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98【真意⑭】

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「ところで、高橋さん――」
「は、はい?」

 にっこりと。
 若干覇気はないものの、いつもの営業スマイルを浮かべた課長の表情に、なにか不穏な空気を察知して、思わず浮かべた笑顔が引きつってしまう。 

 エレベーターは、鬼門だ。

「寝汗をかいて、かなり気持ち悪いから、シャワーを浴びたいんだが」

 課長は、白いワイシャツの胸元をつまんで、パタパタと振って眉根に皺を寄せてみせる。

 な、なんだ。そんなことか。そりゃあ、もちろん。

「だめです」
 ニッコリと全否定。

 気持ちはわかるけど、今の状態でシャワーなんて言語道断だ。さらに熱が上がりかねない。それに、私だってシャワー浴びてないんだから課長だけずるい。なんて、本音は言えないけど。

「十分ですむから。ほら、病院にいくなら、清潔にしないと」
「熱が高いんですから、シャワーなんてだめです」
「じゃあ、五分で」
「着替えだけにしてくださいね」

 にっこり、課長の十八番おはこの営業スマイルを真似てみたら、ご本家様は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

「怖いよ、その笑顔」

 それは、お互い様です。

「と言うことで、病院の診療時間があるので、急ぎましょうね」

 大げさに溜息をつく課長の、尚も『シャワーを浴びたいんだモード』の全開放出をニッコリ無視したところで、エレベーターが止まった。

 辿り着いたのは、最上階の十五階。

 大理石調の、もしかしたら本物? かもしれないオフホワイトの艶やかなタイル敷きの広い廊下には、木製の、素人目にもかなり高価そうかつ重厚なダークブラウンの扉が左右対称で二つあった。

 その一つ、向かって左側の部屋の入り口に付けられている暗証番号用だろう十センチ四方ほどの数字の並んだ電卓状の端末に、課長は何やら入力している。その澱みない一連の動作を、呆然と見つめる。

 ホテルの構造にはあまり詳しくないけど、これはもしや、『ペントハウス』とか言うものじゃないのだろうか?

 滞在用のキッチンスペースやランドリーを備えた高級居住スペース。もちろん、私はその存在を漠然と知っているだけで、実物を見たことはない。

 谷田部課長は、そんな場所に住んでいる。
 ううん、住むことが出来る人種。

 私の日常からは縁遠い、ハイソ・ザ・ワールド。
 彼は、そんな世界の住人なのだ。

 二人の間には、高くて分厚い壁が立ちはだかっている。例の『遊園地婚約者候補嬢鉢合わせ事件』のときに感じた、そんな隔絶感が輪をかけて襲ってきた。

「高橋さん?」

 ズーーーン、と。ネガティブ思考であやうくその場に穴を掘りかけたとき、既に開錠し終えた課長から名を呼ばれ、はっと我に返った。

「あ、はい」

 いけない。
 今は、課長の保険証を取りに来たんだっけ。

「保険証か……」

 課長も本来の目的を忘れていないようで、口の中でボソボソと呟きながら、やたらと広い玄関スペースとやはり広めの通路を抜けて続く部屋の中へ入っていく。

「確か、リビングボードの一番上の引き出しに入れてあったはずだが……」
「おじゃましまーす」

 先を行く課長の背中越しにぺこりと会釈して、部屋に一歩足を踏み入れ視線を上げた次の瞬間、思わず目を見張った。

 うわ。
 なにこれっ?
 
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