8 / 31
8
しおりを挟む
(ああ……やっぱり僕、この人のこと、好きなんだな)
きゅん、と胸の奥から湧き出る気持ちを噛みしめていると、樹の右手に生温かいものが当たった。反射的に感じた不快感に手を引っこめそうになるがその前に握りこまれ、指を絡められる。須野原の手だった。
「あ、せ、先輩?」
「夜は寒いよねー」
「う、うん」
ふわりと笑う須野原に、なんとなく頷き返してしまう。もう一度軽く握りなおされた手のひらはほっとするような温かさで、今の一瞬は驚いたせいだろうと樹は結論付けた。
学校近くの飲み屋街は、平日だが学生や会社員で賑わっている。店の電飾で彩られる街並みを眺めながら須野原と手を繋ぎ、どこへともなく手を引かれるまま歩く。横断歩道の信号待ちで立ち止まった須野原が、樹の顔を見下ろした。
「ねえ、樹。もうちょっと二人で飲みたいし、お金も返したいからこれから俺の部屋に来ない?」
「えっ?」
まだ別れたくないという気持ちを見透かされたようでドキリとする。須野原は横断歩道の反対側を指さした。
「俺の家、あそこで曲がってすぐのところにあるんだ。途中にコンビニがあるから、そこで飲み物買っていこうか」
「っ……は、はい!」
横断歩道を渡り、角を曲がると途端に飲食店の煌びやかさはなくなり、アパートが立ち並ぶ区画になる。すぐ、というにはちょっと遠い場所にあるマンションに須野原は樹を案内した。
「はい、どうぞ上がって上がって」
「お、お邪魔しまーす……」
オートロックで築浅の、しっかりした作りに見える三階の角部屋。恐る恐る淳哉が踏み込むと、1LDKの室内はきっちりと片付いていて、ふわりと少し香ばしい匂いがした。ローテーブルの上にある灰皿を見て、ようやくそれが煙草の匂いであることに樹は思い至った。
「好きなとこ座ってよ」
「はい……」
ローテーブルの端に腰を下ろし、部屋を見回す。作り付けの本棚に数学書が何冊かあるのはさすが数学科だ。
「あんまりじろじろ見られると恥ずかしいな、片付いてないし」
「そんなことないですよ!」
人を家にすぐあげられるくらい片付いている時点で凄い、と樹は思う。部屋に来た淳哉に小言を言われ、渋々掃除をする樹とは大違いである。
「そういうってことは、樹の家は汚部屋なのかな?」
苦笑した須野原はローテーブルの上にコンビニの袋を置くと暖房をつけ、樹の隣に座った。中からチューハイの缶を取り出して樹に手渡し、小さく乾杯して口をつける。
学校のことやバイト先——キャバクラのボーイをやっているらしい。樹には縁遠い世界すぎて、実は須野原の使う単語に分からないものがいくつもあったのは内緒だ——の話をする須野原に、樹は緊張のあまり相槌を打つので精いっぱいだった。話さない分飲むスピードが速くなるのか、一缶目があっという間に空になっていた。
樹はあまり酒に強い方ではない。ふわふわ、を通り越してすでにくらくらになりかけていた。
「あ、大丈夫? お水飲む?」
「ありがと……ござます」
樹の様子に気づいたのか、パッと席を立った須野原が水を持って戻ってくる。受け取って口をつけると、唇の端から水が垂れた。
「はりゃ?」
「もー、こぼれてるよ」
ティッシュで樹の口の端を拭った須野原は、灰皿の横にあった煙草とライターを手に取った。樹に聞くこともなく一本咥え、かちりと火をつける。
すう、とおいしそうに煙草を吸い、それから紫煙を吐き出す須野原から樹は目が離せなかった。煙草の少し苦い匂いと、須野原の付けている甘い香水が交じり合った香りが強くなり、樹の胸を高鳴らせた。
長く爪まで整えられた指が、唇に軽く咥えられた細い煙草を挟む。気だるげにこちらを見る色素の薄い瞳と視線が合った。
「……樹。今日、泊まってくでしょ?」
煙草を灰皿の端に置いた須野原は、樹の耳元に口を近づけて囁いた。樹が答える前に、着ていたシャツのボタンを須野原が外していた。戸惑っているうちに樹のシャツの前ははだけられており、須野原の細い手が樹の脇腹を直接撫でた。
「……っ!」
素肌に触れる須野原の指先に、樹の体がぞくりと震える。淳哉に触れられた時と同じような感覚だったが、なぜか今回は怖いと思った。須野原の射るような視線に体が竦む。
そのまま手が後ろに回され、横から抱きしめられる。息もできずに樹が固まっていると、須野原が「あら」と小さく声を上げた。
「樹はうぶな顔して、意外とえっちなんだね。跡つけて俺とのデートに来てたなんて、嫉妬しちゃうな」
背中を移動した須野原の手が、樹の首の付け根あたりをつついた。
「あと……?」
何の事だろう。見返すと、須野原の長い指が樹の唇をつつく。
「これ。キスマーク。恋人いるの? それともウリとかしてるの? かわいいもんね、樹は」
「そんなの知ら……あ」
否定しようとして、樹は淳哉のことを思い出した。あの時確か、須野原が示したあたりを淳哉が触ってきたような感触があった。
「僕、そんな」
「いいよ、そんな奴のこと忘れさせてあげるから」
とはいえ須野原が想像したようなことをしたわけではない……と思う。弁解しようと開いた唇の間に、須野原の指先が入ってきた。
「ふ、あぅ」
樹の舌の端を、須野原の滑らかな指が撫でる。ぬるりとした感触に喉の奥からこみ上げるものを感じた樹は、思わず須野原を突き飛ばして立ちあがっていた。
「ご、ごめんなさいっ!」
はだけたシャツの前を掻き合わせて走り出す。
「え、ちょ、樹?」
あっけにとられる須野原の声は、閉じていく部屋の扉に遮られた。
きゅん、と胸の奥から湧き出る気持ちを噛みしめていると、樹の右手に生温かいものが当たった。反射的に感じた不快感に手を引っこめそうになるがその前に握りこまれ、指を絡められる。須野原の手だった。
「あ、せ、先輩?」
「夜は寒いよねー」
「う、うん」
ふわりと笑う須野原に、なんとなく頷き返してしまう。もう一度軽く握りなおされた手のひらはほっとするような温かさで、今の一瞬は驚いたせいだろうと樹は結論付けた。
学校近くの飲み屋街は、平日だが学生や会社員で賑わっている。店の電飾で彩られる街並みを眺めながら須野原と手を繋ぎ、どこへともなく手を引かれるまま歩く。横断歩道の信号待ちで立ち止まった須野原が、樹の顔を見下ろした。
「ねえ、樹。もうちょっと二人で飲みたいし、お金も返したいからこれから俺の部屋に来ない?」
「えっ?」
まだ別れたくないという気持ちを見透かされたようでドキリとする。須野原は横断歩道の反対側を指さした。
「俺の家、あそこで曲がってすぐのところにあるんだ。途中にコンビニがあるから、そこで飲み物買っていこうか」
「っ……は、はい!」
横断歩道を渡り、角を曲がると途端に飲食店の煌びやかさはなくなり、アパートが立ち並ぶ区画になる。すぐ、というにはちょっと遠い場所にあるマンションに須野原は樹を案内した。
「はい、どうぞ上がって上がって」
「お、お邪魔しまーす……」
オートロックで築浅の、しっかりした作りに見える三階の角部屋。恐る恐る淳哉が踏み込むと、1LDKの室内はきっちりと片付いていて、ふわりと少し香ばしい匂いがした。ローテーブルの上にある灰皿を見て、ようやくそれが煙草の匂いであることに樹は思い至った。
「好きなとこ座ってよ」
「はい……」
ローテーブルの端に腰を下ろし、部屋を見回す。作り付けの本棚に数学書が何冊かあるのはさすが数学科だ。
「あんまりじろじろ見られると恥ずかしいな、片付いてないし」
「そんなことないですよ!」
人を家にすぐあげられるくらい片付いている時点で凄い、と樹は思う。部屋に来た淳哉に小言を言われ、渋々掃除をする樹とは大違いである。
「そういうってことは、樹の家は汚部屋なのかな?」
苦笑した須野原はローテーブルの上にコンビニの袋を置くと暖房をつけ、樹の隣に座った。中からチューハイの缶を取り出して樹に手渡し、小さく乾杯して口をつける。
学校のことやバイト先——キャバクラのボーイをやっているらしい。樹には縁遠い世界すぎて、実は須野原の使う単語に分からないものがいくつもあったのは内緒だ——の話をする須野原に、樹は緊張のあまり相槌を打つので精いっぱいだった。話さない分飲むスピードが速くなるのか、一缶目があっという間に空になっていた。
樹はあまり酒に強い方ではない。ふわふわ、を通り越してすでにくらくらになりかけていた。
「あ、大丈夫? お水飲む?」
「ありがと……ござます」
樹の様子に気づいたのか、パッと席を立った須野原が水を持って戻ってくる。受け取って口をつけると、唇の端から水が垂れた。
「はりゃ?」
「もー、こぼれてるよ」
ティッシュで樹の口の端を拭った須野原は、灰皿の横にあった煙草とライターを手に取った。樹に聞くこともなく一本咥え、かちりと火をつける。
すう、とおいしそうに煙草を吸い、それから紫煙を吐き出す須野原から樹は目が離せなかった。煙草の少し苦い匂いと、須野原の付けている甘い香水が交じり合った香りが強くなり、樹の胸を高鳴らせた。
長く爪まで整えられた指が、唇に軽く咥えられた細い煙草を挟む。気だるげにこちらを見る色素の薄い瞳と視線が合った。
「……樹。今日、泊まってくでしょ?」
煙草を灰皿の端に置いた須野原は、樹の耳元に口を近づけて囁いた。樹が答える前に、着ていたシャツのボタンを須野原が外していた。戸惑っているうちに樹のシャツの前ははだけられており、須野原の細い手が樹の脇腹を直接撫でた。
「……っ!」
素肌に触れる須野原の指先に、樹の体がぞくりと震える。淳哉に触れられた時と同じような感覚だったが、なぜか今回は怖いと思った。須野原の射るような視線に体が竦む。
そのまま手が後ろに回され、横から抱きしめられる。息もできずに樹が固まっていると、須野原が「あら」と小さく声を上げた。
「樹はうぶな顔して、意外とえっちなんだね。跡つけて俺とのデートに来てたなんて、嫉妬しちゃうな」
背中を移動した須野原の手が、樹の首の付け根あたりをつついた。
「あと……?」
何の事だろう。見返すと、須野原の長い指が樹の唇をつつく。
「これ。キスマーク。恋人いるの? それともウリとかしてるの? かわいいもんね、樹は」
「そんなの知ら……あ」
否定しようとして、樹は淳哉のことを思い出した。あの時確か、須野原が示したあたりを淳哉が触ってきたような感触があった。
「僕、そんな」
「いいよ、そんな奴のこと忘れさせてあげるから」
とはいえ須野原が想像したようなことをしたわけではない……と思う。弁解しようと開いた唇の間に、須野原の指先が入ってきた。
「ふ、あぅ」
樹の舌の端を、須野原の滑らかな指が撫でる。ぬるりとした感触に喉の奥からこみ上げるものを感じた樹は、思わず須野原を突き飛ばして立ちあがっていた。
「ご、ごめんなさいっ!」
はだけたシャツの前を掻き合わせて走り出す。
「え、ちょ、樹?」
あっけにとられる須野原の声は、閉じていく部屋の扉に遮られた。
0
あなたにおすすめの小説
経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!
中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。
無表情・無駄のない所作・隙のない資料――
完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。
けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。
イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。
毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、
凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。
「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」
戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。
けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、
どこか“計算”を感じ始めていて……?
狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ
業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!
【完結・BL】春樹の隣は、この先もずっと俺が良い【幼馴染】
彩華
BL
俺の名前は綾瀬葵。
高校デビューをすることもなく入学したと思えば、あっという間に高校最後の年になった。周囲にはカップル成立していく中、俺は変わらず彼女はいない。いわく、DTのまま。それにも理由がある。俺は、幼馴染の春樹が好きだから。だが同性相手に「好きだ」なんて言えるはずもなく、かといって気持ちを諦めることも出来ずにダラダラと片思いを続けること早数年なわけで……。
(これが最後のチャンスかもしれない)
流石に高校最後の年。進路によっては、もう春樹と一緒にいられる時間が少ないと思うと焦りが出る。だが、かといって長年幼馴染という一番近い距離でいた関係を壊したいかと問われれば、それは……と踏み込めない俺もいるわけで。
(できれば、春樹に彼女が出来ませんように)
そんなことを、ずっと思ってしまう俺だが……────。
*********
久しぶりに始めてみました
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
《完結》僕が天使になるまで
MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。
それは翔太の未来を守るため――。
料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。
遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。
涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。
【完】君に届かない声
未希かずは(Miki)
BL
内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。
ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。
すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。
執着囲い込み☓健気。ハピエンです。
寡黙な剣道部の幼馴染
Gemini
BL
【完結】恩師の訃報に八年ぶりに帰郷した智(さとし)は幼馴染の有馬(ありま)と再会する。相変わらず寡黙て静かな有馬が智の勤める大学の学生だと知り、だんだんとその距離は縮まっていき……
【完結】君を上手に振る方法
社菘
BL
「んー、じゃあ俺と付き合う?」
「………はいっ?」
ひょんなことから、入学して早々距離感バグな見知らぬ先輩にそう言われた。
スクールカーストの上位というより、もはや王座にいるような学園のアイドルは『告白を断る理由が面倒だから、付き合っている人がほしい』のだそう。
お互いに利害が一致していたので、付き合ってみたのだが――
「……だめだ。僕、先輩のことを本気で……」
偽物の恋人から始まった不思議な関係。
デートはしたことないのに、キスだけが上手くなる。
この関係って、一体なに?
「……宇佐美くん。俺のこと、上手に振ってね」
年下うさぎ顔純粋男子(高1)×精神的優位美人男子(高3)の甘酸っぱくじれったい、少しだけ切ない恋の話。
✧毎日2回更新中!ボーナスタイムに更新予定✧
✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧
恋文より、先にレポートが届いた~監視対象と監視官、感情に名前をつけるまで
中岡 始
BL
政府による極秘監視プロジェクト──その対象は、元・天才ハッカーで現在は無職&生活能力ゼロの和泉義人(32歳・超絶美形)。
かつて国の防衛システムに“うっかり”侵入してしまった過去を持つ彼は、現在、監視付きの同居生活を送ることに。
監視官として派遣されたのは、真面目で融通のきかないエリート捜査官・大宮陸斗(28歳)。
だが任務初日から、冷蔵庫にタマゴはない、洗濯は丸一週間回されない、寝ながらコードを落書き…と、和泉のダメ人間っぷりが炸裂。
「この部屋の秩序、いつ崩壊したんですか」
「うまく立ち上げられんかっただけや、たぶん」
生活を“管理”するはずが、いつの間にか“世話”してるし…
しかもレポートは、だんだん恋文っぽくなっていくし…?
冷静な大宮の表情が、気づけば少しずつ揺らぎはじめる。
そして和泉もまた、自分のために用意された朝ごはんや、一緒に過ごすことが当たり前になった日常…心の中のコードが、少しずつ書き換えられていく。
──これは「監視」から始まった、ふたりの“生活の記録”。
堅物世話焼き×ツンデレ変人、心がじわじわ溶けていく、静かで可笑しな同居BL。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる