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弟は兄大好きだけど、兄もそうだとはかぎらない
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「どうして、隊長は自ら出るなんて言ったんですか?」
春は、鴉にその疑問をぶつけた。
「それに隊長は……霧人だって、消え鬼だと見抜けたはずです。隊長の目は、鬼火を見るのでしょう?」
春の言葉に、鴉は困ったように笑う。
「その話をしたのは、絶対に浅海ですよね。……あの子はまだ幼いから実感は薄いかもしれないけど、この目も万能ではないんです。あるいは、私の目が浅海よりも劣っているせいなのかもしれませんが」
鴉の目は、やはり鬼火を見ると言う。
だが、その鬼火は何の感情で燃えているのかが分からないのだという。そして、鬼火が消えてしまった後は――もう誰がかつて鬼火を燃やした者なのかもわからないという。
「私には燃えている鬼火は見えても、消えた鬼火は見えないんです」
鴉の言葉に、春は首を傾げる。
話がうまく通じていないと感じ取った鴉は、一生懸命に説明を始める。
「ええっと……人は鬼火を激しく燃えると鬼になりますよね。普通ならば、その空白に鬼も人も耐え切れなくなるはずなんです。いつでも燃えていた炎が消えるわけですから」
だが、稀に炎が消えても生きていられる人もいます。
と鴉は続ける。
「その人の胸は、空虚ではないのです。燃え尽きてはいない別の感情がくすぶっている。ですが、俺には――それが普通であるか特別であるかの見分けがつかない」
「つまり……隊長は、霧人に会っても消え鬼かどうかは分からなかったんですね」
鴉には、確かに鬼火は見えている。
だが、だからと言って消え鬼の正体が分かるわけではなかったらしい。
「信用のならない目なんです」と鴉は笑う。
だが、この鴉の言葉で春は妙に腑に落ちた。
浅海や朱雀が、鬼火を見るという異質な目に信用を置いていなかった本当の理由。鴉の鬼火を見る目が、ポンコツであったからだ。浅海の目が同じ程度のものなのかは不明だが、少なくとも朱雀は浅海と鴉の目は同程度の性能だと思っているらしい。
そして、朱雀は浅海の目がポンコツであっても構わなかった。
朱雀は、浅海の目にも嫉妬したかったのだから。
「それでも、他の人間よりは少しは分かりやすいんだと思います。だから、霧人が消え鬼だとは気付かなかったのは俺の落ち度です。俺は、消え鬼を倒す責任がある。それに、さっきも言いましたよね」
座っていた鴉は、立会い上がる。
伸ばされた髪がその拍子に翼のように広がり、春は言葉をなくした。
その髪の艶やかさ黒さに、春は鴉が育まれたという森の闇を見た。明るさは一筋しかなく、その光景が当たり前だと思い込む幼子の幻影を見た。
鴉は、そこから兄である朱雀に救い出された。
そして、自分は人間であると思うことができるようになった。
「……あなたは、話さなければ納得できそうにもありませんね」
鴉は、息を吸い込む。
そして、何十年も抱え込んだ罪を告白するような清々しい顔で口を開いた。
「俺の兄――朱雀もまた鬼になったことがあります」
呆気にとられる春に、鴉は説明する。
「朱雀も消え鬼と同じ存在なのです。過去に鬼になり、胸には空虚を抱えている。しかし、兄はその空虚を埋めることにことごとく失敗させられている。だから、鬼にはならないのです」
「朱雀隊長は……どうやって消え鬼が現れるかも分かってたのか?」
「はい。消え鬼は、燃え尽きた感情を補完しようとしたときに現れます。兄上は俺への嫉妬で鬼になったから、嫉妬という感情を補完できれば消え鬼が誕生します。もっとも、補完と言ってもせいぜい感情の代用品です。消え鬼が長く姿を現せないのは、早々に感情が燃え尽きてしまうから」
それを聞いて、春はぞっとする。
朱雀は、嫉妬するために鴉と同じ目をした浅海を手に入れた。
浅海を普通に可愛がってしまっている朱雀であるが、本来なら消え鬼になるはずであったのだ。朱雀は自分から、感情を補完して鬼になろうとしたのである。
「兄上は言っていませんでしたか?消え鬼はなくしてしまった感情に執着するって。さすが、兄上。ご自分のことは、よく分かっている」
鴉は、寂しそうに微笑んだ。
朱雀は、本当は鬼になりたがっている。
それを、鴉は心の底から悲しんでいる。
「兄上の父は、俺が火消になることを望んだ。でも、それは俺が兄上を超えることではなかった。兄上の部下となり、兄上を支えることを望んで――俺に火消としてのいろはを仕込んだ。でも、成長してみれば俺は兄を超えていました」
悔しかったんでしょうね、と鴉は語る。
兄は弟を従えろと父に言われたはずなのに、蓋を開けて見れば弟のほうがはるかに優れた火消であった。
「どうやって、朱雀隊長は鬼から人に戻ったんですか……」
「簡単です。鬼は、激情の原因になった人間の一部を喰らえば元に戻ります。俺も自分の腕を切り落として、鬼になった兄上の口の中に無理やり放り込みましたよ。吐き出さないように顔面を蹴ったり、いろいろ大変でした。鬼は、人を燃やすだけで食べませんからね」
春は、いびつな鴉の腕を思い出す。
兄を救うために自ら切り落とした、腕。
そっとした。
春は兄の無罪を証明するために腕を切り落としたのではなく、兄を鬼から人に戻すために腕を切り落としたのであった。
そこに火消としての迷いはなかったのだろうか、と春は思った。
兄を人に戻せば消え鬼となって、江戸の町に厄災の種を撒くことになる。鴉は、そのことを知っていてあえて朱雀を人に戻した。まともな火消ならば、鬼になった朱雀を殺すことを選択するであろう。だが、鴉はまともではない。
「朱雀隊長はそのことを……」
「さぁ?あの騒ぎのあと、俺たちも色々とありましたから」
もしかしたら何も知らないかもしれませんね、と鴉は言った。
「でも――それぐらい大切な人なんです」
うなだれる春に、鴉はなおも声をかける。
「兄上を生かすなら、何を失ってもいい。なにを殺しても後悔はしない。……だから、俺はあの人が目指して嫉妬した火消で居続ける。嫉妬という感情をなくした兄上に、俺だけが目指すべき高みだと証明し続けたいのです」
殺意を抱かれたいのです、と鴉は言う。
世界中でたった一人――憧れのあまりに嫉妬されて、殺意を向け続けられたい人がいる。鴉は、それが理由で火消であり続けている。だから、鴉は仲間が敵であろうとも後悔することはない。
春は、立ち上がることができなかった。
春自身には特別な生い立ちはない。火事で家族を亡くし、その日に鴉に出会って憧れた。そうやって火消になった。鴉のように、仲間が敵になっても立ち続ける理由はない。
「春――鬼を……霧人を倒すのは辛いですか」
鴉の言葉は、どこか甘かった。
望むのならば、逃げ方を指南してくれそうだった。
「その苦しみから逃げる術はたしかにあります。けれども、あなたの話によると霧人は春に直接鬼であると打ち明けたのですよね」
春は、頷く。
「ならばきっと、霧人はあなたに憧れたのでしょう」
鴉の言葉は、春にとっては受け入れられないものだった。
霧人の方が火消としての経験は長く、きっと春よりも強い。そんな霧人が、春に憧れるわけがない。
「霧人はおそらく、あなたの心に憧れた。自分では届くはずがないと最初にあきらめた高みを見た……あなたの心に憧れを持ったのです」
今のあなたではなく、あなたが夢見るあなたに憧れた。
鴉は続ける。
その眼差しは、理性的な人間のものだ。だが、開け放たれた障子から入る風になぶられる黒髪からは野生の匂いがした。深い森で育まれた野生が、いまだに人間の鴉を支えていた。
「あなたが、その憧れに耐えきれないというのならば逃げるのもいいでしょう。ですが、あなたが他人の憧れから逃げないと言うのならば――」
その立ち振る舞いに、春は過ぎ去った過去を見た。
すべてを失った日に、憧れを知った遠き日を見た。
鴉を最初に見た時、春は火事ですべてを失った。けれども、鴉はそんな春に視線を合わせることもなく鬼に立ち向かっていた。その誰にも浸食されない強さに、春は憧れた。
その憧れが、眼前にあった。
鴉が春を助けてくれた時のような炎は、今ここにはない。
そして、鴉の瞳はまっすぐに春に注がれていた。
春にとって憧れを目指すというのは、鴉を目指すことだった。
だから、自分自身が憧れになることなど考えたことはなかった。今ここで鴉と共に歩む道を選択すること。それは、誰かの憧れを背負うことであった。
「隊長。俺は、あなたに憧れて鴉隊に入ったんです」
春の突然の告白に、鴉は目を丸くする。
「あなたのまっすぐとした強さに憧れて、あなたのようになりたいと――あなたを超えたいと思った。あなたが兄のことしか好きになれなくて、自分で人間失格だと思っていて、楽になりたいと思っていても……それでも、俺は隊長に勝手に憧れます。霧人にもいいます。俺には、勝手に憧れていろって。でも、憧れを目指すのも自分自身の選択だ」
春は、鴉の手をとって強く引いた。
あっという間に、春は鴉に引き込まれる。春は体の力を抜いて、仰向けに倒れていった。
春はたたらを踏むこともできずに、鴉の上へと舞い落ちそうになった。鴉に伸し掛かる前に春は引っ張られた手をほどいて、畳に手をついて自らの支えとした。師に押しつぶしそうになった春は、それでも鴉を睨みつける。
「俺は、隊長の過去がどうであろうと心根がどうであろうと……あんたに憧れるのをやめない!!いつかは、あんたを超える!!霧人がそんな俺に憧れるのならば、俺になればいい。俺は自分の憧れに向かって走るだけなんだ!!」
叫ぶ春に、鴉は目を細めた。
そして、片方しかない手で春が自分の体重を支えていた手を振り払う。
寸前のところで止まっていた春の肉体が落下して、鴉の胸のなかに落ちてくる。受け止めた鴉の胸板は、意外なほどに厚い。
「あなたは強い……だから、あなたは勘違いしているのでしょう」
鴉は、囁く。
「苦しみも悲しみもたどり着くために必要なものだと。でも、違うんです。それらはあなたが選んだ道筋に偶然おいてあった障害物に過ぎない。あなたは、逃げてもいいんです」
霧人の討伐作戦に春は加わるべきではない、と鴉は言った。
だが、春は首をふる。
「俺も行きますよ、隊長。だって、あなたが逃げようとしないんだから」
春は、鴉にその疑問をぶつけた。
「それに隊長は……霧人だって、消え鬼だと見抜けたはずです。隊長の目は、鬼火を見るのでしょう?」
春の言葉に、鴉は困ったように笑う。
「その話をしたのは、絶対に浅海ですよね。……あの子はまだ幼いから実感は薄いかもしれないけど、この目も万能ではないんです。あるいは、私の目が浅海よりも劣っているせいなのかもしれませんが」
鴉の目は、やはり鬼火を見ると言う。
だが、その鬼火は何の感情で燃えているのかが分からないのだという。そして、鬼火が消えてしまった後は――もう誰がかつて鬼火を燃やした者なのかもわからないという。
「私には燃えている鬼火は見えても、消えた鬼火は見えないんです」
鴉の言葉に、春は首を傾げる。
話がうまく通じていないと感じ取った鴉は、一生懸命に説明を始める。
「ええっと……人は鬼火を激しく燃えると鬼になりますよね。普通ならば、その空白に鬼も人も耐え切れなくなるはずなんです。いつでも燃えていた炎が消えるわけですから」
だが、稀に炎が消えても生きていられる人もいます。
と鴉は続ける。
「その人の胸は、空虚ではないのです。燃え尽きてはいない別の感情がくすぶっている。ですが、俺には――それが普通であるか特別であるかの見分けがつかない」
「つまり……隊長は、霧人に会っても消え鬼かどうかは分からなかったんですね」
鴉には、確かに鬼火は見えている。
だが、だからと言って消え鬼の正体が分かるわけではなかったらしい。
「信用のならない目なんです」と鴉は笑う。
だが、この鴉の言葉で春は妙に腑に落ちた。
浅海や朱雀が、鬼火を見るという異質な目に信用を置いていなかった本当の理由。鴉の鬼火を見る目が、ポンコツであったからだ。浅海の目が同じ程度のものなのかは不明だが、少なくとも朱雀は浅海と鴉の目は同程度の性能だと思っているらしい。
そして、朱雀は浅海の目がポンコツであっても構わなかった。
朱雀は、浅海の目にも嫉妬したかったのだから。
「それでも、他の人間よりは少しは分かりやすいんだと思います。だから、霧人が消え鬼だとは気付かなかったのは俺の落ち度です。俺は、消え鬼を倒す責任がある。それに、さっきも言いましたよね」
座っていた鴉は、立会い上がる。
伸ばされた髪がその拍子に翼のように広がり、春は言葉をなくした。
その髪の艶やかさ黒さに、春は鴉が育まれたという森の闇を見た。明るさは一筋しかなく、その光景が当たり前だと思い込む幼子の幻影を見た。
鴉は、そこから兄である朱雀に救い出された。
そして、自分は人間であると思うことができるようになった。
「……あなたは、話さなければ納得できそうにもありませんね」
鴉は、息を吸い込む。
そして、何十年も抱え込んだ罪を告白するような清々しい顔で口を開いた。
「俺の兄――朱雀もまた鬼になったことがあります」
呆気にとられる春に、鴉は説明する。
「朱雀も消え鬼と同じ存在なのです。過去に鬼になり、胸には空虚を抱えている。しかし、兄はその空虚を埋めることにことごとく失敗させられている。だから、鬼にはならないのです」
「朱雀隊長は……どうやって消え鬼が現れるかも分かってたのか?」
「はい。消え鬼は、燃え尽きた感情を補完しようとしたときに現れます。兄上は俺への嫉妬で鬼になったから、嫉妬という感情を補完できれば消え鬼が誕生します。もっとも、補完と言ってもせいぜい感情の代用品です。消え鬼が長く姿を現せないのは、早々に感情が燃え尽きてしまうから」
それを聞いて、春はぞっとする。
朱雀は、嫉妬するために鴉と同じ目をした浅海を手に入れた。
浅海を普通に可愛がってしまっている朱雀であるが、本来なら消え鬼になるはずであったのだ。朱雀は自分から、感情を補完して鬼になろうとしたのである。
「兄上は言っていませんでしたか?消え鬼はなくしてしまった感情に執着するって。さすが、兄上。ご自分のことは、よく分かっている」
鴉は、寂しそうに微笑んだ。
朱雀は、本当は鬼になりたがっている。
それを、鴉は心の底から悲しんでいる。
「兄上の父は、俺が火消になることを望んだ。でも、それは俺が兄上を超えることではなかった。兄上の部下となり、兄上を支えることを望んで――俺に火消としてのいろはを仕込んだ。でも、成長してみれば俺は兄を超えていました」
悔しかったんでしょうね、と鴉は語る。
兄は弟を従えろと父に言われたはずなのに、蓋を開けて見れば弟のほうがはるかに優れた火消であった。
「どうやって、朱雀隊長は鬼から人に戻ったんですか……」
「簡単です。鬼は、激情の原因になった人間の一部を喰らえば元に戻ります。俺も自分の腕を切り落として、鬼になった兄上の口の中に無理やり放り込みましたよ。吐き出さないように顔面を蹴ったり、いろいろ大変でした。鬼は、人を燃やすだけで食べませんからね」
春は、いびつな鴉の腕を思い出す。
兄を救うために自ら切り落とした、腕。
そっとした。
春は兄の無罪を証明するために腕を切り落としたのではなく、兄を鬼から人に戻すために腕を切り落としたのであった。
そこに火消としての迷いはなかったのだろうか、と春は思った。
兄を人に戻せば消え鬼となって、江戸の町に厄災の種を撒くことになる。鴉は、そのことを知っていてあえて朱雀を人に戻した。まともな火消ならば、鬼になった朱雀を殺すことを選択するであろう。だが、鴉はまともではない。
「朱雀隊長はそのことを……」
「さぁ?あの騒ぎのあと、俺たちも色々とありましたから」
もしかしたら何も知らないかもしれませんね、と鴉は言った。
「でも――それぐらい大切な人なんです」
うなだれる春に、鴉はなおも声をかける。
「兄上を生かすなら、何を失ってもいい。なにを殺しても後悔はしない。……だから、俺はあの人が目指して嫉妬した火消で居続ける。嫉妬という感情をなくした兄上に、俺だけが目指すべき高みだと証明し続けたいのです」
殺意を抱かれたいのです、と鴉は言う。
世界中でたった一人――憧れのあまりに嫉妬されて、殺意を向け続けられたい人がいる。鴉は、それが理由で火消であり続けている。だから、鴉は仲間が敵であろうとも後悔することはない。
春は、立ち上がることができなかった。
春自身には特別な生い立ちはない。火事で家族を亡くし、その日に鴉に出会って憧れた。そうやって火消になった。鴉のように、仲間が敵になっても立ち続ける理由はない。
「春――鬼を……霧人を倒すのは辛いですか」
鴉の言葉は、どこか甘かった。
望むのならば、逃げ方を指南してくれそうだった。
「その苦しみから逃げる術はたしかにあります。けれども、あなたの話によると霧人は春に直接鬼であると打ち明けたのですよね」
春は、頷く。
「ならばきっと、霧人はあなたに憧れたのでしょう」
鴉の言葉は、春にとっては受け入れられないものだった。
霧人の方が火消としての経験は長く、きっと春よりも強い。そんな霧人が、春に憧れるわけがない。
「霧人はおそらく、あなたの心に憧れた。自分では届くはずがないと最初にあきらめた高みを見た……あなたの心に憧れを持ったのです」
今のあなたではなく、あなたが夢見るあなたに憧れた。
鴉は続ける。
その眼差しは、理性的な人間のものだ。だが、開け放たれた障子から入る風になぶられる黒髪からは野生の匂いがした。深い森で育まれた野生が、いまだに人間の鴉を支えていた。
「あなたが、その憧れに耐えきれないというのならば逃げるのもいいでしょう。ですが、あなたが他人の憧れから逃げないと言うのならば――」
その立ち振る舞いに、春は過ぎ去った過去を見た。
すべてを失った日に、憧れを知った遠き日を見た。
鴉を最初に見た時、春は火事ですべてを失った。けれども、鴉はそんな春に視線を合わせることもなく鬼に立ち向かっていた。その誰にも浸食されない強さに、春は憧れた。
その憧れが、眼前にあった。
鴉が春を助けてくれた時のような炎は、今ここにはない。
そして、鴉の瞳はまっすぐに春に注がれていた。
春にとって憧れを目指すというのは、鴉を目指すことだった。
だから、自分自身が憧れになることなど考えたことはなかった。今ここで鴉と共に歩む道を選択すること。それは、誰かの憧れを背負うことであった。
「隊長。俺は、あなたに憧れて鴉隊に入ったんです」
春の突然の告白に、鴉は目を丸くする。
「あなたのまっすぐとした強さに憧れて、あなたのようになりたいと――あなたを超えたいと思った。あなたが兄のことしか好きになれなくて、自分で人間失格だと思っていて、楽になりたいと思っていても……それでも、俺は隊長に勝手に憧れます。霧人にもいいます。俺には、勝手に憧れていろって。でも、憧れを目指すのも自分自身の選択だ」
春は、鴉の手をとって強く引いた。
あっという間に、春は鴉に引き込まれる。春は体の力を抜いて、仰向けに倒れていった。
春はたたらを踏むこともできずに、鴉の上へと舞い落ちそうになった。鴉に伸し掛かる前に春は引っ張られた手をほどいて、畳に手をついて自らの支えとした。師に押しつぶしそうになった春は、それでも鴉を睨みつける。
「俺は、隊長の過去がどうであろうと心根がどうであろうと……あんたに憧れるのをやめない!!いつかは、あんたを超える!!霧人がそんな俺に憧れるのならば、俺になればいい。俺は自分の憧れに向かって走るだけなんだ!!」
叫ぶ春に、鴉は目を細めた。
そして、片方しかない手で春が自分の体重を支えていた手を振り払う。
寸前のところで止まっていた春の肉体が落下して、鴉の胸のなかに落ちてくる。受け止めた鴉の胸板は、意外なほどに厚い。
「あなたは強い……だから、あなたは勘違いしているのでしょう」
鴉は、囁く。
「苦しみも悲しみもたどり着くために必要なものだと。でも、違うんです。それらはあなたが選んだ道筋に偶然おいてあった障害物に過ぎない。あなたは、逃げてもいいんです」
霧人の討伐作戦に春は加わるべきではない、と鴉は言った。
だが、春は首をふる。
「俺も行きますよ、隊長。だって、あなたが逃げようとしないんだから」
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