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魔王さま降臨編

魔王さまの、本音? ①

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「……ただいま」

 誰もいない家。玄関で呟いて、溜息。

 溜まっている洗濯をして、ご飯炊いて……今日も目玉焼きだけでいいかな。野菜ジュースまだあったっけ?

 諸々考えながら部屋着に着替えて洗濯機を回し、冷蔵庫の中を確認。野菜ジュースはあったけれど、玉子がない。
 送金されるのは一週間後。お母さんも宮森おとうさんも入れてくれるから、お陰でアルバイトをする必要もない。
 友人みんなが部活で忙しいから、放課後や休みの日に遊びに行くことは滅多にないし、自分で家のことをやらなきゃいけないから、無駄遣いをしてしまうとすれば食べ物くらいだ。これもなかなか反省点が多いのだけど。
 それでも何とか、生活費は毎月送金される半分で凌げている。学校で何か必要なことがあったり、友人への誕生日プレゼントなどの為に残しているのだ。

 それに、もしかしたら送金が滞る日が来るかもしれないから。

 やっぱりアルバイトをした方がいいのかな、と思う。親の許諾が必要なんだけど、その書類を提出しないで、無断でやってる人もいると聞いてるし、何より働くことを覚えた方がいいだろう。どうせ大学に通わせて貰うつもりはないし、専門学校にも行かないし、何が出来るか分からないしやりたいこともある訳じゃないから、学校側ですすめてくれる仕事に就くだけだし。就職出来なかったら結局アルバイトをすることになるのだから、受験勉強の必要がない私には、やりたいことを探せるいい機会なのかもしれない。

 沙藤さんは、あれから憑物が落ちたみたいに、スッキリとした様子で、それでもこちらには申し訳なさそうにして二度とルーキフェルに関わらないと言ったのだけど、対してルーキフェルは。

「魔導書の束縛から放たれた貴様はつまらん人間になるつもりか? 魔力さえ浪費させられなければ、我は貴様の戯言に付き合ってやるのも構わんと思っておるというのに」

 と残念そうだった。魔導書の力で接触する度にルーキフェルから魔力を吸い出し、体内に溜め込んだそれを魔導書が吸い込む、ということをしていたようなのだけど、魔導書がグザファン先生の手に渡ったことで少しずつその繋がりが消えていっていたらしい。
 魔導書の力は他にも、ルーキフェルが私で魔力回復しないように避けさせたり、気持ちを擦れ違わせたりしていたんだとか。
 ルーキフェルもその力に抵抗してみたり、沙藤さんと魔導書との繋がりがどの様なものか確めようとしたりしたみたいなんだけど、一時的に沙藤さんを冷静にさせるくらいで、結局倒れてしまう羽目になってしまったという。

 炊飯器のスイッチを入れながら、私はルーキフェルの言葉を思い出していた。

「我は貴様を一生離さぬ。この先どの様な姿になろうともな」

 ――その言葉を、ルーキフェルはどんな思いで口にしたんだろう。言われた方がどう思うか、考えなかったのかな。

 ……考えなかったのかも。

 ガチャリ、と当然のように玄関のドアが開いて、ぷにっ子ルーキフェルが何故かハイハイしながら廊下を進んで来るのが見えた。
 ドアが開いた瞬間の、心臓が凍りつきそうな感覚を与えられた驚きの仕返しをしなくては。

 パフン

「ぬわっ!?」

 そのままキッチンに辿り着いたところを、ザルで捕獲する。反射的に後方に飛び退こうとして、ザルを頭に被りながらポテンと尻餅をついた状態になったルーキフェルは、ザルを手に持ち、くるくる回しながらザルと私とを交互に見た。

 ……やだ、可愛い。

 思わず笑みをこぼすと、つられたようにルーキフェルも笑う。

「あのね、ルーキフェル。ここはルーキフェルのお家じゃないから、勝手に入って来たら不法侵入になるんだよ?」
「この姿になったら入ってもいいのではなかったか?」
「うっ……それは、あがってもいいですよって、私が招き入れたらの話です」
「いつからそのような決まりが?」
「ずーっと前からでしょ。ルーキフェルが住んでたところは違うの?」

 と尋ねてから、この子は元々天使だったのだと思い出した。天界とやらはもしかすると自由だったのかもしれない。だって、犯罪とかなさそうだし。

「どうだったかのぅ……」

 頭を抱え込まれてしまった。なんか、ごめんなさい。

「ところで、何でハイハイ?」
「はいはい?」
「這って来たでしょ。まさかドア開ける前からじゃないよね?」
「ああ、グザファンの目を盗んで来たからだ。このように低姿勢でいた方が見付からぬと思ってな」
「……」

 私は嫌な予感がして再び玄関ドアに目を向ける。玄関からこのキッチンまでは一直線だから、ルーキフェルと話す為にしゃがんでいても視界には入る。

 ピンポーン

 チャイムが鳴った。
 ルーキフェルが私の後ろに回って隠れようとした為、抱き上げて玄関へ向かう。

「そこにいらっしゃいますね? 失礼しますよ」
「!」

 予感を裏切ることなく、グザファン先生の声がして、ドアが開く。こちらはぷにっ子ではない。
 そして、その姿が目に映るか映らないかといったところで、ルーキフェルが猫の子のように私の頭をよじ登り、髪を握り締めてしがみついた。
 頭が重くて首が痛いです。

「申し訳ありません。ルーキフェルが逃げ出してしまったものですから、引き取りに参りました」
「はあ……」
「我は戻らんぞ。誰かを取りに来させればよいだけではないか。でなければ貴様が行け!」
「重要事項なのですから、ご自分で確認すべきです。結菜さんのことはわたしにお任せ下さい。決して悪いようには致しませんから」

 ん? 私?

「任せられる訳がないだろう。我がおらぬ間に貴様が結菜に手を出さずにいられるとは思えん!」
「おやおや、信用がありませんねえ」
「あ、う……」
「どうしました? ああ、ルーキフェル、退いてあげて下さい。あなたの大切な方の首がもげますよ」
「うぬ!?」

 あの、何の話をしているんですか? と訊きたかったのだけど、頭が重すぎて顎が鎖骨にくっついてしまい、上手く話せない。
 すると先生の言葉でルーキフェルが慌てて離れた反動で、歯がカチリと鳴った。

「すまぬ、結菜。首はもげておらぬな?」
「……何とか」
「許せ。全てはグザファンが悪いのだ」
「押し付けは宜しくありませんねえ」
「貴様が魔界に戻れなどと言い出すのが悪いのだろうが」

 ――え?

「おや、そちらのことでしたか。仕方のないことです。魔導書の持ち出し、或いは逃走の手助けをした者がいないか、調査しなければなりませんし、あなたでなければアガリアレプトは指先一つ動かさないでしょう。おまけに、今回のことが関わっているか定かではありませんが、あなたの名を騙って好き放題している者がいるようですから、尚更ルーキフェルご自身が向かわなければならないことかと」
「ルーキフェル、帰っちゃうの?」

 振り返り、少し高い位置に浮かんでいるルーキフェルを見上げる。
 気まずそうに目を逸らされ、胸の奥におかしな波紋が広がっていく。

 ……一生どころか、一日も経たずに離れてしまうんだ。

 ルーキフェルにはルーキフェルの事情があるんだって、頭では分かっているのに、「ほら、やっぱり」という気持ちが上回って、小さく笑みを漏らす。

「大変なんだったら、帰った方がいいよ。ケンカするくらいなら、先生も一緒に行ってあげればいいんじゃないですか?」

 寂しくない。寂しいなんて思わない。
 自分に暗示を掛けるように心の中で繰り返しながら言うと。

「それは出来ません」
「貴様を一人にする訳がないだろう」

 二人の真剣な表情に、私は何故か泣きそうになった。
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