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第1章

褐色肌の少年

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かつてこの世界には竜と魔法と9つの国が存在したが、どの時代も人間同士の戦争が絶えず、国と人と大地とは疲弊しきっていた。そんな中、大陸の中央にあるオリジン帝国の皇帝は旗を揚げて宣戦布告した。

「これ以上、一時の栄光を求める愚かな戦いを繰り返してはならぬ。天の下に存在する国々はすべて統一し、世界という国家を設立する。――これより、オリジン帝国は全世界へ“最後の聖戦ハルマゲドン”を布告する」

オリジン帝国の第15代皇帝メフィスト・アンク・アテンの始めた聖戦により、今後100年をかけて最後の戦争をすることになった。
そのうち、隣国に位置する南のリリーデインズ王国、北の龍安国、北東の花国、南西のアテナ王国が同盟の名のもとに帝国の傘下に下った。
殆どが巨大な国だったが、これ以上戦いを続けるよりも吸収合併されたほうが被害が少ないと考えた結果だった。
今後1000年の平和のために100年を戦乱の世にする皇帝の判断に、4つの国は賛同した。
他4つの国は不戦敗した国を馬鹿にしていたが、戦争が始まって考えを改めることになった。オリジン帝国皇帝の固有スキルは“疫病”と“飢饉”。皇帝が敵と見做した国は次々に不作と伝染病が流行り、多くの人間が死んだ。傘下に下った4人の国王たちは国民を守るために賢い判断をしたのだ。
それ以来、大公爵となったかつての国王たちと皇帝が力を合わせ、3つの国が滅び残りはあと1つ。
皇帝が2代入れ替わり、第17代皇帝トト・アンク・アテンと大公爵たちによって現在も聖戦が続けられている。


「――これが、我が帝国の歴史でございます」

パタン、と歴史書が閉じる。狭くて質素な部屋で本を読んでいたのは執事長のアルフレッドであった。その膝元に肌の浅黒い少年が座っている。

「わぁ、すごい。……15代皇帝陛下は1000年先のことが分かっていたんですか?」

少年の水色の瞳がきらきらと輝く。まるで朝一番の空のように透き通った眼をしていた。
アルフレッドが少年の黒髪を優しく撫でる。

「いいえ、1000年というのは比喩にすぎません。果てしなく続く無期限。先を生きる子孫たちが戦争を知らぬほど平和な国で育ってほしいと願われて、この聖戦を始められたのです。そのおかげで帝国は豊かで平和になりつつあります」
「じゃあ、今のアダリンドとの聖戦が終われば、天下統一して1000年朽ちることのない平和が実現するんですね」
「もしかしたら、生きているうちに恒久的平和の実現をこの目に収められるやもしれませんね」
「すごい!」

アルフレッドは無邪気に喜ぶ少年を見て心を痛めた。

「(この戦争で“あなた”はすべてを失ったというのに。それでもこの帝国のために平和を願ってくれるのですか)」

少年はアルフレッドの視線に気づいてはいないようだ。

「ねぇねぇ、アルフレッドさん。魔法ってどんなものがあるんですか?」
「魔法の基礎は火・水・風・土・雷の五元素魔法ですが、応用として治癒魔法など神聖力を用いて行われる光魔法がございます。また、上位貴族のみが持つとされる固有スキルを含めると、全部で7つですね」
「じゃあ、天井の明かりも魔法で浮いているんですか?」

少年が指さしたランプはフワフワと浮いており、火の強さも外の光と連動して調節されるようになっている。

「そうです。あれは火と風の複合魔法で、このお屋敷を設計した方が施したランプなんですよ」
「魔法は誰にでも使えるんですか?」
「魔力を持って生まれた者は皆、少なからず魔法を使えるようになります。15歳の洗礼式を終えると本格的に自分にどれだけの魔力があるのかを図り、将来の道筋を定めて進学先を決めるのですよ」
「洗礼式か……」
「魔法が使えるようになりたいですか?」
「うん。お父様の役に立ちたいから。――それにアルフレッドさんたちや騎士さん達も皆使えるでしょう? 僕も大きくなったし、お手伝いさせてほしいんです」
「左様ですか」

少年は歴史書を棚に戻し、身なりを整えた。
アルフレッドも立ち上がる。

「さて。本日も一日が始まります。私は仕事に戻りますが、大丈夫でしょうか?」
「はい!教えていただきありがとうございました。僕も掃除に行ってきます!」

少年は薄い上着を羽織り、急いで部屋を飛び出した。

少年の名はブラン。
オリジン帝国の中央貴族ボナパルト侯爵家に住まう14歳の少年である。
浅黒い肌、黒い髪、水色の瞳。それだけが彼の持つものだった。
それ故ブランの朝は早い。日が昇りきる前から執事長アルフレッドと勉強をして、知識を身につけなければならない。

鳥が鳴き始めたら執事長たるアルフレッドも仕事が始まる。ブランもそれに倣い、庭を掃除、最後に屋敷の門前を丁寧に掃くのが日課だ。
本来、門前を掃除するのは別の使用人の仕事であったが、2年ほど前からブランが嬉々として担っている。
門前にいると、朝の散歩をしている成不なずに会えるからである。



―正門―


(――今日も来た!)

慣れた掃除であれば時間はそう掛からないが、ブランは成不なずが来るまで地面を掃き続けた。
道の向こうから鈴の音と共に一人の男性が歩いてくる。
リン、リン、と。鈴の音はブランの前で止まった。

「おはよう、ブランくん。今日も偉いね」

浅葱色の袴を着た男性、成不なずが微笑んだ。瓶底のような分厚い眼鏡をくい、とあげるのが癖だ。

「おはようございます!成不なずさんも相変わらずお早いですね」
「そりゃあ僕はまだ“青二才見習い”だからね」

成不なずは自分の袴をつまんで見せた。浅葱色の袴は神宮の見習い階級を表している。

「袴を着れるだけすごいことだって習いましたよ」
「アルフレッド執事長かな?」
「はい!最近たくさんのことを教えてくれるんです」
「偉いね。知識というものは自分の身を守る武器にもなるから、その調子で学んでいくんだよ」

ブランはいつも優しく笑いかけてくれる成不なずが大好きだった。
彼の声を聞いてブランの一日は色を付けるのである。

「そうだ。私にも何か教えられることがあったら何でも聞いて。時間があれば神宮の図書館ででも勉強に付き合ってあげるよ」

成不なずの申し出にブランは目を輝かせた。

「本当ですか!」
「もちろんだよ。努力する子は好きだからね」

しかしブランはすぐに顔を青ざめさせてしまう。

「……でも僕は仕事があるので」
「働き者だね……」

ブランはひどく残念そうに肩を落とした。はぁ、とため息が漏れる。
成不なずは袖から見えるブランの腕を見た。その手を取り、少しだけ声色が低くなる。

「いつもケガをしているのには何か理由があるのかな?」

浅黒い肌でもすぐわかるほど、ブランの腕には多くの傷と痣が目立った。
成不なずは毎朝それを見ているのである。
ブランは袖を指先まで伸ばしながら気まずそうに笑った。

「僕、不器用なので」

“不器用”という言葉で収まるほど、その傷跡は小さなものではなかったが、ブランは常識がないためにひどい言い訳だと気づいていない。
成不なずは「そうかい」とだけ呟くとそれ以上は追及しなかった。

「――もしお屋敷勤めが辛くなったら神宮においで。適性があれば私みたいに見習いとして雇ってもらえるかもしれないよ」
「まさか!僕みたいなやつは神宮には入れませんよ、神聖力どころか魔力もないでしょうし」
「神聖力があるかないかは洗礼式までわからないじゃないか。君ももうすぐ15歳になって成人するから、その時のお楽しみだと――」
「――たとえ神聖力が微かにあったって、僕は神宮には入れません!」

成不なずの声を遮ってブランは強く言い放った。
成不なずは穏やかな口調で問いかける。

「……それはなぜ?」
「だって僕は皆さんのように肌が白くありませんから」
「! ……」
「髪も黒いし、上位貴族しか入れない神宮には無理です」

屋敷から滅多に出られず、知識も浅はかなブランでもわかることがある。それはこの帝国に黒髪と肌の浅黒い人間は殆どいないということ。そしてそういった者たちは“悪魔”と呼ばれて蔑まれているということだ。
成不なずは少しだけ言葉を詰まらせた。

「ブラン君……。――神はいつだって平等だよ。忘れないで」
「神さまなんて……」
「さぁ。今日も傷を治してあげよう。おいで」
「あ、……すいません」

成不なずは優しくブランの腕を引き寄せた。
細く白い指先でブランの頬を包み、その鼻先に口づける。
ちゅ、と軽いリップ音がすると同時にブランの体に神聖力が流れ込み、痣や傷を内側から消していくようだった。それは涼し気な風にも似ていてブランは心地が良かった。

「(すごい……。回復魔法は最も難しい魔法の一つだってアルフレッドさんが言ってたのに、成不なずさんは詠唱しなくてもできるんだ)」

成不なずが離れる。
ブランはゆっくりと目を開けて自分の体を確認した。
身体が軽く、痛めつけられた筋肉も回復しているようだった。

「(疲労回復まで……。やっぱり神宮に入れる人は見習いでもそこらの貴族とは違うや)」
「どうかな」
「バッチリです! 成不なずさん。いつもありがとうございます」
「……。君に幸せが訪れますように」

成不なずは最後に祈る姿勢をした。

「?」

ブランにはわからなかったが、成不なずはブランに加護を付与していた。
小さな祈りだが、神官の祈りは絶大だ。

「(どうかこの少年の一日が良き日となりますように)」

今日だけはきっと、ブランにとって記念すべき日になるに違いない。

「そろそろ戻る時間かな?」
「あっ、はい! 今日も会えてよかったです!」
「こちらこそ。また明日ね」
「はい! また明日!」

元気に駆けていく少年の背中を、成不なずは不甲斐ない気持ちで見送った。


―使用人室―


使用人たちが集まる部屋に行くと、執事長のアルフレッドが朝礼をしていた。
今日一日の確認をしていたようで、ブランが扉が開くと使用人の視線が一点に集まった。

「あっ、お邪魔してすいません。続けてください」

ブランは申し訳ない気持ちでいっぱいだ。執事長の言葉を遮ってしまった。ブランは部屋の隅に移動しようと壁を伝ったが、アルフレッドは笑顔で声をかけた。

「今し方終わったところですので問題ありませんよ。本日も門前の掃除をしていらっしゃったのですか?」
「はい。少しでもみんなのお手伝いがしたくて」

薄汚れたシャツの袖をいじりながら、言い訳がましく口ごもる。そんな姿にアルフレッドをはじめ、他の使用人も顔を見合わせた。

「坊ちゃん……。坊ちゃんは侯爵家ご令息でいらっしゃいます。私共より謙ることはありません。もちろん、掃除や周りに気を遣う必要もないのですよ」

そう――。ブラン・ボナパルトはこう見えても帝国の侯爵家次男である。
ただし、ボナパルト伯爵家と血のつながりはない。15年前に起きた戦争の孤児だったところを、当時特攻隊の指揮官だったバルドロイ・シリウス・ボナパルト侯爵に引き取られた養子だ。

「僕は高貴な血筋ではありませんから。お屋敷に置いていただいている分、働かせてください」
「お坊ちゃん……」
「……さぁさぁ! 朝食にいたしましょう! 本日も仕事が始まりますからね!」

まだ何かを言いたげにしていた執事長を遮ってメイド長のメアリーさんがパンを机に置く。
そこに料理長カールも熱々のソーセージを持ってブランを席に座らせる。

「坊ちゃん、焼き立てのパンにこのソーセージを挟んで食べてみな。うまいぞ!」
「メアリーさん、カールさん。おはようございます。今日もごはんを分けてくれてありがとうございます」
「とんでもございませんわ」
「今日のおやつも多めに作ってやるからよ。様子見て部屋を抜け出してきな! 飛び切り美味いスコーンを焼いとくからよ!」
「カール! お坊ちゃまに対しての言葉遣いがなっていませんよ!」
「いいだろ~? な! 坊ちゃん」
「はい! 嬉しいです!」
「ほらな! 坊ちゃんも、敬語なんてやめてもっとラフに話そうぜ。俺たち友達だろ?」
「カール料理長!」

メアリー女官長はカール料理長を窘めたが、その反面ブランは顔を輝かせていた。

「友達……」

ブランは心が躍った。使用人たちの言葉を真似て話していたが、カールのように親しい間柄で使う言葉は使用する機会が無かった。

(“友達”――なんて素敵な響きなんだろう)

「……うんっ! カールと僕は友達!」
「お坊ちゃま……」
「……。(この少年が本当に侯爵子息と言えるのか……? あまりに待遇が悪すぎる)」

アルフレッドはこめかみを抑えてため息を押し殺した。
自分たちの主でもあるブランは、考え方が使用人よりも遜っている。ただ一つのプライドさえない。あるのは貴族への恐怖や多くを望まない決意だけだ。

「これは?」

ブランが机の上に置いてあった新聞を指した。

「これは今朝の新聞ですよ。また“氷雨”様が一面を飾っていますね」

アルフレッドが新聞を開いて見せる。ニュースの一面は白く美しい人が映っていた。
あたり一面に氷が張られていて、新聞の見出しに“ジンを単独撃破!現場は白銀の世界に”と書かれている。

(真っ白な髪にグレーの瞳……。とっても綺麗な人)

「“氷雨”様っていうのは?」
「この帝国でたった9人しか存在しない“特級”貴族のうち1人です。現在は帝国中央神宮の最高管理職:大宮司を務めていらっしゃいます」

(帝国中央神宮……。成不なずさんも所属しているところだ)



「その人はどれくらい強いの?お父様よりも強い?」

ブランの言葉にカールが笑った。

「氷雨様の方が圧倒的に上だな!さすがに旦那様でも手がでねぇやい」
「そんなに?」
「旦那様は上二級ですので帝国の中でも実力者でありますが、特級と呼ばれる方々は次元が違うのです。故に人口80億人を超える大帝国の中でも特級は9人しかおりません」

魔法を扱う者は魔力量、熟練度、固有スキルの有無、効果、実績によって精密に判断され、すべての貴族が階級分けされて管理されている。
階級によって爵位が変わることも多くあり、実力と権力がはっきり分かれた社交界は上下関係がとても厳しいのだ。
それ故、特級の者たちのみが皇族の顔を見ることを許されているのだとか。

「お父様は特攻隊を率いている軍の指揮官でしょう? たくさん兵隊さんがいるんだよね。――もし、お父様たちの部隊が一斉に飛び掛かったら、この人とどれくらい戦えるの?」
「旦那様の部隊か……。確か三級以上の貴族1500人くらいだったか?」

ブランの質問にカールは少し考えた後、2本の指を立てた。

「2分」
「そんなに短いの!?」

驚くブランの横でアルフレッドも納得している表情だ。

「氷雨様は歴代の特級貴族の中でも異例の強さを誇る方で、古代氷竜の血を継ぐと言われています」
「氷竜?この人はドラゴンの子孫なんですか?」
「いえ。竜と人が交わることはあり得ません。そもそも竜は古代に絶滅しているはずですから現代に生きる貴族が血を継承してるはずがないんです。――しかし、氷雨様は決して人間では操ることのできない“氷魔法”の使い手なので、そういう噂が流れているのですよ」

(氷魔法――。さっきアルフレッドさんが言っていた五元素の魔法にはなかった。7つめの固有スキルってやつかな?)

「だからこの新聞の写真も、周りが氷だらけなんですね」

不思議な人だ。
新聞には英雄という文字が書かれているから、相当すごい人なんだろう。

「アルフレッドさん。この氷雨さんが倒した“ジン”というのは何の意味ですか?」

新聞の文字を指さして聞くとアルフレッドは少し言葉を選びながら話した。

「ブランお坊ちゃんは遭遇したことがありませんでしたね。――“ジン”というのは古い言葉で“悪霊”を指します。能力を持っている貴族の魔力が暴走状態に陥り、もう回帰不可能と判断された者のことです」

カールが料理の準備に取り掛かりながら言う。

「平たく言うと“化け物”になっちまうんだよ。持ちうる力の限り暴れて人を殺しまくる」
「化け物、ですか?」
「……。言い方はとても酷いですが、遠からず意味は合っています。カール料理長の言う通り、理性を無くしてしまった貴族が魔力を用いて殺戮衝動のままに暴れるのです。その際、力量に見合わない魔力が暴走することで肉体を保っていられず、多くのジンが人間の面影を残していません」

(人間の面影がない、って――)

「アルフレッドさんやカールさんは見たことあるんですか?――その、ジンという、人を」

ブランはジンを何と言っていいかわからなかった。
アルフレッドとカールはお互いに顔を見合わせて考えた。

「私はあります。二度ほどですが」
「俺もあるぜ坊ちゃん。つっても、軍が来てからはその地区は閉鎖されて、どうやって討伐されたとかは詳しく見てないけどな」
「ジンが出現した場合、すぐに軍に通報されるんです。すぐに包囲網が張られ、地区には避難命令が出ます。そうして完全隔離にした状態からジンの討伐戦が始まるのです」

(軍。お父様が所属しているのは確か陸軍だったかな?)

ブランは話を聞きながら新聞を指で撫でた。
ジンという文字を何度も人差し指が往復する。

「――でも、もともとは同じ人間なんでしょう?」
「そうです」

アルフレッドは深くうなずいた。
ブランは少しだけ悲しい気持ちになった。

「いくら姿が違って見えても、同じ人間だったのに……。殺されてしまうなんて可哀そうです」
「坊ちゃん……」

アルフレッドが小さく首を振った。

「坊ちゃんは貴族がなぜ貴族たるかを知っていますか?」
「え?……生まれた時から偉いから、かな?」

ブランは知識がなかった。そのため、こういった質問は苦手だ。
アルフレッドは授業をするように話した。

「この世界では魔法を扱える人間はすべて、貴族に分類されます。血脈によって受け継がれる魔法は時が経つにつれ少なくなってきてしまいましたから、それらを保護しようとする政策です。魔法を扱う貴族たるもの、弱き者の剣となり盾となれ。ノブリスオブリージュの精神から国を守ること、発展させることが義務とされております」

そう。この世界において本来の人種は二つ。魔法が使える者と使えぬ者だ。

「魔法が使えるから権力や財力があります。それは平民たちの安全を守るために常に命を危険に晒すからです。だから貴族は尊ばれるのです」

ブランはアルフレッドを見上げて小さく呟いた。

「――だから、悪いジンになっちゃったら殺されちゃうんですね?」
「そうです。守るべき市民を、国を危険に晒すことは絶対に許されない行為ですから」

(力は正しく使う。アルフレッドさんがいつも言ってる言葉……)

そう。ブランが大きくなったらいくつかの魔法も教えてくれると約束したアルフレッド。魔力を持つ者の志も素晴らしいものである。

(魔力を持つ者は貴族。――――ん?)

「――あれ?でもアルフレッドさんも魔法が使えるでしょう?」

ブランは首を傾げた。アルフレッドやメアリーも魔法が使える。
暖炉に火をおこしたり、洗濯物を自在に浮遊させて洗ったりと日常生活でも魔法をたくさん使っている。

(なら貴族?――――そんな人がなんで侯爵家の使用人に?)

アルフレッドは小さく笑った。ブランが何を考えているのか表情にありありと出ているからであった。

「私たちも魔法は使えますが、五属性の中でも一つや二つ程度です。そういった者たちは下級貴族の提督、准男爵、男爵に分類されます。家督を継げない次男や令嬢たちはこうして高貴な方々にお仕えするのです」
「属性?階級?」

ブランは知らない言葉がたくさん出てきて頭がパンクしそうだった。
頭がぐわんぐわんと揺れているブランを見てカールが笑う。

「それに俺たちは“固有スキル”を持ってないからな~」
「上位の方々がいざ戦場で万全の状態でいられるよう、日常的な魔法は私たちが行い、ご当主様たちの魔力を使わないようにしているのです」

(えぇと。――侯爵家は確かすごい偉くて、お父様は“固有スキル”っていうものを使えるから……)

「つまり、お父様はすごい、ってこと?」

ブランが一生懸命考えて出した答えはこうだった。
カールが思わず手を叩いて笑い、アルフレッドも小さく笑っていた。

「そうですね。バルドロイ様は本当にすごいお方なんですよ。戦争の英雄と呼ばれていますから」
「英雄ってことはこの“氷雨”様と同じ?」
「えぇ。氷雨様は帝国最強のお方ですからいくつも呼び名があります。その中の一つが帝国の英雄。そんな最強のお方と同じ“英雄”という二つ名を持った貴族はバルドロイ様が初めてなのですよ」
「はじめて? すごい! やっぱりお父様はすごいんですね!」

ブランは自分のことのように嬉しくなった。それはアルフレッドやカールも同じ。バルドロイが賞賛されると自分事のように嬉しくなるのだ。

3人が和気あいあいと話していると時計を見たメアリーが使用人全員に声をかける。

「さぁ! 奥様がお目覚めですよ!アーリーモーニングティーを運びなさい!」

手を叩く音で使用人たちが一斉に動き出す。カール料理長も厨房へ戻ってしまい、アルフレッド執事長は新聞を折りたたんだ。

「さて。私もそろそろ準備をしなくては」
「どこか行くんですか?」

執事長のアルフレッドはバルドロイに仕えるため、当主不在の間は朝の支度業務などがない。本来ならばもう少し執事室で公務をしてから動きだすのだが、今日は違うようだ。

「本日は港へ行く用事があるのですよ」
「港に?」
「えぇ。夕刻までには戻ると思います。続きはまた夜に」

アルフレッドが机に新聞を置く。一面を飾った氷雨の美しい顔がこちらを見ている気がした。

「(この人が、帝国の英雄)」

「……。アルフレッドさん、この新聞、いらないなら貰ってもいいですか?」
「えぇ。もちろんです」
「ありがとうございます」

ブランはその新聞を大切に持った。
――“国民の危機に現れる英雄”

(これを持っていれば僕が苦しい時に英雄が助けに来てくれるかもしれない)

そうしてブランは屋敷の隅っこにある小さな部屋に戻った。




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