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170【最愛⑨】
しおりを挟む食卓の上には、母の言う通り『ご馳走』が並んでいた。
炊き立てご飯と、豆腐とワカメのお味噌汁。ホウレンソウのゴマ和えに、母特製の『サバの味噌煮』。厚焼き玉子とお漬物。味噌煮の甘じょっぱい匂いが、食欲中枢を刺激する。
「いただきまーす」
不平を鳴らして自己主張をしている腹の虫をなだめつつ、手を合わせて、ありがたくいただく。
まずは、お味噌汁を一口。
ごくりとすすれば、懐かしい優しい味が、口いっぱいに広がった。
――ああ、五臓六腑にしみわたるー。
次につやつやと粒が立った炊き立てご飯を、その次に大好物のサバの味噌煮を、ぱくりと口に頬張る。
――ううっ。
これよ、この味。
この味が、どれほど恋しかったか。
美味しいよーーっ!
ああ、お袋の味は偉大なり。
私では、同じに作っているはずなのに、この味がまだ出せないでいる。
「ふふっ。梓って、本当、美味しそうに食べるよねぇ。作り甲斐があるわぁ」
対面に座りお箸を口に運んでいる母は、まんざらでもないように相好を崩す。
「だって、美味しいんだもの」
「それは、どうもありがとう」
さて次は、これも大好物の、ホウレンソウのゴマ和えちゃんを。
鼻歌交じりでるんるんと、パクリと口に含んだところで、母がニコニコと口を開いた。
「谷田部さんって、イケメンよねー」
「えっ?」
いきなり出てきた課長の名前に、思わず箸が止まる。
「あ、うん。そうだね……」
――そういえば、昨夜色々見られてたかもしれないんだった。
でも、何か見てたなら、お母さんならストレートに聞いてきそうだけど。聞いてこないってことは、何も見てない可能性もある……よね?
「お父さんの若いころを思い出すわぁ」
「え、そうかな? あまり似てないと思うけど……」
「顔じゃなくて、イケメンなところが、似てるのよ」
うふふふと、母は、楽しそうに笑みを深める。
――なんだ、この話しの流れは?
「思いがけず、良い目の保養をしちゃったわー」
そうですか。
それは、なによりです。
でもその話題には、なるべく触れられたくないんです、ボロが出そうだから。
昨夜何があったのかとか突っ込まれたら、この母相手にシラを切り通す自信はない。内心の動揺を悟られまいと、平静を装いホウレンソウのゴマ和えを黙々と口に運ぶ。
残念なことに、味がまったく分からない。
「そっか、そっかー。梓の上司は、イケメンさんなのかー」
上機嫌すぎる母の表情に、不穏な空気を察知した私が内心身構えたその時、
「で、谷田部さんとは、どういうお付き合いをしているのかな? じっくりと聞かせてもらおうかしら?」
母の爆弾発言は、天使のような満面の笑顔で投下された。
「うぐっ……」
喉に詰まりそうになるホウレンソウのゴマ和えをお味噌汁で流し込み、涙目になりながら視線を宙に彷徨わせる。目を合わせたら、だめだ。経験上、私は、この母に嘘をつけたためしがない。
課長との付き合いに関して言えば、つい昨夜、『好きだ』とお互いの気持ちを伝え合ったばかりの現状では、嘘をつく必要はないんだろうけど。
昨夜、蛇親父に襲われそうになって薬を飲まされたあげく病院送りになったこととか、課長には、お義父さんが決めた婚約者候補がいることとか、実は、課長は、日本を代表する大企業グループの後継者なんだとか、その他、モロモロ、モロモロ。
あまり話題にしたくないことまで喋らされそうで、目を合わせられない。
「ふーーん。そうかそうか。お母さんには言えないお付き合いなんだ?」
「ち、違うよ! お付き合いも何も、まだ、お互いの気持ちを伝えあったばかりで、やましいことなんか何もないからっ」
「ほうほう。やましいこと、ねぇ……」
ちらりと上げた視線が、ばっちり捕まる。
――しまった。思わず、目を合わせてしまった。
白状させられるっ。
ぴきっっと、動きを止めた私を面白そうに見やり、母は自分の腕時計に視線を落とす。
「残念だけど、タイム・オーバー。もうそろそろタクシーが着くから、お母さん、行くわね」
――よ、よ、よかった。助かった。
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