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第二章

はぐれた!

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「何で手を繋ぐんだ?」

 歪んだ鏡面のような――細波に揺れる水面のようなダンジョンの入り口に突入しようというところで、アーヴィンが私の手を取った。
 既にライトは発動させて頭上にあり、その手には煤けた木刀のような物が握られている。

「なんとなく。嫌?」
「――別に」

 真っ暗な場所に入るということで、ライトがあるけれど念の為といったところか。

「じゃあ入るよ」
「うん」

 頷くと、アーヴィンが入り口に体を斜めにしながら入って行く。
 引かれる形で中に進むと、一寸先は闇の状態。
 これじゃ魔物に気付いた時には遅かった、といったことになりそうだ。こんなところにいるようなものなら、暗闇の中でも視界が利くのだろうし、それでいてこちらの居場所はライトで丸見え。的はここですよと教えているようなものだからな。

「少し肌寒いな」
「向こうの方から風が吹いて来てる所為だろう。真っ直ぐにそちらに向かうべきか、あるかどうか分からない宝箱を探して歩き回ってみるか……」
「よし、歩こう」
「言うと思った」

 声音は呆れたように聞こえるものなのに、顔を見ればいい笑顔。

「……? 待って」

 しかし不意にその表情が引き締められたかと思うと、ズズズンッ、という腹部に響く重い音と共に、足元が揺れる。

「な、に……?」

 ぐらりとよろけた身体を、アーヴィンが引き寄せて支えてくれようとした。

 バチリッ

「ひゃっ!?」
「いっ――?!」

 青白い雷光のようなものが私を包んで辺りに迸り、アーヴィンを弾き飛ばしてしまう。

「アーヴィン!」
「ルナっ!!」

 揺れが激しくなり、アーヴィンがこちらに伸ばしてくれる手を掴もうとするけれど、まだ青白いものが私の傍から消えない為に引っ込める。
 ――と。

「うわぁっ?」

 アーヴィンの身体が何かに掴み上げられたかのように浮き上がり。

「う、そ……っ」

 私の足元は唐突に崩れて落ちていく。

 一体、どういう罠だよ。ちゃんと教えておいてくれよ、攻略済みのダンジョンなんだからっ!

 腹を立てながら落ちていった私は、しかし次の瞬間青白い空間の中に立っていた。

「……? 何処? 『常闇の境界』で合ってる?」

 真っ暗じゃなくなったのは有り難いが、青白いだけの空間というのも目に悪い。
 傍にあった雷光みたいなものは消えたようで、あれが私をここに連れてきたのかと思ってみたりする。
 取り敢えず、落下の罠で死んだりしなくて良かった。アーヴィンは大丈夫だろうか。

「……魔物も、いなくね?」

 足元に近づくにつれて色は白さを増し、空にあたる上に向かって青くなるだけの、一色とは言えない色合いだけれど、もっと変化が欲しい。そんなに明るくもない筈なのに目が痛くて眩しい気がする。
 なので自分の手を見たり焦げ茶色のジャケットを眺めたりしてみる。……緑が欲しかった。

「海月ー、海月海月海月ー、起きてー」

 あっという間に寂しくなったものだから、もう一人の私に話しかけてみる。

〈何処だ? ここ〉
「分からん」

 すぐに返ってきた声に安堵しつつ、アーヴィンとはぐれたことを説明すると。

〈そうか。ならばワタシのターンだな!〉

 やったぜ、とばかりに威勢良く海月は言うが、彼女が求める魔物がいない。

「外でも魔物と遭遇しなかったんだ。あの邪魔なシード系の奴らも見かけなかった。やっぱり何かおかしかったのかな」
〈やっぱり、って言うことは、何かしら予感があったってことか?〉
「予感って程じゃないよ。ただ、なんとなく気になったくらいでさ」
〈それはさておき――〉

 と海月は私を押し退けるように表面に出てくる。

「ルナは少し休んでな。何かあったらワタシが対処してしんぜよう」
〈うん。頼っておくよ〉

 海月を退屈させていたお詫びもあるし、実際何かあった際には海月の方が反応が速かったりするから、ここは任せることにした。
 しかし、見渡す限り何も見えないのだが、元の場所に戻る手段はあるんだろうか。

「らんらんらー、らららんららー」

 海月は陽気に歌を口ずさみながら歩いているが、メロディーはなんとなく覚えているのに、歌詞を殆ど忘れてしまって思い出せないんだと、少し悲しそうに言っていたこともあって、やはりそこに歌詞らしきものはあまりない。
 さすが異世界の歌とあって、こちらでは全く耳にしたことのない、奇妙な感じがするのにこちらもつい覚えたくなるような気分の良いものだ。

「僕は進むよー、ららんららんらん、らんらん、らん?」

 曲が変わって暫くして、海月が足と共に歌を止めた。
 急にポンッと宝箱が落ちて来たのだ。

「宝箱? 本物? ミミックか?」

 警戒しながらジリジリと近付き、ぺしっと蓋を叩いて様子を窺う。

「……」

 何も起こらない。
 用心を重ねてぺしりともう一度叩いた海月は、ただの宝箱だったかと安心したり残念に思ったりしながら、解錠した。水の印があったから水属性の魔法をかけてみたようだ。
 パカリと開いた宝箱の中にあったのは、鍵。

「……」
〈……〉
「誰ん家の?」
〈否、ここから出るのに必要な鍵かも〉
「そんなもん、恐竜の腹をかっさばいたら出て来るみたいにしなきゃ、つまらんだろうが!」

 うがーっ、と海月は吠えるが、恐竜とやらはともかく、何で腹の中にある設定にするんだろうか。

 仕方なくその銀色の鍵をマジックバッグに放り込んで、ふと顔を上げた海月は、正面と上空とを忙しなく見比べるように首を振る。

〈何てこった〉
「パンナコ……いやいや、素晴らしいではないか!」

 私の呟きに反応して何かを言いかけた海月は、しかしそれを呑み込んで、少しばかり頬を引きつらせながらも上機嫌で「ブラボー」と続ける。

 つい先程まで全く姿を見せなかった魔物。
 それが今や先程の宝箱のように上空から落ちて来て……否、舞い降りて、群れをなしているではないか。

「じゃあ、殺りますか」

 言って海月が抜き放ったのは炎を纏った剣――鳳凰剣。「炎帝の墳墓」で手に入る稀少な武器だが、威力がそこそこあるくらいで使用可能時間がやたら短く、数分経つと鞘に勝手に納まってしまう上に数時間使えなくなるという……正直、あまり使えるとは言い難い物だった。
 しかし、目の前にいる魔物は全て腐乱人形。火属性魔法と合わせて使えば、上手く立ち回れる筈だ。

「さあゾンビども。ワタシの愛の炎を受け止めやがれーっ!!」

 言うなりダッと駆け出す海月。
 腐乱人形は歩く屍体さながらの姿をしているが、腐臭も腐った内臓もそのもの・・・・であるにも関わらず、綿を詰めた人形のように火をつければよく燃える。
 一体が火ダルマになれば、ただ近くを通っただけのものにも燃え移る程の凄まじい火力で、こちらの身も危険だと思われるくらいだ。

「ふはははは! 焼き尽くせ、全てを灰燼かいじんと帰すのだ」

 しかし海月は楽しそうだ。あちこち跳ね回って鳳凰の剣を振り回し続け、炎の波間を渡った所為で暑くて熱くて堪らないんだけど、仕方ない。
 そしてあれだけの炎が、いくら腐乱人形が絶えたからといって、どのようにしたら何事もなかったかのように消えてしまったのか謎だが、気が付くと辺りには腐乱人形が落とした素材、人形服の端切れが大量にあった。

「……これ、必要?」
〈要らないんじゃないかな〉

 だって、そもそも端切れって何に使うんだろう。分からないからこそ、持って行くべき?

「じゃあ、ちょっとだけ」

 考える私に、海月は十枚程手に取ると、マジックバッグに入れようとし、慌てて素材を入れる為の袋に入れて貰おうとしたところで、腰にぶら下がっている袋の中の、銀の筒を思い出す。

〈ぎゃーっ〉
「え、何? これ、何?」

 牛頭羊のミルクに浸した、垈鶏ぬたどりのレッグ肉……さっきの熱で駄目になっていたらどうしよう。

〈肉……肉があぁぁ……〉
「――よし。出口探すか」

 嘆く私をよそに、結局端切れをマジックバッグにしまった海月は、取り敢えず鍵を使う「何か」を探して、また歩き始めた。
 そのうちまた落ちて来るのだろうと、上空を見上げたりしながら。
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