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貴人の朝
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佑が目を開けると、差し込んだ光が柔らかく室内を照らしていた。その光の出所である障子と、その上にある細かな彫刻が施された欄間――この部屋の名前でもある水芭蕉と、鷺の細かな彫り目を眺めた後、佑はゆっくりと布団から体を起こした。長年の癖で布団を畳みそうになり、その手を止める。
(……自分でやったら、駄目なんだっけ)
貴人たるものむやみに働くべきではない、そう初日に侍女に注意されたが、まだ実感が沸かない。
(俺が、竜王の第二の妻とはね……)
ため息をついて顔を上げると、姿見に佑が映っていた。男にしては華奢な体躯と、嫁入りのために慌てて伸ばした、胸の上あたりまでの髪。女のよう、と言われる丸顔と黒目がちな瞳は、自分ではそんなに好きではない。
障子を少し引き開け、板張りの縁側に出る。初夏の朝は空気が湿っている。低い太陽の光を反射する池に目を細めると、竜王の住む御所と、正妻のいる睡蓮の宮が見えた。内裏の中心にある対の建物から少し離れたところに、側室である佑の住居、水芭蕉の宮は位置している。
(皆、元気にしてるかな)
御所の背景、人間界と動物界を隔てる高い山脈を眺めながら佑は考えた。その先端は雲の中に消えるほど高く、端は見渡す限り左右に続いている。
「竜王様に水害から守護して頂いた礼として、嫁となる人間を定期的に捧げる」という遥か昔の盟約に従い、山の向こうにあるクマオギ村から佑が来たのはもう三週間も前になる。
もっとも、本当は嫁になるのは佑の双子の姉、美鈴の予定だった。だが、輿入れを目前にして美鈴は病に倒れ、十八にしてあっけなく亡くなってしまったのだ。
代わりのものを立てようにも、村には美鈴以外にしっかりと教育を受けた女性はいなかった。誰かが「獣というやつは精力が強いから男でも孕ませられるらしい」などと言い出し、またあるものが「昔は男が嫁に行ったこともあるようだ」と歴史を紐解き、そして白羽の矢が立ったのが佑だった。
姉の従者として結婚に同行すべく最低限の教育を受けているし、幸いなことに器量の良い見た目も背格好も似ている、だから佑しかいないんだと言われたときにはそんな馬鹿な話があるかと思ったが、村のためと言われては断り切れなかった。
そして、喪明け――十九になった佑は、竜王の側室になった。
(今頃は田植えの季節だろうか)
たっぷりと水の張った田んぼに、まだ小さな稲が揺れる様子を思い浮かべていると、背後でするりと襖の開く音がした。
「あ……おはようございます」
「おはようございます、佑殿下」
振り向くと、緑の着物を着た結い髪の女性――佑つきの侍女、半崎がにこりと微笑んだ。
「今日もよいお天気ですわね」
そう言いながら布団を畳み、佑の着替えを出す彼女の服の裾からは、ぬらりとした焦げ茶色の尾が伸びている。半崎は山椒魚なのだ。
半崎の手によって夜着を脱がされ、今日の服を着せかけられる。ちらりと見下ろすと、佑の左胸の上に、手のひらほどの三角の傷跡が入っているのが確認できた。佑が竜王の野分のものであることを示す印だ。
まだ赤いそこがじくりと痛んだような気がして、慌てて目を逸らす。
迎えられた日の夜、裸にした佑に爪で傷をつけた野分は、「痛かろう」と一晩横にいただけで翌朝には御所に戻ってしまった。そして、それ以来佑を訪ねてきたことはない。
自分のような魅力のない男が来てしまって、彼も困っているのだろうと佑は思う。お互いの立場上、気に入らないからと言って突き返すわけにもいかないだろうし。
(やっぱり、俺が嫁ってのは無理があったんだよ)
自分には似合わない、と思いながら美鈴のために仕立てた桜色の着物に袖を通し、支度を整える。朝食は毒見ですっかり冷めてしまったわずかばかりのおかゆだけだ。竜王は細い体形が好きらしいので、女性に比べてがっしりとした佑は気を使わなくてはいけない。
そして、朝食を食べ終わると、次は昼食まで特にすることはない。后妃は子を産むのが仕事であり、政治に介入して権力の均衡が崩れるといけない――つまり、竜王の仕事を手伝うことも禁じられているからだ。
詩を作ったり、笛を吹いたりしてはどうか、と半崎には勧められたが、佑はその手のことは好きではなかった。
(きっと、姉さんなら……もっと、違ったんだろうな)
姉には華やかさと、人の心を掴む力があった。詩も歌も上手かったし、今頃竜王の寵愛を受けて楽しく暮らしていただろう。だが、見た目が似ているだけの佑にその能力はない。
(……自分でやったら、駄目なんだっけ)
貴人たるものむやみに働くべきではない、そう初日に侍女に注意されたが、まだ実感が沸かない。
(俺が、竜王の第二の妻とはね……)
ため息をついて顔を上げると、姿見に佑が映っていた。男にしては華奢な体躯と、嫁入りのために慌てて伸ばした、胸の上あたりまでの髪。女のよう、と言われる丸顔と黒目がちな瞳は、自分ではそんなに好きではない。
障子を少し引き開け、板張りの縁側に出る。初夏の朝は空気が湿っている。低い太陽の光を反射する池に目を細めると、竜王の住む御所と、正妻のいる睡蓮の宮が見えた。内裏の中心にある対の建物から少し離れたところに、側室である佑の住居、水芭蕉の宮は位置している。
(皆、元気にしてるかな)
御所の背景、人間界と動物界を隔てる高い山脈を眺めながら佑は考えた。その先端は雲の中に消えるほど高く、端は見渡す限り左右に続いている。
「竜王様に水害から守護して頂いた礼として、嫁となる人間を定期的に捧げる」という遥か昔の盟約に従い、山の向こうにあるクマオギ村から佑が来たのはもう三週間も前になる。
もっとも、本当は嫁になるのは佑の双子の姉、美鈴の予定だった。だが、輿入れを目前にして美鈴は病に倒れ、十八にしてあっけなく亡くなってしまったのだ。
代わりのものを立てようにも、村には美鈴以外にしっかりと教育を受けた女性はいなかった。誰かが「獣というやつは精力が強いから男でも孕ませられるらしい」などと言い出し、またあるものが「昔は男が嫁に行ったこともあるようだ」と歴史を紐解き、そして白羽の矢が立ったのが佑だった。
姉の従者として結婚に同行すべく最低限の教育を受けているし、幸いなことに器量の良い見た目も背格好も似ている、だから佑しかいないんだと言われたときにはそんな馬鹿な話があるかと思ったが、村のためと言われては断り切れなかった。
そして、喪明け――十九になった佑は、竜王の側室になった。
(今頃は田植えの季節だろうか)
たっぷりと水の張った田んぼに、まだ小さな稲が揺れる様子を思い浮かべていると、背後でするりと襖の開く音がした。
「あ……おはようございます」
「おはようございます、佑殿下」
振り向くと、緑の着物を着た結い髪の女性――佑つきの侍女、半崎がにこりと微笑んだ。
「今日もよいお天気ですわね」
そう言いながら布団を畳み、佑の着替えを出す彼女の服の裾からは、ぬらりとした焦げ茶色の尾が伸びている。半崎は山椒魚なのだ。
半崎の手によって夜着を脱がされ、今日の服を着せかけられる。ちらりと見下ろすと、佑の左胸の上に、手のひらほどの三角の傷跡が入っているのが確認できた。佑が竜王の野分のものであることを示す印だ。
まだ赤いそこがじくりと痛んだような気がして、慌てて目を逸らす。
迎えられた日の夜、裸にした佑に爪で傷をつけた野分は、「痛かろう」と一晩横にいただけで翌朝には御所に戻ってしまった。そして、それ以来佑を訪ねてきたことはない。
自分のような魅力のない男が来てしまって、彼も困っているのだろうと佑は思う。お互いの立場上、気に入らないからと言って突き返すわけにもいかないだろうし。
(やっぱり、俺が嫁ってのは無理があったんだよ)
自分には似合わない、と思いながら美鈴のために仕立てた桜色の着物に袖を通し、支度を整える。朝食は毒見ですっかり冷めてしまったわずかばかりのおかゆだけだ。竜王は細い体形が好きらしいので、女性に比べてがっしりとした佑は気を使わなくてはいけない。
そして、朝食を食べ終わると、次は昼食まで特にすることはない。后妃は子を産むのが仕事であり、政治に介入して権力の均衡が崩れるといけない――つまり、竜王の仕事を手伝うことも禁じられているからだ。
詩を作ったり、笛を吹いたりしてはどうか、と半崎には勧められたが、佑はその手のことは好きではなかった。
(きっと、姉さんなら……もっと、違ったんだろうな)
姉には華やかさと、人の心を掴む力があった。詩も歌も上手かったし、今頃竜王の寵愛を受けて楽しく暮らしていただろう。だが、見た目が似ているだけの佑にその能力はない。
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