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幕 間 社長・不動祐一郎の独り言 (1)
48 既視感の正体③
しおりを挟むメールも送信したことだし、心おきなく残りの仕事を片付けよう。そう思ったとき、スマホの着信音が鳴り出した。スマホの画面には『磯部薫』の名前が点滅している。仕事中毒のあいつのことだ、最新の医学論文でも読みあさっていたのだろう。
「……はい、不動です」
「こんばんわー。傷心の元妻です」
やたらと明るい声が耳に響いてきた。こいつ、仕事のし過ぎでハイになってるな。
「起きてたのか」
「あなたもねー。で、なになに、もう新しい女の子に白羽の矢をたてちゃったの? それも二十歳の、ええと茉莉ちゃん? 嫌ねー、このロリコンめ!」
薫は、愉快そうにくすくすと笑っている。
「……もしかして、美由紀と何か話したのか?」
「ふふふ。ないしょ」
これは、十中八九、茉莉が『お隣に住んでいた茉莉ちゃん』だと美由紀から聞いて知ってるな。
「それで、メールの件はどうなんだ? あの時の女の子と篠原茉莉は同一人物なのか?」
「えー。一応守秘義務があるから、知らない人には教えられないなぁ」
からかいモードに突入した薫の声には、愉快そうな響きしかない。
「元ダンナだろうが」
「えー、今は赤の他人だからなぁ」
「じゃあ、雇い主の息子権限で」
「……へぇ。谷田部の威を借りちゃうんだ。ふーん」
別に本気で言ってるわけじゃない。薫のからかいモードにからかいモードで応戦しただけだが、薫には俺の言葉が意外だったらしい。
まあ、こんな軽口に谷田部彰成を引き合いにだせるだけ、俺の中でその存在が希薄になりつつあるということだろう。だからって、間違っても尊敬なんぞしてやらんが。
「で、どうなんだ?」
「……ご想像どうりです、ご主人様。間違いなく同一人物でございますだ」
やはり、間違いなかったか。
真実を知りえた安堵ではない、何かもやもやとしたものが、心の中に湧き上がる。
「そうか……」
「意中の人が婚約者持ちだったって知って、ショックしちゃった?」
興味津々の薫の問いに、苦笑いしか浮かばない。
「そんなんじゃない。ただ気になっただけだ。今のところ茉莉の方は気づいていないみたいだし、あえて言うつもりはないから、お前もそのつもりでいてくれ」
「へいへい。了解しました、御曹司さま」
「こちらこそ。夜分おそくにありがとさん、名医殿」
俺たちは、カラカラと同じように笑いあってスマホを切った。離婚したばかりの元夫婦とも思えないフレンドリーなふざけた会話に、我ながら苦笑するしかない。
まったく、これだから、友人以上恋人未満の関係から脱却できなかったんだ。
顔もスタイルも抜群。だが、色気を感じられないのは、薫の男気溢れる性格のせいもあるだろう。
仕事が第一、色恋沙汰は二の次。
酒を飲みかわすには楽しいが、愛を語らうには俺と薫は似すぎている。
残っていた缶コーヒーをグビリと飲み下せば、いつもなら美味くかんじる苦みが舌について眉間にしわを寄せる。
『苦いのは苦手で』と、おどけていう茉莉の表情が目に浮かんだ。
父親の会社の倒産と婚約者の裏切り。
どれほどの痛手を心に負っているのだろうか。
つらくないはずはない。
それをおくびにも出さない強さは、天性のものだろうか。
「まあ、あの人たちの娘だからな……」
たまにしか家に寄り付かないやたらと身なりがいい夫を持った俺の母が、どこぞの金持ちに囲われていたことは、子供だった茉莉はともかくその両親が知らないはずはない。
特に茉莉のおふくろさん、佳代さんは俺の母と懇意にしていたから、谷田部彰成のことを母から聞いて知っていた可能性もある。
それでも、母やまだ子供だった俺に接する態度は優しく温かいものだった。あの人たちのおかげで、どれほど俺が救われたか。
笑顔全開でなついてくる小さな茉莉が、純粋にかわいかった。その茉莉がこうして俺の立ち上げた会社で働くことになろうとは。
「妙な縁があったもんだ……」
なんにせよ、退屈はしないですみそうだ。
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