りだした。
「ぽこぺん知らねぇかぁー。じゃあ、数飛びでどう? 俺、数字強いんだー」
「……」
しかしキイトは、下を向いたまま黙っている。イチヤはカードを切る手を止めた。
「ありゃりゃ? もしかして、俺と目ぇ合わせねぇように、してくれちゃってるわけ?」
「……」
「ふぅん」
イチヤは突然、両手でキイトの顔を掴むと、ぐいと上げた。
そして、驚き見開く夜の目を、強く睨みつけた。
ふたりの視線が交わる。
キイトは慌てて、ぎゅっと目を硬く閉じた。そこへと、イチヤの笑い声がけらけらと落ちて来る。
「しゃらくせぇ。チビムシの目なんざ怖くねぇよ。ほぉら、俺の目は、何色でしょーか?」
「……」
キイトは恐る恐る目を開くと、目前のイチヤの目を見つめた。彼は何てこと無いように、その目を受け入れている。短い眉の下、睫毛に縁どられた瞳。陽気で、余裕があり、人好きする、若者の目。
ヌーが見守る中、キイトが口を開いた。
「ヘーゼル。……イチヤ、もう具合大丈夫?」
「あたぼーよぉ、館士兵なめんなー。あーでも、ゲロったら腹減ったなぁ。そうだ、先におやつ食べに行こうぜ」
心配そうに目を覗き続けるキイトが、弱く続ける。
「僕の目……、イチヤを傷付けたりしてない?」
「お?いっちょ前な事を。キイト君の目は仔馬の蹴りぐらいかな、全然よゆー。それより、今日のお茶は焼リンゴだって、菊さんが全部平らげちまう前に行こー」
イチヤがからからと笑い誘うと、キイトも立ち上がり、それに力強く返事をした。
「おう!」
「おや……」
ヌーは、キイトの口から初めて聞く乱暴な返事に目鏡を押さえ、咎めるように眉を寄せた。しかしその琥珀色の目は、とても愉快そうだ。
「早速、守護館の影響が出ていますね。キイト様、勇ましいお返事です」
「アタボーヨオ」
さらにキイトは、イチヤの口調も真似はじめた。
整った幼い顔から、不釣り合いな言葉が生まれ始める。
ヌーは、さすがにいま釘を刺しておかないと不味いなと思い、イチヤへと教師じみた笑顔を向けて言った。
「ん――、イチヤ。申し訳ないのですが、今後、キイト様の前で乱暴な言葉使いは、控えて頂きたい。宮の教育方針から外れてしまいますし、私としてもやはり、国の財産であるイトムシには、品位と格式を備えて頂き、かつ、人民に愛される愛嬌と親しみやすさを持ち得るためにも、まわりの環境が――」
イチヤがへらりと笑った。
「キイト君『ぅるせぇ、宮眼鏡』って言ってみ?」
素直なイトムシが言葉を繰り返す前に、優秀な宮使いが全力で阻止した。
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