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第三章 「旅立ち」

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 首の辺りに嫌な汗が流れる。確かに何かが動いていた。だが相手も注意深く移動している為か、なかなか気配が感じ取れない。
 ウッドはひとまず視界のよい墓地を離れ、茂みに身を潜める。ウッドが姿を消した途端、墓地には静寂が広がった。時折風が突き抜ける。背中から汗が滲み出るのが分かった。
 と、風の中に奇妙な臭いを感じた。どこから漂ってくるのか。それは徐々に強くなり、空気を穢していくようだ。その臭気が張り付いて取れない。耳はその内にも幾つか足音を捉えていたが、方角がつかめない。だが戦闘感覚だけはずっとウッドに警鐘を鳴らし続けている。それも徐々に強く。
 一瞬、空気が静止した。
 袋の中に頭を収めていたネモが顔を出そうとしたが、それを押しやり、

 ――来る。

 ウッドは大地を蹴り、その場から離れた。
 今まで彼らが居た場所には何本もの矢が降ってくる。地面に突き刺さった鋭さは、見つかれば相手は容赦なくウッドたちを殺すだろうと想像させた。
 その敵の姿は見えない。いきなり攻撃を仕掛けてきたことから友好的な者たちでは無いことは確かだ。それ以前に先ほどからウッドの肌がびりびりとしびれるほどの殺気を感じている。どこに居るか分からないのにこれだけ空気を変える存在は、今までに数えるほどしか遭遇していない。
 煙は四方八方からやってくる。おそらく火を放ったのだ。右、左、北、南。一度に光った。
 相手は何体いるのだろう。煙のせいか、それとも実戦から離れていたブランクからか、敵の気配を読み取れない。
 また光った。あれは火の光とは違う。また。それが光る度に、ウッドは昔の記憶がえぐられる気がした。殺気は一段と強まり、ウッドを取り囲む敵の輪は徐々に狭まっていると思われた。
 ゆっくりと、音をさせないように剣を鞘から抜く。それから頭陀袋を自分の体に結わえ付け、

しばらく我慢してくれ」

 袋の中で息を潜めたネモに早口で言った。方角は分からない。だが、

 ――来た。

 ウッドは咄嗟に身を屈めて反転し、その場から逃れた。槍が四方から宙の残像を捉えていた。
 その行く末を見届けることなくウッドは転がりながら茂みに身を隠す。

「……か」

 声だ。
 直ぐに二体だけ現れたが、全身が甲冑かっちゅうに包まれている。よく磨き上げられたそれは、肩に大きく帝国の紋であるキルスネークがあった。曲がりくねった蛇を剣で串刺しにした様を模したものだ。それは強さの証であった。生命力の象徴である蛇を殺し、全てを手にしていることを表した紋だった。その甲冑が木れ日を反射し、光っている。
 ウッドは息を潜め、機会を伺う。
 しかし帝国の兵が一体何の用があるというのか。
 ディアムド帝国はここから遥か東の地に大きな城塞都市を築いている。強大な軍事力を持ち、それで周辺の多くの都市をその支配下に置き、今も着々とその領土を広げていると聞いている。その為の偵察部隊が遠征に出てくることはあるだろうが、それでも全身を覆うタイプの甲冑を着込んでいるということは兵の中でもそれなりの実力を持つ集団だ。
 しかもそのキルスネークは赤い。通常は黒を用いるが、ある将軍の部隊だけはそれが赤くなっていると噂がある。
 いよいよ煙が多くなり、それは色濃く、視界を奪っていく。身を隠す場所が多いところで使われるいぶしだ。おそらくこの煙を逃れれば、そこには配置された弓兵たちが手薬煉てぐすねを引いて待っていることだろう。
 気づいた時には既に遅い。昨日ネモを助けた時に遭遇したアルタイ族とは核が違う。戦略にも長け、容赦も無い。ウッドは先ほどから皮膚がびりびりと殺気を感じている理由が、今はっきりと理解出来た。だが煙で完全に視界が奪われ、このままでは燻されるのを待つだけだ。考える余地など無い。けれどウッドにはかつてほどの自信は無かった。
 ネモを連れたまま無事にこの場を抜けられるだろうか。
 その性は蛇。執拗しつように追い詰めて、相手の肉体がこの世界に存在しなくなるまで殺し続ける殺戮さつりくの権化。その魔の手から逃れることが……。

「隠れていても我には分かるぞ」

 まるで鍾乳洞の中で発された声のように、方々に反響して広がって聴こえた。よく通るその声。ウッドより頭一つ分大きい全身が筋肉の鎧のように硬くしっかりと盛り上がった肉体で放つ一撃は、どんな大木でも容易にへし折る。
 背中の袋の中で、ネモが咳き込んだ。
 その刹那、恐ろしい速度で矢が向かってきた。
 飛び退ける暇は無い。
 両手で剣を押し出して盾にする。
 一瞬で弾けたがその衝撃波で腕が痺れた。
 もうここに留まっていることは出来ない。
 立ち上がった瞬間に足元に矢が突き刺さる。
 それを蹴散らし、ウッドは方角も分からないまま突進した。目の前には突然木や草が飛び出てくるが、太い腕でお構いなしに掻き分け、とにかくあの場を離れた。
 周囲に幾つも動く気配を感じたが立ち止まってはいられない。そこから次々と矢が放たれる。それらは微妙に的を外しウッドをどこかに追いやろうとしていたが、他に逃げ場が無い。
 まるで案内されるようにウッドは駆けた。
 その内に徐々に煙が晴れてくる。逆に敵の殺気は強くなり、やがてそれが現れた。
 一瞬では視認出来ない。
 ただ中央で陣取っている真っ赤な鎧を着けた猛者だけは分かった。

「ミスリル」
「生き延びていたとは聞いていたが、このような場所で会えるとはな」

 振り返るまでもなくウッドの背後にも兵が揃い、確実に四方を取り囲まれていた。
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