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夜の訪れ
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灯りを禁じられた小石丸館の庭は、ひたひたと夜を迎えはじめていた。
楽園と淡いがつながる庭。
神聖なその場にそろった人間は、水館女主人ウェンデルネ、それに仕える水守が四人、守護館館長ワリオス、国王と宮臣、そして、イトムシ・キイト専従宮使いヌー・シャテル。
水守が庭に寝かされたキイトを囲み、魂止めの呪いを続けている。それ以外は、深い沈黙を守っていた。
やがて星々が瞬き、沈黙の庭を覗き込む。
静けさのなか、月が昇る音が聞こえるようだった。
バルコニーから小石丸が降り、館からは、ウェンデルネに付き添われ、真白なドレスに身を包んだヒノデが出て来た。
ドレスはラソワで織られ、水面のように光沢ある生地が、星の粉をはたいたように美しい。
しかし、それをまとうヒノデは、不幸な花嫁に見えた。
ヒノデの希望の糸は細く、我が子の鼓動は弱まるばかり。決して諦めぬ気持ちと、自分の行動への後悔。相反する思考が絡まり、一種、狂気じみた光が、ヒノデの目の奥に灯り始めていた。
キイトのそばで、小石丸がヒノデを迎えた。
「ヒノデ、楽園へ向え。その身には強すぎる場所だが、キイトを抱いて行けば、お前は守られる」
「……」
小石丸はヒノデの目を覗き、目に宿る闇の灯を見た。ヒノデの闇はただ自身に向けられるばかりで、小石丸を捕えようとはしない。
「ヒノデ」
小石丸がヒノデの冷たい頬にそっと触れると、ようやく視線があった。不安と期待、焦燥と嘆き――だというのに、いまだ見つからない、師である自分を憎む光。
小石丸は、そこへと瞬きを送った。
「ヒノデ、これだけはわかってくれ。わしはお前に、そんな目を、させたくはなかった」
「……」
沼が、蓮の花を育てる滋養を持つように、小石丸は持ち得る慈しみを、精一杯ヒノデへと送った。
殺さなくていいイトムシ。弱く、自分が守らなくては生き抜けなかった少女。
(この子はいつの間にか、母親に成長していた。守られる側から、守る側へと)
小石丸の中の少女が、夜に溶けていく。
師の視線を受け、蛾の触覚のごとく美しい眉の下、蝶の羽のように薄い瞼が閉じられる。次に瞼を開いた時には、ヒノデの目に、静かな夜が戻っていた。
心を決めた母の瞳に、小石丸が頷く。
「お前の身に沁みついた人の気配は、我らの衣が隠してくれる。しかし、人の言葉を話してはいけない。その目で見てもいけない。イトムシであるお前を嫌悪する者はいないが、楽園は尊き夜の奥方の庭。招待を受けぬ者が、あの方の機嫌を損ねることをしてはいけない」
小石丸は手首の糸輪から糸を抜き、ヒノデの糸輪へと通し、自分たちをつなげた。
「真っ直ぐに進め、後は楽園が決める。お前の命もキイトの命も、夜しだい。帰って来られるなら、この糸を手繰り、わしのもとへ帰って来なさい」
「……」
話の間に庭は変化していた。
水の香りが強く漂い出し、風もないのに葉が囁き出す。
濃い霧が茂みから流れ出し、足元を漂う。実体のない影が動き回り、人々が息をのんだ。
楽園の夜が開かれる。
ヒノデは慎重にキイトを抱き上げ、茂みの前へと立った。
ウェンデルネがヒノデの両目の上に、ラソワのリボンを巻いて行く。目隠しをされたヒノデは、一度キイトに頬を寄せると、茂みの中へと足を踏み出した。
小石丸は手首の糸を見た。この糸を離せば、望み通りキイトの身は淡いへと戻らない。しかし、ヒノデもまた戻らない。
(これですべてが泡になったとしても、それは楽園が決めたこと。わしはただ、ヒノデの知りたいと思う所を教えたのみ。愛弟子が教えを乞うたのだ、ならば正しき答えを……)
小石丸の孤独な世界に、ヒノデが紡ぐ弱い糸が、横を走り縦を走り、いつの間にか、彼の知らない美しい模様を織り成していた。
ふわり
茂みを行くヒノデのまわりに、白い影が浮かんだ。
しかしそれらは、いつものように小石丸を見つめはしない。
なぜなら、こちらへと背を向けていたからだ。
それらの視線は全て、ヒノデへと注がれていた。小石丸はきつく糸を握りしめた。
欠けたはずの指が痛む。約束を結ぶ小指が、解けない糸を結ぶその指が、何かを訴えている。
(怨む先はわしだけだ。わしから命でもなんでも、全てを奪え。それでもその子は……ヒノデだけは、返してくれ)
破られた四原則の犠牲、先代のイトムシたちの視線は、楽園へと向う不幸な花嫁を見つめている。
ヒノデの白い背が、茂みへと消えた。
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