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第五章:扉の番人と空白の地図
しおりを挟む書架を出た先、リピカは無言のままニエルを連れて歩いた。
どこまでも続く回廊。壁には色褪せた絵画や、意味の解らない紋章が彫られている。足音だけが反響し、空間の広さを物語っていた。
「ねえ、リピカ」
「なに?」
「この世界には、他にも誰かいたの?」
その問いに、リピカは一度立ち止まった。そしてゆっくりと振り返る。
「かつては、たくさんの人がいたわ。でもね、彼らは皆、それぞれの“終わり”を迎えた」
「消えたってこと?」
「“記録されなかった”の。だから今では、名前も顔も残っていない。存在の輪郭ごと、空白になった」
ニエルはその言葉を噛みしめた。
忘れることと、存在しなかったことの違い。その恐ろしさに、ひやりと背筋をなぞられる。
ふと、リピカが手を伸ばし、ひとつの重厚な扉を押し開いた。
――中には、地図があった。
ただし、何も書かれてはいない“空白の地図”だった。
細かい線だけが幾重にも走っている。だが、地名も、目印も、何も記されていない。まるで、全てが忘れられた後に残された骨組みのようだった。
「これは……何?」
「この世界の“輪郭”よ。あなたが訪れ、記録し、祈りを込めた場所だけが、この地図に浮かび上がっていく」
「じゃあ……」
「そう。君が歩かなければ、この世界は終わってしまう、“存在しない”まま」
その瞬間、何かが軋むような音が響いた。
部屋の奥、壁際に座していた石像が、ゆっくりと動いたのだ。
それは人の姿をしていたが、顔には仮面をつけ、手には重そうな鍵を持っていた。
「”扉の番人”ね。この世界の“記憶”が封じられた場所に入るには、彼から鍵を受け取らなきゃいけない」
番人はニエルの前に立ち、無言のまま手を差し出してきた。
その掌に触れた瞬間、ニエルの胸の奥に、何かが流れ込んできた。
それは風の音、誰かの歌声、笑い声、涙、夜のざわめき……この世界に確かに存在していた、けれど誰にも覚えられていなかった記憶の断片。
「その鍵は“記憶の証”……失われたものを辿る君だけの鍵」
リピカは静かに言った。
「だけど、見たくないものまで見てしまう。それでも受け取る?」
ニエルは鍵を見つめ、そして、しっかりとそれを握った。
「僕が歩かなきゃ、この世界は誰にも届かず忘れ去られたままだ。だったら……僕が忘れずに、残していくよ」
そのとき、空白だった地図の一点に、淡い光がともった。
それは彼の祈りが形となった証――存在の証明だった。
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