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165【最愛④】
しおりを挟む目の前に立っているのは、中肉中背で丸顔・ショートヘアの中年女性。年の割にけっこう若く見える、能天気。やたらと姿勢が良いのが特徴と言えば言えるかもしれない。
ひどく長く感じる、でも実際はほんの短い沈黙を破ったのは、ここに居るはずがないイレギュラーな私の良く知っている人物。
「おかえりなさい」
少し、あくまで少し。驚いたように、きょとんと目を丸めていたその人物は、すぐさま落ち着き払ってそう言うと、妙に晴れやかな満面の笑顔を浮かべた。
――な、な、な。
「なんでここに居るの、お母さんっ!?」
ようやく金縛り状態から脱した言語中枢を駆使して、思わず叫ぶ。
「なんでって、可愛い一人娘に会いに来るのに、理由なんかいらないでしょ? それより、真夜中なんだから大きな声出さないのよ。ご近所迷惑」
「え、あ……うん」
淡々と正論で諭されて、思わず言葉に詰まる。
「で、そちらの方は?」
ニッコリと、笑顔を浮かべた母の視線の先には、私を抱きしめた状態のままあっけに取られて動きを止めた課長の姿が。もちろん、私はしっかり抱き着いたまま。二人同時にハッと我に返り弾かれたように左右分かれ、シャキーンと姿勢をただして正面を向く。
――み、見られた。
いつから見てたの、お母さん?
まさかまさか、あんなとこや、こんなとこも!?
うっわああああーーーーーーっ。
ある意味、本日一番のヘビー級の衝撃に、頭の中がグルグルと回る。
「え……えっと、この人は、会社の上司で――」
私が引きつりまくりの笑顔で、しどろもどろの紹介を試みれば、
「初めまして。夜分にお邪魔してすみません。私、太陽工業の工務課で課長をしております、谷田部東悟と申します」
と、内心はどうにしろ、完璧に落ち着き払った物腰で自己紹介をしてくれた。
さすが、課長。ぐっじょぶ! と、思わず心の中で親指を立てる。
でも、対する母も負けてはいない。
「課長さんでしたか。娘がいつもお世話になっています。『こんな所』で立ち話もなんですから、上がって下さいな」
『こんな所で』の部分だけ、妙に力がこもっているように感じるのは、気のせいですか?
「ほら、梓。何を、ボケっとしているの。上がっていただきなさい」
有無を言わせぬ、満面の笑顔攻撃に思わずビビる。
私の母、高橋幸恵は、普段は朗らかで気の良いおばちゃんだ。でも、小学校の教師という職業柄か、鉄壁の正論、それも笑顔全開で攻めてくるため、私は、今まで一度としてまともに反論できたためしがない。
気恥ずかしくて口にはできないけど、父が交通事故で亡くなった後、女手一つで私を育て大学まで出してくれたという、感謝の気持ちは大きい。
親としても女としても、尊敬しているし大好きだ。けど。
――こ、怖いよ、お母さん、その笑顔。
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