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幕 間 社長・不動祐一郎の独り言 (2)
56 あくまで「ついで」の方程式
しおりを挟む「篠原さん、まずは一カ月ご苦労様」
「は、はい、ありがとうございますっ」
採用か、不採用か。茉莉は、シャキーンと背筋を伸ばして俺の言葉を待っている。その喉が、ゴクリと音を立てて、大きく上下した。
そんな緊張が耐えられないとばかりに、すかさず、守がツッコミを入れる。
「ほら、もったいぶらないで、さっさと言ってあげてくださいよ。こんなに緊張して、かわいそうじゃないですか。それともなんですか、それを見て密かに楽しんでるクチですか?」
「お前は……」
『はーっ』と長いため息を吐いて、俺は眉間をぐりぐりともみほぐしたあと、茉莉に視線を移した。
視線と視線が真っ向からぶつかり合い思わず及び腰になった茉莉は、それでも視線をそらさない。
この一カ月、通勤日には少なくても出社時と退社時、一日に二回は顔を合わせて来たし、休憩時間にコーヒーを入れてくれたりして、それなりにコミュニケーションを取ってきた。
しかし、さすがに一カ月程度では、本音の部分を言えるまでにはならない。
分かりやすい、とは思うが。
俺は、一呼吸おいて茉莉に告げた。
「篠原茉莉さん」
「はいっ」
「試用期間の就業状況を鑑みて、あなたを、正式採用とします」
『正式採用』
聞き間違えようのないその言葉を、まるで何度も脳内で反芻するように目を瞬かせたあと、茉莉の顔に浮かんだのは歓喜の笑顔。
「ありがとうございますっ!」
心からの感謝の気持ちが込められた言葉とともに、茉莉は深々と頭を下げる。
「後で社会保険関連の書類を渡しますので、後日提出してください」
「はい……」
頷く茉莉の瞳には、うっすらと涙の膜がはっている。
「良かったね、茉莉ちゃん。これからもよろしく!」
親指をぐっと立てて、守が、祝福の笑顔を浮かべた。
「色々とご指導、ありがとうございました。これからも……っ」
『よろしくお願いします!』と続くはずの言葉は、ポロリとあふれ出した嬉し涙が押し流してしまった。
「あ、あっり……ござ、ますぅ……」
茉莉は手の甲でぐしぐしと涙をぬぐい口を開くが、紡がれる言葉は掠れて、更に涙はあふれ出す。そのどこか幼い少女めいた仕草をみて昔を思い出した俺は、なんともほほえましい気持ちになる。
「あーあ。社長、女の子泣かしちゃだめじゃないですかー」
「誰が泣かすか。今のはむしろ、お前のせいだろう?」
「それは、違います。悪いのはいつも社長です。ボクは、いつでも正義の味方ですから」
「誰が『ボク』だ。気色悪い。お前はもういいから、早く帰れ」
「はいはいはい。お邪魔虫は、馬に蹴られないうちに帰りますよー」
『それじゃ、お先にね』と茉莉に言うと、カラカラ笑いながら守は部屋を出て行った。残されたのは、まだ半べそ状態の茉莉と俺の二人だけ。うれし涙だが、そんなに泣いたら目が腫れてしまうだろうに。
「す、すみませ……」
茉莉の涙は止まる様子がなく、後から後から際限なくこぼれ出してくる。俺は椅子から立ち上がると、ティッシュボックスを茉莉に無言で押し付けるように渡し、そのまま給湯室へと足を向けた。
いつもコーヒーを入れてもらっているから、こんな時ぐらいは俺が入れてやろう、と思ったからではない。断じてない。単に、自分が飲みたかっただけだ。
ついでに、茉莉の分も入れてやるのはやぶさかではない。
そう自分に言い訳をしながら給湯室の中に入ると、システムキッチンの人工大理石の白い天板に置いてあるコーヒーメーカーに、手早くコーヒーの粉と水をセットする。
実は、このコーヒーメーカーは、茉莉が家で納戸に眠っていたものを「使ってください」と、持ってきたものだ。
コーヒーメーカーの他にも、コーヒーカップセット、ティースプーンなどのこまごましたものも、せっせせっせと茉莉が押し売りならぬ『押し置き』したものだ。
おかげで、冷蔵庫の中味の『缶コーヒーコレクション』以外、ほとんど何もそろってなかったこの給湯室も、なんとか機能するようになったのだが。
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