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第二章  神代の剣~朴念仁の魔を断つ剣~

第二十三話  夕暮れの襲撃

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  夕日の赤い光が、光沢のある黒い剛毛を不気味に照らしている。

 その姿から香ってくるのは、生きとし生けるものの黄昏――死の気配だ。

 死の気配に対峙する影が三つ――アテネ王国傭兵隊の隊長以下三人の姿。

 アーク王国王立科学研究所長スレームと、レイナー号船長ジョセフ・レオ・リーガルに別れを告げたナスカ、ホーチィニ、エルの三人は、捜索対象のステフ・ティファ・マクベインが向かったとされるアリオスの街を目指している道中だった。

  既に日は西に傾きかけて辺りは夕闇につつまれつつある。

 彼らは、レイナー号の復旧作業をしている湖東岸から、アリオスの街がある南岸へと移動し、広葉樹の森林を街へ続く一本の小道、その入り口付近で、ダーンの合流を待つついでに休憩を取っていた。

 その彼らに、人狼が急襲してきたのだ。

 傭兵達は、それぞれ思い思いに休憩していたところだったが、決して油断はしていなかった。

 人狼が自分たちの捜索対象としている人物を狙っていると考え、そうなれば相手側も、こちらの動きを牽制してくるだろうと予測していたからだ。

 そんな油断のない彼らに対し、人狼は飛行艇を襲ったときのように、気配を察知することの出来ないほどの遠方から、三千カリ・ガラム(キロ・グラム)はあろうかという巨石を投じてきた。

 危険を察知したナスカの指示で、投石の着弾点から素早く待避し、その場での被害を回避することには成功したが、とつのことで三人が散り散りになる。

 その隙を逃さないように、もうぜんしつそうしてきた人狼がナスカへ例の衝撃波を伴った咆哮を放ち、投石の着弾点からは異形の影が二つ、ホーチィニとエルの元へと飛びかかった。



「またお目にかかれて光栄です、ナスカ殿」





 人狼は以前持っていたものよりも少し小ぶりの戦斧ハルバートを両手で構え、目の前の剣士に挨拶を送る。

「元気そうじゃねえかよ……」

 人狼の咆哮を回避しつつ抜刀していたナスカは、長剣を正中に構えつつ応じた。

「先ほどの決着、つけさせていただきますぞ」

「こだわるねぇ……それで、アイツらなんなの?」

 後方にいるホーチィニと、更に離れた位置にいるエル、その二人の前に姿を現した影について、ナスカは左手の親指を肩越しに後方へ差し向けつつ尋ねる。

「私が投げ込んだ石にくくりつけてあったトカゲと蛇ですよ。特殊な魔法の玩具でくくってありましたから、少々形が変わってしまったようですが」

 人狼が投げた巨石には、トカゲと蛇が標本のように、魔法の矢でくくりつけられていた。

 そして、着弾し岩が砕け散った際に、その矢にこめられた悪趣味な魔法が発動し、くくられた対象が魔物と化したのだ。

 魔物化し元の身体の数十倍はあろうかという巨体になったトカゲと蛇は、二人の女性に襲い始めている。

 女性達二人は、それぞれ魔物との距離をとりつつ、各々の武器を取り出し応戦を開始していたが、更に三人は分断される形となった。

「ところで、先ほどよりも二人ほどいらっしゃらないようですが……。赤い髪と蒼い髪の剣士はどちらに?」

「ああ、アイツらならここにはいないぜ。今、別行動中なんだ」

「…………」

 ナスカの言葉に息を押し殺す人狼。その姿を見て、ナスカが軽く口元を綻ばせた。

「お前の心配してるような理由じゃねぇぞ」

 人狼の目が一瞬大きく見開かれ、目の前の傭兵隊長を見据えると一度右手に持った戦斧を提げ下ろした。

「ほう……私の心配とは?」

 人狼からの問いかけに、ナスカは長剣の剣先を下げつつ応じる。

「アイツらも『彼女』とは接触していないってことさ。他の用事だ……だから、アンタのご主人様があの二人に遭遇する可能性は低いと思うぜ」

「グフフフフッ……やはり貴方は驚嘆に値する方だ。ほとんどないに等しい情報から私の心理を正確に推察するとは。それに、やはり私どもが『彼女』の身柄を狙っていることをご存じでしたか」

「やっぱ当たってたか。それにしても、アンタの主人といや《魔竜人》だろ? なんだってたかが人間の小娘一人に固執するんだ? アメリアゴートと協力しているみてえだが、そんなの帝国諜報機関の人間の方が適任だろうによ」

 ナスカの問いかけに、人狼は首を横に振り、

「私にそのご質問の答えは出来ませんな……ともすれば、私の主も『彼女』を狙う本当の理由をご存じないようで……」

「つーことは、アンタらも依頼された口というわけか」

 ナスカの得心したような言葉に、人狼のまとう空気が変わると、さらに人狼は、戦斧を両手で構え直した。

「……どうやら、無駄話が過ぎたようです。そろそろ始めたいのですがよろしいかな?」

「律儀なヤツだねぇ……今度は最初っからとばしていくぜ、覚悟しなッ」

 次の瞬間、お互い一気に闘気を放ち始めると、金属を打ち合う轟音が辺りの木々を揺らし始めていた。




     ☆




 宮廷司祭ホーチィニに襲いかかってきたのは、魔力の影響で巨大化したトカゲだった。

 巨大なトカゲは、その眼光を紅く光らせながら、大地に腹部と尻尾をこすらせつつ猛然とホーチィニに走り寄ってくる。

 その動きは、魔物化する前のトカゲと同じく、頭部を中心に胴体を蛇のように左右にくねらせながら四肢を踏み出し前に進むものだった。

「私、あんまり虫類とか好きじゃないんだけど……」

 半目でトカゲを睨みつつ、後方へ素早いステップを繰り返し、後退しつつ鞭を打ち据えるホーチィニは、眼前にいる魔物の分析を始めていた。

 恐らく魔力により自然界のトカゲを魔物化したものだろう。

 魔力の影響でかなり凶暴化していて、こちらに襲いかかることしか頭にないらしい。

 こちらが鞭で、比較的鱗の柔らかそうな首のお腹側に超音速の衝撃波を打ち付け、それほど深くないがドス黒い血液をまき散らす程度のダメージを与えているのに、怯むことなく襲いかかってくる。

「おぞましい魔法ね」

 トカゲ魔物に対しべつの視線を向けつつ、嫌悪を漏らす。

 魔物からあふれ出してくる《魔》の波動は、ホーチィニがかつて感じたことのない凶悪なものだった。

 魔法を編んだ者の悪意が感じられる。

 それは、対象の生物を自我の崩壊した殺人マシーンへと変え、それが朽ちるまで命をむさぼり奪っていく様を遠くから眺めて楽しむこう

 生命の尊厳を自らのこうによって汚していくことに、至高のえつを覚える者の為せる所業だ。


――吐き気がする。


 生命の尊厳を重んじる主神デウス・ラーの司祭として、いずれ生命を生み育む女性として、この魔法は生理的に許せない。

 けたたましい呼吸音を立てて、魔物と化したトカゲは大きく開いた口から、消化液をまき散らしながら、さらに彼女に迫ってくる。

 その哀れな姿に一瞬だけあいとうの視線を投げかけたホーチィニは、愛用の鞭を握った右手に力を込め直した。

「せめて……その魂が救われんことを」

 アテネの聖女と謳われた宮廷司祭の鞭が唸りをあげて、魔物の身体を打ち据えた。

 先端が翻る度に音速を超え、周囲に衝撃波を放っては、その衝撃波と鞭自体の衝突による破壊力で、魔物の皮膚は裂けて血液が飛散する。

 だが――――

 相手は体長約十五メライ(メートル)を誇る巨体だ。

 ただでさえ分厚い皮膚の下には、魔力で極限にまで強化し肥大化した筋肉があり、まるでプロテクターのように、衝撃を吸収あるいは跳ね返す。

 そのためなかなか有効なダメージとはならないでいた。

――このトカゲは……痛みを感じないのね……。

 こちらがいかに鞭による打撃を加えても、全く怯むことなく巨体の割に俊敏な動きで、捉えられれば一瞬でこちらの身体が噛み千切られるほどの強大な顎を向けてくる。

 さらに、その顎からは悪臭を放つ強力な酸である消化液がまき散らされていた。

 人狼と対峙しているであろうナスカのことも気にかかるし、目の前の哀れな魔物を一刻も早く非道な《魔》の支配から解き放ってやりたかったが――――。

 宮廷司祭はやっかいな戦闘となることを覚悟していた。




     ☆




 弓を構える少女の眼前で、錆びかけた鎖のような模様を持った巨大な蛇が、威嚇するように鎌首を持ち上げていた。

 三角形の頭部、そのあぎとを大きく開き、上顎に折りたたまれるように収まっていた巨大な牙が二本、半透明の黄色い毒液を垂らしつつ剥き出しになっている。


「クサリヘビ……」

 弓を構える弓兵のエルは、少し青ざめた顔で呟いた。

 目の前の巨大な蛇は、人狼が投げ込んできた巨石に張り付いていたクサリヘビが魔物化した物だ。

 クサリヘビ自体は、この地方の北部辺りに生息する毒蛇として、傭兵たるエルも知っている。

 ただ、彼女の故郷ブリティア王国には生息していない種であり、アテネに来て三ヶ月程度の彼女は、この種の毒蛇と対峙した経験はない。

 傭兵として活動中に遭遇した場合に備え、簡単な知識として知っている程度だったが。

――それが、初遭遇は魔物化した個体だなんて……。

 エルは、ゲンナリとした視線を毒々しい網目模様を持つ蛇の巨体に向ける。

 禍々しい鱗の所々に、エルが放った理力弓の矢が数本刺さったまま、流れ出る血液が滲んでいるが、蛇はお構いなしにその巨体をくねらせてこちらに接近して何度もその牙で襲いかかってきていた。

「あと七本……」

 背中の弓入れにある残った矢の数を確認し、エルは矢を放つ。

 音速に達したその矢は、大きく開かれた蛇の口の中に飛び込み、巨大な舌の付け根に刺さるが、それでも蛇の動きが鈍ることはなかった。

「どうやって倒せってのッ」

 悪態を吐きながら、襲ってきたあぎとをすんでの所で飛び退きかわすエル。

 彼女の周囲には土煙と共に、蛇の毒液が辺りに飛び散っていく。

「痛ッ」

 後方へ大きく飛び退きながら、エルは左上腕に走る痛みに顔を歪めた。

 視線を痛みのした方に向ければ、濡れた土煙を少しかぶった左上腕が赤く晴れ上がっている。

 蛇の毒はどうやら溶血性の出血毒……それも、噛みつかれたわけではないのに、その毒を含む土煙を浴びただけでもダメージを受けるほどの強力なヤツだ。

 元々クサリヘビは、出血毒を持つ種が多いと聞くが、普通の個体でも他の毒蛇と比べ牙がやたら長く、噛みついたときに注入される毒液の量も多い。

 魔物化した目の前の巨大蛇は、魔力によって毒の量も危険性も極端に強化されていると推測できた。

 噛みつかれでもしたら、一瞬で自分の血液の総量以上に毒を注入され、身体がぐずぐずに崩壊するだろう。

 今まで、アテネの傭兵隊に入隊し魔物の駆逐依頼をこなし、祖国ブリティア王国においても、いくつか魔物退治をした経験があるエルだったが、目の前の巨大蛇の危険性に戦慄した。


――これは……ちょっとヤバイかも……。


 新しい矢を背中の矢入れから抜きつつ、エルはさらに蛇から離れるように全力で走り出す。

 風のように走るエルに狙いを定めた巨大蛇も、その巨体をくねらせ大地と鱗をこすり合わせる耳障りな音を立てながら、彼女を猛然と追ってきていた。

 まるで逃亡するかのように全力疾走する弓兵は、ちらりとその蛇の方に視線を向ける。

 その視界には、蛇の後方、巨大なトカゲと戦う宮廷司祭と、さらにその向こうに人狼と激しいけんげきを繰り返す傭兵隊長の姿を捕らえていたが……。

 やがて彼らから遠く離れ、森の木々の影にその姿が消えていくと、エルは、左腕の痛みによって脂汗の滲んだその顔にニヤリと笑みを浮かべるのだった。

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