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【カイ目線番外編・後日談】その想いは、語られない

雪の日

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 カイ・ゼーアの朝は、懐中時計のゼンマイを巻くところから始まる。

「ふわぁ……」

 まだ暗い中、欠伸をして目を開けたカイはサイドボードに手を伸ばし、そこにある懐中時計の蓋を開いた。熾火の光に反射させ、なんとなくの現在時刻を確認する。

(うーん、一度起きるか……)

 つまみをチリチリと回しながら考えた後、気合を入れて起き上がる。全裸のまま暖炉に駆け寄って消えかけの熾火をつつき、その上に薪を放り込んでベッドの中に大急ぎで戻る。

「なぁに……つめたいよ……」

 毛布の中にいたヴィクトールに抱きつくと、眠そうな声とともに青灰色の目が薄く開いた。起こしたかな、と思っているうちに目は閉じ、規則正しい寝息が再開する。微笑んだカイも犬のように鼻をヴィクトールにくっつけ、また目を閉じた。部屋が温まるまでの間、少しウトウトしようという魂胆である。

「きゃあっ!」

 だが心地よいまどろみは、すぐに階下からの悲鳴と甲高い音によって遮られた。びっくりしたカイが目を開けると、今度こそしっかりと覚醒した伴侶の顔があった。

「な……なんだ……?」
「多分リタかと」
「毎朝だなぁ……これじゃ何枚お皿があっても足りないぞ」

 体を起こしたヴィクトールは、大きく伸びをしてカイを見下ろした。相変わらず枯れ木のように細く骨が浮き出ているが、これでも最初に共寝したときよりは大分肉がついているのだ。愁いを帯びた瞳とほつれて鎖骨にかかる落ち着いた色合いの金髪に、ベッドに引きずり込んで昨晩の続きをしたくなるが自重する。これからヴィクトールの親に『会いに行く』というのに、それは何だか恥ずかしい気がしたからだ。

 緩慢な動きで立ち上がり、服を着る薄い背中には、大きな傷跡がある。カイとその双子の妹であるアルマ、育て親兼今となってはアルマの夫であるエックハルトとヴィクトールの4人が以前、家族のように暮らしていたころに負ったものだ。

 きっかけはエックハルトの浮気かなにかである。逆上した彼女が家まで押しかけてきて、まだ子供だったカイがうっかり——ヴィクトールが帰ってきたと思ったのだ——家の扉を開けてしまったのだ。
 必死の鬼ごっこを繰り広げたものの呆気なく捕まってしまったカイは、叫び声一つあげられず自分の目に迫ってくるナイフの切っ先を見つめることしかできなかった。アルマはカイを助けようとして、覚えたての魔法で女を吹き飛ばそうとしたのだ。
 そこにちょうど帰宅したヴィクトールは、カイに防御魔法をかけつつアルマの射線を切るように飛び込んできた。当然アルマ渾身の一撃をもろに受けることになったヴィクトールは家ごと吹き飛び、瀕死の重傷を負ったのである。

「あの時、カイ君たちに怪我がなくてよかったよ」

 後で聞いたところそう言ってヴィクトールは笑っていたが、この頓珍漢な上に鈍感極まりない我が伴侶は知らないのだろう、とカイはこの傷を見るたび思う。
 エックハルトが、この時どれだけ取り乱したかを。
 殺されるかと思った。というか、多分、見間違いでなければアルマは一回死んだと思う。蘇生魔法が間に合ったのか、それとも禁呪の類をエックハルトが使ったのか、あるいは今のアルマは死体が動いているだけなのか。カイには分からないが、アルマの首が地面に落ちるところは確かに見た。
 エックハルトがアルマと結婚したのも、その時の負い目があるからではないかとカイは疑っている。

(まあ、今は……子宝にも恵まれて、2人とも幸せそうだからいいけど)

 どっちみちカイには口外禁止の魔法がかけられているので、エックハルトが死ぬまで誰にもこの件を話すことはできない。あまり考えたくないがひ弱なヴィクトールの方が師匠より先に往生すると思われるので、おそらくこの人は何も知らないまま一生を終えるのだろう。
 身支度を整えて階下に降りると、赤毛を三つ編みにした少女とモフモフの犬が朝食の準備をしているところだった。2人ともヴィクトールを見た瞬間、気まずげに目をそらす。

「怪我はしてない? 今日はどれ?」

 ヴィクトールに聞かれ、リタは机の上においてあった皿をそっと持ち上げた。真っ白な大皿が真っ二つになっている。

「すいません……また……」
「いいよ。今度から木皿にしようね」

 諦めを通り越し、和やかとすら言える表情で割れた皿を眺めたヴィクトールは、それからはたと手を打った。

「ああ、いや、皆でお皿を作っても楽しいかな。それぞれが好きな金属で、好きな形のお皿を打つんだ」

 カイの伴侶は「幻影角燈」という、ランプの中に魔法の幻影を込める魔道具の作成を生業としていて、金属の細工に長けている。
 現在存命の細工師で、ヴィクトールより技術のある者がいないくらいには。
 だが本人にその自覚は全くない。それどころか他人の作品を見るたびに「自分にその発想はなかった」などと言い出して勝手に凹み始めるのが面倒である——そこもまた可愛らしいのだが。

「あらいいわね」

 応えたのは白い巨犬、ロジウムの方だった。

「久しぶりに私も鍛金やってみようかしら」
「え、ロジウムさん鍛金できるんですか」

 嬉しそうに尾を振るロジウム。だが思わず浮かんだ疑問をカイが口にすると、途端にがるると低い唸り声が上がった。

「なによ。アタシだってコボルトなんだから、そこらの人間より金打ちはできるっての。ヴィーに鍛冶を教えたのも私よ。舐めてんの?」
「いやそういうわけでは……」
「ロジー、ここらへんの人は『コボルト=鍛冶』ってイメージないから、ね?」

 もこもこと毛の生えた短い指で、どうやってハンマーを握るのか疑問だっただけである。ヴィクトールの陰に隠れるようにして、カイはそそくさと玄関の扉を引いた。さっさと朝の散歩に逃げ出そうと思ったのだが、あいにく昨晩降った雪が膝上までどっかりと積もって行く手を阻んでいる。ここに来たばかりの頃は呆れるほど降るこの雪の量が物珍しかったものの、今となってはうざったいだけだ。
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