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豊受姫

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天人である豊受姫(とようけひめ)はその日、妹の亀姫が結婚するというので竜宮城を訪れていました。
嬉しそうな亀姫を見て、姉である彼女も嬉しくなりました。しかし、心から喜ぶことは出来ません。というのも、妹の乙姫の姿が見当たらないからです。
乙姫は生涯の伴侶と決めた浦島太郎が戻って来ないと塞ぎ込んでいました。亀姫の婚姻は喜ばしい事ですが、彼女達は双子。どちらか一方だけの幸せは、いずれ不幸な結果を招きかねません。そうならなくても亀姫だって心から幸せを得ることは出来ないでしょう。

妹思いの優しい豊受姫は立ち上がりました。乙姫をなぐさめてあげるため部屋を訪れると、そこで見てしまったのです。
「ゆるさないっ!ゆるさないっ!ゆるさないっ!」
乙姫がかぐや姫を罵倒している姿を。かぐや姫は床に頭を付け、ひれ伏すばかり。
(なんということ、、、)
かぐや姫の心を読み、豊受姫は全ての事情を知ってしまいました。

かぐや姫の責任は明らか。しかし、かぐやもまた豊受姫にとっては可愛い妹です。豊受姫は二人の間に割って入りました。
「かぐや、、、あなたはなんという事をしてしまったのです」
「申し訳ございません、申し訳ございません、申し訳ございません、、、」
かぐや姫は謝り続けました。その心は嘘を言っていません。それは乙姫にも分かって居るはずです。
「乙姫、、、」
「ねぇさまーーーぁ‼」
乙姫は豊受姫に抱きつき泣きじゃくりました。

「かぐや、あなたは罪を犯しました。罰として月の都を追放します」
天人にとってそれは重い罰です。しかし、かぐやは反論しませんでした。いえ、出来ませんでした。
「承服いたしました。」
「人間界へ下りなさい。罪が償われたその時には再び天界に戻ってくることも出来ましょう」
「、、、はい」

豊受姫は乙姫の背中をさすりなぐさめました。
「乙姫、どうしても浦島太郎の事は諦めきれないのね?」
「ええ、」
「分かりました。わたくしが黄泉(よみ)の国へ赴き、彼を連れて戻りましょう」
「姉さま!」
黄泉の国は人間界よりもさらに下にある死者の行きつく場所。人間界とは比べ物にならないほど、邪気が満ち溢れています。
「このような結果になったのは、あなた達の姉であるわたくしにも責任があります。黄泉の国へ行くのはその罰です」
それはかぐや姫の罰より、更に厳しいものでした。邪気を祓って清く澄んだ天界に住んでいる天人にとって、黄泉の国は過酷なのです。
豊受姫の利他的な姿に乙姫もかぐや姫も涙を流し、その場を収める事となりました。

豊受姫は黄泉の国へと向かう事にしました。
黄泉の国へ行くには、まず葦原中国(あしはらのなかつくに)を通らねばなりません。そこは天界と黄泉の国との中間にある国。人々が暮らす地上です。
豊受姫は羽衣を身にまとい、空を渡って白山の頂上へと降り立ちました。山の頂とは限りなく現世と離れた場所。黄泉の国とも近いのです。

久しぶりの人間界に豊受姫は少しあてられてしまいました。
「はぁ、、、」
人間界は邪気に満ちています。邪気とは生への執着。人間界では絶えず命が生まれ続け、死に続けます。不老不死を得ている天人達の住む天界とは文字通り住む世界が違います。
邪気が多い人間界ですが、それでもこの国では戦国時代は過ぎ、今は太平の世。昔に比べれば幾分マシではあります。戦によって人が死ねば邪気が生まれ、それが転じて更に多くの人が生まれる。生まれることの出来た邪気は相対的に減る。そういうものなのです。葦原中国が黄泉の国と分け隔たれた時に交わされた決まり事でした。

『もし、』
豊受姫に呼びかける声があります。白山の神、菊理媛命(くくりひめのみこと)です。
『もしや、黄泉の国へ参られるおつもりですか?』
豊受姫は応えました。
「その通りです。妹の伴侶である浦島太郎という者を連れて帰らねばならないのです」
『おやめなさい。それはあの方もなしえなかった事。死とは覆せないものなのです』
「それでも、わたくしは妹の為に行かねばなりません」
『死を受け入れるのです。』
「妹は受け入れられず、泣いて暮らしています」
『それはその者が弱いからです。なぜ亡くしたものを追い求めるのでしょう?今あるものに満足するべきです』
「それが最良だとしても、わたくしはやはり行かねばなりません」

・・・・・・
呼びかけは聞こえなくなりました。

豊受姫は坂を下りました。黄泉の国へは入口である「泉平坂(よもつひらさか)」を抜けねばなりません。坂(さか)とは境(さかい)。葦原中国と黄泉との境界です。現世と離れたこの白山の頂からならば黄泉の国へ行くことも可能でしょう。
天人の力でもって坂を下ると、大きな岩に辿り着きました。

『もし、』
また豊受姫に呼びかける声がありました。今度は黄泉の国の入り口を守る岐神(くなどのかみ)です。
豊受姫が先ほどと同じように心から訴えかけると、岐神はその大きな岩を牛のごとき怪力でどかしてくれました。
『わたしは、黄泉の国から来るものを防ぐのが役目。そこに行くものを止めはしない』

黄泉の国に入ることが出来ました。そこは暗く、邪気に満ち溢れています。これでは濃い邪気にあてられてしまうでしょう。急いで浦島太郎を見つけなければいけません。
『もし、』
また声がしました。暗くて何も見えません。しかし、豊受姫には分かります。
「そこにいるのはイザナミでしょう?」
『見るな!』
「暗くて見えません」
豊受姫はあえて灯りをつける事をしませんでした。
『・・・何をしに来た』
「浦島太郎というものを探しております」
『探してどうする?』
「連れて帰りたいのです」
『ならん!』
今度は豊受姫がどんなに心から訴えても聞き入れてもらえません。

『あの方も我を連れ戻しに来た。既にこの国を、幾多の神々を産んだにも関わらずまだ望むのか?ここは性の役目を終えたものが来る場所。生あるものは立ち去るがよい』
「では、せめてこれだけでも」
豊受姫は乙姫が大事にしていた櫛を取り出しました。
「これを乙姫の印として浦島太郎に渡してください」
『あの方は逃げ帰る時、我に櫛を投げつけたがな』
豊受姫は地面に櫛を置き、立ち去りました。

黄泉の国を出ると豊受姫を心配した7人の姉妹達が羽衣をなびかせ舞い降りました。
「豊受姉さま!ご無事ですか?」
「ええ、、、」
豊受姫は邪気に当てられていました。
「すぐに清めてください!」
近くの泉で姉妹達は羽衣を脱ぎ、清らかなその水で穢れを流しました。

その様子を茂みから覗く人物が、、、
ガサガサ!

「誰です⁉そこにいるのは!」
返事はありません。その代わりに走り去る足音が聞こえます。
「大変!羽衣が一つ無くなってる!」
姉妹の一人が叫びました。
羽衣は天人が天界へ帰る為に必要なモノ。豊受姫は慌てる姉妹達に落ち着いた様子で言いました。
「わたくしが人間界に残りましょう」
「いけません!姉さま!」
姉妹の誰かが羽衣を取りに帰っても天界と人間界では時間の進み方が違います。どれだけの間ここ、人間界で待たせてしまうか分かりません。
「よいのです。わたくしは浦島を連れて帰ることが出来ませんでした。乙姫に合わせる顔がありません。死者を連れて帰るなど分不相応な事をした、、、これも報いでしょう」
泣き伏す姉妹達は豊受姫になだめられ、天界へと帰っていきました。

その事を知った乙姫もまた泣き崩れました。
自分のせいで豊受姫までもが、、、因果は断ち切らねばなりません。すぐにかぐや姫はその罪を許されました。


羽衣を失った天女はどうなったのか?それはまた別のお話。
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