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第1章

特級お茶会

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——某邸。

「お待たせしました、お父さま」

少年が玄関ホールに足を踏み入れて言う。
そこで待っていた人物は顔を上げて一度頷いた。
紫色の燐光、美しい顔を持つ特級、楊滄波ようそうはである。

「それでは行こうか。忘れ物はないね、玉風ゆーふぉん
「はい、大丈夫です」

楊家の末っ子、玉風ゆーふぉんの手を引いて馬車に乗る。滄波そうはは馬車が動き始めてから目元にベールを付けた。

皇族を神とする大帝国において、楊家は最も高貴な人間である。その現当主と次期当主。
二人をのせる馬車は黒い車体に金色の装飾、ライチと芍薬の家紋が大きく掲げられている。馬車とは言うものの、この巨大な車体を引くのは普通の馬ではない。
二倍も大きい黒い身体に金の鬣を持つ馬が四頭。プライドの高い神聖な動物、クリュサオルだ。この馬が通った足跡は金色に輝き、やがて光に溶けて消える。また、群れのリーダーには額に第三の目があり、その目は良い人間と悪い人間を見定めることができるという。その為、飼育するのが難しいのが特徴だ。

クリュサオルの引く馬車がようやく楊家の敷地を出て街へ向かった。
今日、二人は皇宮へ行くのだ。
玉風ゆーふぉんは窓の外を眺める父親を見た。

「それにしてもお父さま、今回はやけに急な召集でしたね」
「……そうだね。予想はしていたけれど、お前との時間が減ってしまったね」
「仕方ありませんよ。皇帝陛下からのお呼び出しですから、優先すべきはそちらです」
「そうだね……。おそらく“あの子”に関係することだろうから、小言を聞くだけで終わるだろう」
「“あの子”……?」

玉風ゆーふぉんは首を傾げた。滄波そうはは視線を窓の外から動かさないまま言った。

「氷雨だよ」
「氷雨殿の行動がなぜお父さまに?」

滄波そうはは小さく笑った。

「そうか、玉風ゆーふぉんはあまり知らないかな」
「お父さまの同僚の方としか……」
「あの子はね、17歳で特級になるまでの間、私が面倒を見ていたんだよ」
「えっ」

玉風ゆーふぉんはオッドアイを見開いた。相変わらず窓の外へ目を向ける滄波そうはを見つめて開いた口が塞がらない。

「氷雨殿が楊家で暮らしていたんですか!?」
「いいや。あの子は一人で暮らしたよ。ここから少し離れた郊外にある小さな白い家でね」
「一人で、ですか」
「私が楊家を空けることなど許されないし、かといって氷雨を楊家に迎え入れるにはあまりにも危険な能力。必然的に氷雨に会いに行くのは仕事の合間だけだった。その短い時間をすべて彼の訓練に費やしたよ」
「お父さまが直々に訓練してくださるなんて……氷雨殿が羨ましいです」
「“羨ましい”?」

滄波そうははようやく視線を玉風ゆーふぉんへ移した。
表情は変わらず薄い微笑みを浮かべている。

「私が領地の最北端で5歳のあの子を見つけた時に掛けた言葉はね——、“生きたいのなら極めよ。能力を制御できなければ殺す”だったよ。たった一人で死にかけていた幼子に向ける言葉じゃなかった」
「……お父さまが?」
「私がお前にするように優しくしていたならば、あの子を見つけたその日に殺していたはずだ」
「……!」
「お前が聞いたこともない言葉を投げたこともあるし、あの子が泣いて血まみれになろうとも訓練の手を止めたことはなかった。——それでも氷雨が羨ましいか、玉風ゆーふぉん

玉風ゆーふぉんはごく、と固唾をのんだ。
滄波そうはは微笑んでいるが、笑っていない。怒っているわけでもないが決して機嫌が良いわけではなかった。

「帝国で最も高位の貴族男児に生まれ、末の子でありながら次期当主に選ばれたお前が、他に何を望む?お前があの子の幼少期に羨ましがることは断じて一つもない」
「も、申し訳ありませんっお父さま!ボクが浅はかでした」

玉風ゆーふぉんが頭を深く下げる。
金髪が輝く小さな後頭部が少しだけ揺れていた。滄波そうははその頭をゆっくり撫でる。

「楊家の人間ならば、欲を捨て、能力を研ぎなさい。お前が子供でいられる時間はもう少ないのだから」
「はい、お父さま」

次に頭をあげた玉風ゆーふぉんは大人びた表情をしていた。

「……いい子だね、玉風ゆーふぉん

馬車はゆっくりと速度を緩めて止まった。
完全に停止してからすぐにコンコンとノックされる。

「閣下、到着いたしました」
「わかった、開きなさい」

ガチャリと扉が開き、外の騒音が聞こえてくる。
滄波そうははゆっくりと馬車から降り、玉風ゆーふぉんを一瞥する。たった11歳の子供だが、次期当主であるため玉風ゆーふぉんは誰の手も借りずに降りなければいけない。

細い足が地面へ降りた。

「あれ?カフェ街ですか」
「あぁ、お茶会に持っていく手土産を調達するためにね」

目的地は帝国で最も人気のあるカフェ“ステラ”である。
早朝のため、まだ店内に人は少なかったが、人目が全くないわけではない。楊家の馬車だけでも十分注目を浴びているが、滄波そうは玉風ゆーふぉんの姿に人々はさらに声を上げる。

「まぁ、ご覧になって!“帝国の華々”ですわ。相変わらずお美しい」
「本日はご子息様もいらっしゃっているのね。可憐だわ」
滄波そうは様の夜の花のような美しさも堪りませんけれど、ご子息の太陽のような金髪、涼やかな緑色の目も可愛らしいですわよね」
「あら、あそこは確か皇室御用達のカフェですわ。まぁこんな早朝から皇宮へ行かれるのかしら」
「多忙でお身体を崩されないと良いのですが」

貴婦人たちは本当に噂好きである。この日のことは暫く社交界で語られるだろう。
玉風ゆーふぉんは睨みつけようかと思ったが、滄波そうはが全く気に留めていなかったので、それに倣って店内へ入った。

この二人に注目したのは通りの人たちだけではなかった。店内で朝食を食べていた数名の貴族たちも二人の姿に目を見開く。
帝国一美しいと言われる親子がお菓子のショーケース前で何やら悩んでいる。序列が一桁の上流貴族は買い物の殆どを屋敷に呼ぶか使用人に任せる為、屋敷から出ることが殆どない。
滅多にみられない光景だ。

「そ、滄波そうは様だ……!初めて生で見た!」
「俺も……!こんなに近くで見たの初めてだ」
「私は以前、夜会でお会いしましたわ!ひとこと挨拶を交わした程度ですけれども本当に気品あふれる方でレディとしても学ぶことが多いんですのよ!」
「楊家の方々は皆綺麗ですものね。本当、大公爵夫人が羨ましいですわ。もしあのお方に娶っていただけたらと考えるだけで……!」

各テーブルで黄色い悲鳴が飛び交う。
男性も女性も、その美しさに紅茶が冷めるのも気づかないままだ。
店員は流石皇室御用達というべきか、冷静を装いながら注文を聞いた。

「いらっしゃいませ、閣下。当店に足を運んでいただき光栄でございます。本日は何をお探しでしょうか」
「皇宮の茶会へ持っていく茶菓子が欲しいんだが、結構種類があるのだね」
「えぇ。僭越ながら選定のお手伝いさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「助かるよ。いいものはあるかな」

店員はいくつかをピックアップしてトレイに並べた。

「右側の4つが新商品でして、左側3つが当店の人気商品です。本日集まる方々は甘いものが得意でしょうか?」
「二人甘いものが苦手でね。いろんな味をピックアップしたい」
「でしたら、こちらは如何でしょうか。焦がしチーズケーキは香ばしく甘さ控えめでして、ティラミスはエスプレッソを染み込ませたスポンジがほろ苦いですよ」
「ではその二つを貰おう。あとは新商品も全種類包んでもらおうかな」
「かしこまりました。その他に何かご入用のものはございますか?」

滄波そうはは暫く考えた後、ショーケースに魅入っている玉風ゆーふぉんを見た。少しだけ開いた小さな口からは今にも涎が垂れそうだ。
滄波そうはは笑って玉風ゆーふぉんの頭を撫でた。

「少し選ぶ時間を貰えるかな。先にケーキを包んでくれ」
「お父さま?」
玉風ゆーふぉん、持ち帰るお菓子を選びなさい」
「えっ、いいんですか?」

玉風ゆーふぉんはキラキラと目を輝かせて言った。

「あぁ、好きなだけ。屋敷の者にも選んであげなさい」
「はい!ありがとうございます!」

すぐにショーケースを見て「どうしよう」と頬を赤らめる姿は年相応だ。滄波そうははその小さな姿を微笑ましく思うと同時に、奥歯を噛みしめた。

その時、カランとドアベルが鳴り他の客が入ってくる。
振り返った滄波そうはと入ってきた人物はお互いに目を合わせて「あ」と漏らした。

成不なずとブランである。

滄波そうは玉風ゆーふぉん君じゃないか!」
「……やぁ、偶然だね」
「氷雨殿……!」

二人が入ってきたことでカフェはまた騒がしさを取り戻す。

「ひ、氷雨様!?」
「本物?本物の氷雨様ですの!?滄波そうは様と氷雨様!?」
「ほ、本物ですわ~!」
「あのお二人が一緒にいる姿を拝めるなんて……!私、もう思い残すことはありません」

氷雨は帝国の英雄として有名な特級だが、あまり市中で見ることはない人だった。大宮司の仕事もあり討伐任務以外で神殿から出ることはあまりないからだ。
(外出するときの姿は浅葱服の成不なずだから気づいていないだけなのだが)

帝国でも目立つ長い白髪、歩くたびに雲のようにはためく龍安服に人々は氷雨を称える言葉を紡いだ。店の中も外もどっと騒がしくなる。
その騒ぎに拍車をかけたのは、上質な龍安服を身に着けるブランの存在だった。

「——あら?アレは?」
「……ほら。ボナパルト侯爵家で噂の」
「あぁ、奴隷貴族ですの?なぜ氷雨様とご一緒に?それにあの服、龍安領の出身の者が着ける服装ではなくって?」
「ボナパルト侯爵はつい先日、戦死されてしまったわよね?じゃあアレは?」

全員の声に動揺と不穏な色が混ざる。
その騒ぎに玉風ゆーふぉんはショーケースから目を離してブランを見た。
ブランはハッとして小さくお辞儀をする。

「……誰かと思えば、お前か」
「お、お久しぶりです。先日はありがとうございました」
「お前の為じゃない。お父さまに言われたからやったんだ。勘違いするな」
「す、すみません」

相変わらず言葉が鋭い玉風ゆーふぉんにブランはたじろいだ。

(でもどうしてだろう。この子の目は厳しいけど蔑んだ目じゃない。この子が他の貴族を見る目と何も変わらない)

初めて会った時からブランは玉風ゆーふぉんが悪い子には見えなかった。口調も態度も冷たいが、誰に対しても一定である。
それよりも怖いのは、微笑みを浮かべているこの年齢不詳の美男だ。

「やぁ、坊や。……もう身体は大丈夫かい?」
「……楊大公爵閣下」

(この人には……心を許してはいけない気がする)
——あァ、獣ダ。あの時味わった極上の獣。

脳内で声が聞こえる。此方こなたと名乗る声はしばしばブランに話しかけてくるようになった。

「ご心配痛み入ります。身体はもう十分に回復いたしました。閣下におかれましても、ご尊体に障りなければよいのですが」
「……」

ブランはベールの下で滄波そうはが眉をしかめるのを見た。
しかし、すぐにいつものように微笑む。

「私のほうは問題ないよ。……それから、成人おめでとう。洗礼式は大変なものになってしまったね」
「……父を失った傷はまだ痛みますが、成不なずさんのご厚意の下もと回復に努めています」

滄波そうは成不なずを見る。ヴェールの奥で細められた目が冷たさを含んでいるように見えた。

「……その“ご厚意”とやらの内容を、後日ゆっくり聞かせてもらおうかな」

そのほほ笑みを見て成不なずは頬が引きつる。二人の間に冷たい空気が流れるのを感じ取ったのだろう。

「そ、滄波そうはが心配するようなことは何もないよ……!」
「それは私が判断することだ」

ワタワタと焦って言い訳しているところを見ると、まるで悪戯がバレてしまった時の親子に見える。

「それより!滄波そうはがカフェに来るなんて珍しいね?朝ごはん?」

(あ、話を逸らした)

滄波そうはもあからさまな話題の振り方にこめかみをそっと抑えた。だが、ここでブランの存在について追及はしないようだ。

「いや、皇宮に呼ばれていてね。茶菓子を買いに来たんだよ」
「あれ、今日って皇室会議あったっけ? 私、何か忘れてるかい」
「会議はないさ。中々忙しくて2か月ぶりの休日だったんだけれども、私は誰かさんの後見人なのでね。皇帝と裁判所に呼ばれているというわけだ」
「……あれ、もしかして私のせい?」
「もしかしなくても、ですよ。氷雨殿」

玉風ゆーふぉんが頬を膨らませて言った。本来は父親と久しぶりに過ごせる予定だったのに邪魔をされて苛立っているのだろう。

「あちゃぁ。それは悪いことをしたね。今度何かお詫びしよう」
「何もいらないですよ。物を貰ったってお父さまの時間は得られませんから」

ぷい、とそっぽを向いた玉風ゆーふぉんは涙で少し潤んだ目をしていた。
滄波そうはが顎に手を当てながら「ふむ」と頷く。

「私の可愛い息子を泣かせたんだ。お詫びとして、今度の緊急討伐召集がかけられたら代りに行っておいで。時間は時間で返してもらわないと」
「えっ」
「1日32時間あるんだから24時間くらい働けるな」
滄波そうは!?」
「特級で神の宮に仕える者でありながら、まさか前言撤回をするわけではないだろう?」
「なっ、そ、それは……!」

滄波そうはがにっこりと笑って成不なずの肩を叩く。

「私の時間を使っておいて、お前はその子と悠々買い物だろう?私が手袋を投げつける前に早く頷いておくれ」

成不なずは「ひっ」と息を小さく呑むと、顔を青くして何度も頷いた。

「も、もちろんだよっ!」
「それじゃ、今度よろしく」
「う、うん」

滄波そうはが手を下ろすと同時に店員が声をかける。

「お待たせいたしました。お包みしたケーキです。持ち帰りの商品はお決まりになりましたか?」
玉風ゆーふぉん、どうだい」
「これを!」

玉風ゆーふぉんはガラスケースに入っているマカロンを指さした。
まるで夜空のように星が浮かび鮮やかだ。その他にも色とりどり20種類近く揃えられている。

「ステラマカロンですね。どのお味にしますか?」
「うちは使用人が多いから、全種類5つずつ包んでくれ。あと、マカロンに会う紅茶はある?」
「はい。リリーデインズ領産ダージリンをベースにしたブレンドと龍安領産のジャスミン茶がありますが、どちらがよろしいですか?」

店員が二つの缶を取り出す。
赤い缶に白百合の彫刻がされたダージリンと、水色の缶に芍薬の彫刻がされたジャスミン。
茶葉の入れ物にしてはあまりにも美しい。

(宝石までついてる……!いったい幾らするんだろう……)

ブランはその豪華さに驚いたが、玉風ゆーふぉんは当たり前のようにそれを見つめた。

「ジャスミンにする。その茶葉3つ」
「承知いたしました。お包みしてまいりますのでお待ちの間こちらの新商品をお試しくださいませ」

店員が一番近くの席に案内され、テーブルに新商品と紅茶が用意される。
どうやら成不なずとブランのも用意されているようだ。
案内されるまま玉風ゆーふぉんが席に座る。滄波そうはも座ろうとしたが、その瞬間に滄波そうはの爵石が淡い光を放った。

「少し失礼。玉風ゆーふぉん、先に食べていなさい。成不なず、外に出るからうちの子を頼む」
「はい、わかりました。お気になさらないでください」
「いってらっしゃい」

滄波そうはは店外に出ると馬車に乗り込んだ。
ブランは成不なずに促されるまま席に座ったが、紅茶を手にする前に質問する。

成不なずさん、さっき滄波そうは様の爵石が光っていたのはどうしてですか?」
「ん?知らなかったかい」

成不なずは新商品のスコーンに手を伸ばしながら話した。

「爵位を表した石がどんなものかは知ってる?」
「はい。石の色や家紋の彫刻によって階級が分かれているんですよね」
「そう。爵石は家督を継いでいる者の証明でもあるし、用途によっては性能も違うんだ。私のはこれ」

成不なずが懐からネックレスを出す。細い鎖で吊るされた石は七色の燐光を放つ大粒のダイアモンドだ。石の中には氷の結晶とそれを取り囲む龍の姿がある。

「私はぽっと出の貴族だから家紋が無くてね。特級になった時に爵位と同時に家紋を付けてもらったんだ」
「氷魔法から由来しているんですね」
「そうだよ。普通の爵石はただの装飾品だけど、階級によってはいろんな魔法を付加していてね。特級は緊急の用が駆け込むことが多いから“通信機能”が付加されているんだ。さっき光ったのは誰かから緊急の連絡が入ったという意味さ」
「特級手紙やカラス以外にもそんな連絡方法があるんですね……」

ブランは納得して頷いていたが、向かいに座っている玉風ゆーふぉんが眉をひそめてこちらを見ているのに気が付いた。

「お前、本当に何も知らないんだな。侯爵邸で何を学んできたんだよ」
「えっ、あ、すみません……」

ブランが無知であることを恥ずかしく思って俯くと玉風ゆーふぉんはさらに苛立ったように言った。

「ボクが聞きたいのは謝罪じゃなくて、なんでお前はこんなにも無知なのかってことだよ。お前侯爵家の子なんだろ?なのにマナーも付け焼刃だし、姿勢も目線の合わせ方も腹の探り合いもできない。もっといい家庭教師を付けた方がいいんじゃないか?」

玉風ゆーふぉんは純粋に疑問に思っているようだ。

(この子は僕がバルカ人であることが分からないのか?それとも帝国でバルカ人がどういう扱いを受けているのか分からないのか?)

「えっと……。玉風ゆーふぉん様、ご不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。最近学び始めたのですが、まだ皆さんの前に出るには早かったようです」
「……“最近”?」

玉風ゆーふぉんの眉がピクと動く。追及しようと再び開いた口に成不なずがスコーンを入れた。

「もご!」
玉風ゆーふぉん君、ブラン君にも色々事情があるのさ。ただ、知識の吸収スピードは並みを越えてる。天才と呼ばれる君には及ばないかもしれないが、将来に期待大だよ!」
成不なずさん……!」

ブランは必死に嚥下する玉風ゆーふぉんを心配した。
小さな口をパンパンに膨らませて可哀そうだ。

「んぐっ!……氷雨殿!急にものを入れるのはやめてください!誤飲してしまいます」
「あはは、美味しいだろう?」
「味わう余裕ありませんでしたが!……それと、」

玉風ゆーふぉん成不なずが言った通り賢い子なのだろう。何かを聞きたそうにブランを見るが、それ以上食い下がることはなかった。

「……ボナパルト侯爵のことは聞いた」
「……」
「ボクも残念に思う。陸軍でも名のある人だったのだろう。貴族の務めを果たした尊敬すべき人だ。誇りに思うと良い」
「……はい」

ブランは玉風ゆーふぉんの言葉に鼻の奥がツンとなった。
まだ気が緩むと泣いてしまいそうになるが、こうして死を追悼してくれる人がいると報われる。

(この子、本当に純粋な心をしているんだな……。態度は少し高圧的だけど、偏見を持たず表裏のない清らかな目をしてる)


少しの間、三人に沈黙が下りたところで店員が箱を持ってやってきた。

「大変長らくお待たせいたしました。当店のお菓子は保存魔法をかけておりませんので、本日中にお召し上がりください」
「あぁ、わかった」

玉風ゆーふぉんは箱を受け取ると席を立つ。
そのタイミングで滄波そうはが店内へ戻ってきた。

「菓子は受け取ったか?」
「はい、お父さま」
「では、行こうか。——あぁ、それと坊や」
「! はい」

滄波そうはがニコリとほほ笑む。

「先日のパーティーの詫びに楊家へ招待する約束だったね。今度正式に招こう。予定を空けておいてくれ」

その声は凛としていてよく響き、4人の言動に神経を研ぎ澄ませていた貴族たちは皆絶句した。

「そんなっ!お気になさらないでください。その後も何も変わりありませんし、僕なんかを御呼びしたと噂がたてば御名に泥を——」
「——いや、ぜひ。君のためになるだろう」

滄波そうはは笑顔を変えず、目元のヴェールを少しだけめくった。薄い布の隙間から覗く片目が細められる。
紫の燐光を見た瞬間に、重力がバカになったようにグラつく視界と脳。まるで耳の後ろから撫でられているような感覚と引きずり込まれるような意識にブランはゾッとした。

「……ッ!」

(まただ!また身体が勝手に……!しゃべろうとしてるのに声が出ない)
——あァ、美味イ。この獣はいいなァ、喰いたいなァ。

脳内で声が笑う。
滄波そうははゆっくりとブランに近づき、耳元で囁いた。

「——あまり抵抗するな。苦しみたくはないだろう」
「……なッ!」

滄波そうはは離れるとブランの肩を軽く叩いた。

「では、まあ会おう」
「……はい」

二人が店を出ていく間、ブランは手を握りしめていた。
滄波そうはが触れた肩から毒が入り込んだみたいに熱を持っている。

——美味い。ウマい。もっと喰いたいなァ。

「……成不なずさん、滄波そうは様はなぜ僕なんかに興味を持ってくれているのでしょうか」
「ん?あぁ、どうだろう。私が君を迎え入れたということも気になる点の一つなんじゃないかな。彼にとって私は一応、育て子だからね」
成不なずさんのことを心配して、僕が悪さをしないように見張っているんでしょうか」

ブランの言葉に成不なずが笑った。

「逆だよ!私が君に意地悪しないか見てるのさ」
「……そうでしょうか」
「きっとね。——それより、ブランチにしよう。買い物の続きがあるからね」

成不なずが席に座りメニューを開く。
ブランもそれに倣って席へ着いた。もう肩の熱は引いていた。



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