そばにいる人、いたい人

二ッ木ヨウカ

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 教室に入ると、眠そうな顔をした須野原がすでに教室内後方に陣取っていた。目が合って手を振られた瞬間、心臓が跳ねた。それじゃ、と別れて歩いていく淳哉を見送り、須野原の隣に座る。

「あの、須野原せんぱ……」
「樹~、昨日はいきなり走って行っちゃったからびっくりしたよ」

 ふわりと安堵の表情を浮かべる須野原に、樹の動悸が少し収まる。

「すいません、ちょっと飲みすぎちゃったみたいで……気持ち悪くなっちゃって」
「え、そうだったの? 気づいてあげられなくてごめんね、大丈夫だった?」
「なんとか……」

 小さく頷くと、机の上にペンケースを出していた樹の手を須野原が握った。

「よかったぁ、俺、樹に嫌われちゃったかと思ってたぁ」
「そ、そんなこと」

 言いかけて、自分の手を握る須野原の指先が口内に入ってきたときのことを樹は思い出し、「う」と口元を押さえた。ざわり、と背筋が粟立つ。

「わ、だ、大丈夫?」
「ちょっと、二日酔いで……」
「ごめん、飲ませすぎちゃったね。そんなにお酒弱いと思ってなくて……無理しないで寝てればよかったのに」
「いやでも」
「真面目だねー」

 ふふ、と笑った須野原の腕が、横に置かれた紙袋に当たった。あ、と芝居がかった顔つきで目を見開いた須野原がその紙袋を樹に差し出した。

「そうだ樹、昨日コート忘れてったでしょ。はいこれ」
「あ、ありがとうございます!」
「もう、敬語やめてって言ったでしょ~」
「あ、そ、そうか、ごめん」

 受け取って中を覗くと、確かに昨日樹が着ていたコートである。一晩須野原の部屋に合ったせいか中からは煙草の匂いがして、それに少しくすぐったさを感じた。
 良かったと胸をなでおろしていると、「ところでさ」と須野原が教室の前方を見た。その視線の先には、最前列に座って人を寄せ付けないオーラを発している淳哉がいる。

「さっき一緒だった子って誰? 友達?」
「え、ああ、淳哉だよ。笹森淳哉。幼稚園から一緒の幼馴染なんだ。一番の親友……って言っていいと思う」
「へえ」

 須野原の視線が鋭くなった。じろりと淳哉を睨みつけ、上から下まで眺め回す。そんなに警戒する相手ではないのに、と樹は慌てて言葉を重ねる。

「あ、見た目は……いつも不機嫌っぽい感じあるけど、そんなことないから! 多分今も眠いだけとかそういう話だと思うし……えっと、それで、学校の先生目指してるんだけど、だからか教え方が上手くて、いっつも試験前には分からない所教えてもらってるんだ。今度先輩にも紹介」
「つまんなそうな奴だね」
「へ?」

 須野原の吐き捨てるような、意外すぎる言葉を処理できずに樹は思わず変な声を出した。

「樹さ、あんなつまんない奴とつるんでると樹まで面白くない人間になっちゃうよ? 長い付き合いなのはわかるけど……ちょっと距離置いたほうがいいんじゃない?」
「……えっ」

 確かに淳哉は、樹の目から見ても「面白い」性格ではない。笑える冗談を飛ばすわけではないし、遊びに長けているわけでもない。車が来ていなくても青信号を待って横断歩道を渡るし、コンビニで樹が何か買おうとすると「あっちの方が安い」と言ってスーパーへ行こうとするので、面倒くさいと思う瞬間もなくはない。

「付き合う相手によって生き方のレベルって変わるし、友人は選んだほうがいいって」
「で、でも」

 だが、淳哉の性格や生き方が否定されるようなものだとは樹には思えなかった。猫舌の樹が気兼ねなく熱いものを頼めるのは淳哉の前だけで、それだけでもかけがえのない友人といえる。この前風邪で動けなくなってしまった樹を看病してくれたのも淳哉だ。帰っていいよというのに「心配だから」とずっと樹の横にいたせいで、その後淳哉の方が寝込んでいたくらいだ。

「すごく、いいやつ……だよ?」
「そうかもしれないけどさ、笹原くん、だっけ? 彼と一緒にいても樹に得るものがないじゃん。そんなの結局時間とお金の無駄にしかならないから」
「得るもの……?」

 そんなこと、考えたこともなかった。友人関係で、何かの利益を得る必要があるのだろうか。ただ楽しい時間を一緒に過ごせるというだけではいけないのだろうか。樹が困惑していると、須野原は笑顔を作った。鋭く細めた目はそのままに口角だけを上げた顔は相変わらず美しいのだが、樹にはどこか空恐ろしく見えた。

「あ、そうだ、今度俺の友人紹介してあげるよ。そうすればきっとわかると思うから」

 須野原の友人に紹介してもらえるのは嬉しい。しかし、淳哉が樹の友人としてふさわしくないと言われるのはなんだか納得がいかなかった。
 樹が考え込んでいるうちに教授がやってきて、学生を全く意識していないぼそぼそとした声で授業を始めた。後方の席に座ってしまったせいで聞き取りづらいその声に集中し、自分の予習と照らし合わせているうちに、樹の中に芽生え始めた違和感は頭の隅に押しやられ、忘れ去られていった。
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