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王都を出たのは、静かな朝だった。薄紫に染まる空の下、馬車の車輪が石畳を離れ、遠ざかる城壁に淡い影を落としていた。セリナ・リーヴェルは後ろを振り返らず、馬車の窓から差す光をじっと見つめた。胸の奥にはわずかな喪失と、大きな解放が同居している。
「これで終わりではない」
心の中で呟き、深い息を一つ。金色の髪は風に揺れ、青い瞳は故郷への道を確かめるように揺らいでいた。婚約破棄の痛みはまだ消えないが、それでも彼女には前に進む理由があった。
馬車が郊外の穏やかな田園風景へ入ると、見慣れた丘陵や大きなオークの木が視界に広がった。幼いころ、花冠を編んだ野原も、父と馬車で往復した小道も、そのままあの日のままである。だが、自分を取り巻く世界はあの頃とまったく異なっていた。
故郷に戻ってからの生活は、すぐに慌ただしく始まった。馬車は伯爵家の館へと向かい、門前で厳めしい用心棒が会釈をして開門する。豪奢ではないが、重厚感ある石造りの門柱には、古くからの歴史と血筋が刻まれていた。
「セリナ様、お帰りなさいませ」
改めて館内に迎えられたのは、伯爵家の家令長であるモリエール卿だった。深い皺を刻んだ顔には安堵の色があり、セリナはその表情に軽く笑みを浮かべた。
「ただいま戻りました。お世話かけます」
礼を終えると、館の廊下を父・エドマンド伯爵と母・アーデルが待つ書斎へ案内された。久しぶりに会う両親の姿は温かく、しかしどこか心配の影を含んでいる。
「お前が無事で何よりだ」
「……本当に戻ってきてくれて、嬉しいわ」
父は無骨に握手を求め、母は目に涙を溜めて微笑んだ。セリナは言葉少なに深く礼をしてから、窓際の椅子に腰かける。久々に感じる家族のぬくもりが、胸の奥をほどくように染みわたった。
「伯爵家の仕事はまだ山積みだ。屋敷の修繕も、領内の税金改正案も、お前の手が必要だよ」
「任せてくださいませ。王都で学んだことを活かします」
父の粗い手つきに力強く頷き、セリナは覚悟を固めた。母は手元の茶器を用意しながら、やさしく問いかける。
「レオニス殿下とは、もう会わぬのだね?」
改まった問いに、セリナは視線を逸らした。玉座前で正式に婚約破棄を言い渡された瞬間が、まざまざと蘇る。
「はい……。でも、恨みはありません。あの経験があったからこそ、私は自分の道を見つけたのです」
言葉には迷いが混じっていたが、セリナは顔を上げ、揺るがぬ意志を示した。母は静かに息を吐き、頷いた。
茶菓子を共にしながら、家族との再会は心地よい一時だった。しかし、その背後には領地運営の現実と、改革のプレッシャーも控えている。責任を感じつつも、セリナは自分が活躍できる場所を見つけていた。
翌日から、セリナは早速領地の巡回に乗り出した。書記官や役人たちに混じり、書類の確認や村人への挨拶、旧税制の問題点の洗い出しを行う。口数は少ないが、現場では正確な指示と的確な改善案を示し、村長や長老たちから「頼りになる」との声が聞かれた。
ある農村では、古い水路が壊れて作物被害が出ていた。セリナは地図を広げ、修繕の優先順位と費用分担案を示し、その場で住民たちと交渉を始める。言葉は控えめながら、情熱を秘めた説得力に満ちていた。
「ここを少し盛り土し、水路の角度を変えれば、水の流れが安定します。労働時間は短縮できますから、その分作業が楽になるでしょう」
住民たちは驚きつつも頷き、費用負担に折り合いをつけてくれた。セリナは一人ひとりの意見を聞き取り、笑顔で礼を言った。村人の表情に安堵が広がり、その光景を見たとき、彼女の胸には深い達成感が満ちていた。
日が傾く頃、視察を終えた馬車が邸に戻る。館の門前にはモリエール卿と数名の家令が待ち構え、簡単な報告を受け取った後、ひとしきり感謝の言葉が交わされた。その中で、父は静かに微笑み、セリナに声をかけた。
「……よくやったな、セリナ。お前の助言で、この村は救われた。これが何よりの証だろう」
「ありがとうございます、父上。まだ始まったばかりです」
セリナは含みのある言葉で返し、馬車に乗り込んだ。夕陽が丘陵を赤く染め、その光が館の窓を輝かせる。彼女は窓から差す光を両手で撫でながら、初めて心からの笑みを浮かべた。
(私は、ここで生きる)
王都での出来事が、遠い過去に思えるほど、故郷の空気はやさしく包み込んでくれる。セリナは目を閉じ、深い呼吸をした。婚約破棄を経て手に入れた自由と、自らの力で築く未来。その両方が、この大地に根付き、やがて大輪の花を咲かせることを、彼女は確信していた。
「これで終わりではない」
心の中で呟き、深い息を一つ。金色の髪は風に揺れ、青い瞳は故郷への道を確かめるように揺らいでいた。婚約破棄の痛みはまだ消えないが、それでも彼女には前に進む理由があった。
馬車が郊外の穏やかな田園風景へ入ると、見慣れた丘陵や大きなオークの木が視界に広がった。幼いころ、花冠を編んだ野原も、父と馬車で往復した小道も、そのままあの日のままである。だが、自分を取り巻く世界はあの頃とまったく異なっていた。
故郷に戻ってからの生活は、すぐに慌ただしく始まった。馬車は伯爵家の館へと向かい、門前で厳めしい用心棒が会釈をして開門する。豪奢ではないが、重厚感ある石造りの門柱には、古くからの歴史と血筋が刻まれていた。
「セリナ様、お帰りなさいませ」
改めて館内に迎えられたのは、伯爵家の家令長であるモリエール卿だった。深い皺を刻んだ顔には安堵の色があり、セリナはその表情に軽く笑みを浮かべた。
「ただいま戻りました。お世話かけます」
礼を終えると、館の廊下を父・エドマンド伯爵と母・アーデルが待つ書斎へ案内された。久しぶりに会う両親の姿は温かく、しかしどこか心配の影を含んでいる。
「お前が無事で何よりだ」
「……本当に戻ってきてくれて、嬉しいわ」
父は無骨に握手を求め、母は目に涙を溜めて微笑んだ。セリナは言葉少なに深く礼をしてから、窓際の椅子に腰かける。久々に感じる家族のぬくもりが、胸の奥をほどくように染みわたった。
「伯爵家の仕事はまだ山積みだ。屋敷の修繕も、領内の税金改正案も、お前の手が必要だよ」
「任せてくださいませ。王都で学んだことを活かします」
父の粗い手つきに力強く頷き、セリナは覚悟を固めた。母は手元の茶器を用意しながら、やさしく問いかける。
「レオニス殿下とは、もう会わぬのだね?」
改まった問いに、セリナは視線を逸らした。玉座前で正式に婚約破棄を言い渡された瞬間が、まざまざと蘇る。
「はい……。でも、恨みはありません。あの経験があったからこそ、私は自分の道を見つけたのです」
言葉には迷いが混じっていたが、セリナは顔を上げ、揺るがぬ意志を示した。母は静かに息を吐き、頷いた。
茶菓子を共にしながら、家族との再会は心地よい一時だった。しかし、その背後には領地運営の現実と、改革のプレッシャーも控えている。責任を感じつつも、セリナは自分が活躍できる場所を見つけていた。
翌日から、セリナは早速領地の巡回に乗り出した。書記官や役人たちに混じり、書類の確認や村人への挨拶、旧税制の問題点の洗い出しを行う。口数は少ないが、現場では正確な指示と的確な改善案を示し、村長や長老たちから「頼りになる」との声が聞かれた。
ある農村では、古い水路が壊れて作物被害が出ていた。セリナは地図を広げ、修繕の優先順位と費用分担案を示し、その場で住民たちと交渉を始める。言葉は控えめながら、情熱を秘めた説得力に満ちていた。
「ここを少し盛り土し、水路の角度を変えれば、水の流れが安定します。労働時間は短縮できますから、その分作業が楽になるでしょう」
住民たちは驚きつつも頷き、費用負担に折り合いをつけてくれた。セリナは一人ひとりの意見を聞き取り、笑顔で礼を言った。村人の表情に安堵が広がり、その光景を見たとき、彼女の胸には深い達成感が満ちていた。
日が傾く頃、視察を終えた馬車が邸に戻る。館の門前にはモリエール卿と数名の家令が待ち構え、簡単な報告を受け取った後、ひとしきり感謝の言葉が交わされた。その中で、父は静かに微笑み、セリナに声をかけた。
「……よくやったな、セリナ。お前の助言で、この村は救われた。これが何よりの証だろう」
「ありがとうございます、父上。まだ始まったばかりです」
セリナは含みのある言葉で返し、馬車に乗り込んだ。夕陽が丘陵を赤く染め、その光が館の窓を輝かせる。彼女は窓から差す光を両手で撫でながら、初めて心からの笑みを浮かべた。
(私は、ここで生きる)
王都での出来事が、遠い過去に思えるほど、故郷の空気はやさしく包み込んでくれる。セリナは目を閉じ、深い呼吸をした。婚約破棄を経て手に入れた自由と、自らの力で築く未来。その両方が、この大地に根付き、やがて大輪の花を咲かせることを、彼女は確信していた。
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