ちょっと転んだだけなのに

凪司工房

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 転院先の記念病院には流石に毎日通うという訳にはいかなかった。遠いこともあるが、色々と余裕もない。
 それでも入院時に使うものや最低限のお金などをもたせる為、翌週、荷物を積み込んで病院に向かった。父の状態の説明を受ける為でもあった。
 
 カテーテル手術を担当したのは最初に話をした心臓外科医とは別の、女性の先生だった。大きな病院だけあって抱えている専門医の数も多いらしい。
 心臓については上手くカテーテルを通すことが出来、最初に太い冠動脈のうちの二本を通し、また後日、もう一本の処置をするそうだ。映像を見せながら説明してくれたが、既に父の心臓は血流が回復し、以前詰まっていた箇所もしっかりと血が通っていた。
 経過を見ながらしばらく入院することになるが、何もなければ心臓の方については特にこれ以上することはないと言っていた。カテーテルを通した後、ステントと呼ばれる膨らませる機器を入れて処置をするのだが、これがあるので血液が固まりにくくする薬をずっと飲むことになる。以前、脳梗塞をしていたので、血液抗凝固剤については知識があったが、また薬が増えるのかと思った(実はその際に、色々と当時かかっていた医師ともめたりもした)。
 心臓についてはほぼ安心していい状態だった。
 
 問題は声帯麻痺だ。しかも左右両方の声帯である。
 専門的には反回神経麻痺と呼ばれるもので、この反回神経というのは脳から出ている左右の迷走神経から伸びた枝のようなもので、咽頭の動きを制御する。それが麻痺することで声帯も動かなくなり、声帯が開いた状態で麻痺した場合には声が掠れて嗄声と呼ばれる状態になり、唾液や水分が気管に流れ込んで噎せやすくなる。反対に閉じた状態なら呼吸が難しくなる。非常に厄介なものだが、人工呼吸器の為の挿管をした際に起こりやすいらしい。通常片方が麻痺し、抜管してから三ヶ月から半年で回復することが多い。
 ただ父の場合は片方は挿管性の麻痺だろうがもう片方は原因不明だと言われた。両方が麻痺しているので回復するまで食事や水分摂取が難しくなる。それでもいずれは回復するだろう、という耳鼻科の医師の見立てだった。
 
 食べることが好きな父。しかし最近はもう歯もほとんどなくなり、入れ歯は面倒がって使わなくなり、分厚いステーキなどは絶対に食べられない。
 そんな父が食べることを奪われてしまった。しばらくはチューブで栄養を取りながら徐々に食事療法をして回復していくことになるらしい。
 
 心臓の次は声帯か。問題は次から次に降ってくる。
 それでも「命が助かったんだから」と言い聞かせ、自分たちを奮い立たせた。
 
 医師からの説明を終えると「少しだけ会っていかれますか」と言われた。
 最近の状況もあり、患者との面会は原則禁止だ。
 それでも温情というか人情というか、人の優しさによって、廊下の端と端ならということで面会を許してもらった。
 車椅子で連れてこられた父は随分ずいぶんとやせ衰え、やや寝ぼけていた。そもそも目も悪くなり、指定された距離では全然見えない。看護師の人から説明されてもこちらがよく見えていない。
 仕方なくアクリル板越しに面会をすることになった。申し訳ないと思いつつ、ありがたいと感謝する。
 アクリル板の向こうの父は手を振り、板を叩き、何か喋ろうとするけれど、声は出ない。看護師に紙とペンを持ってくるようにいって、それに何かなぐり書きをする。
 書かれたのは『電気毛布』だった。寒いから持ってきて欲しいというのだ。
 この時点で父は自分がどこにいるのか、全然把握していない。車ですぐにやってこれる距離と思っているのかも知れない。それに自分の心臓が止まったことすら理解しておらず、本人は「何故こんなことになっているのか?」という思いが強かったようだ。
 短い言葉で簡単に状況を説明しながらも、とにかく助かって良かった。あとはがんばってリハビリして、家に戻ろうという話をする。
 途中から父は泣いていた。私も涙が滲んだ。
 面会は五分ほどだったろうか。十分だったろうか。そう長い時間ではなかったと思うが、父は別れ際、紙にこう書いた。
 
 ――くるしい。
 
 そうだろう。ちょっと転んだだけだ。躓いたか、どこかにぶつけたか、しただけだ。それなのに気づくと心臓が止まり、手術を受け、知らない病院で車椅子に座っている。しかも話したいのに声は出ない。食べたいのに食べられない。水もごくごく飲むことは出来ない。体だって満足には動かない。
 目覚めたら世界が変わっていたのだ。
 それも夢や映画の世界じゃない。現実で。
 
 その後、父は一旦、元の病院に戻ることになる。再転院だ。地元の、近い病院で診てもらえる方が何かと助かると希望したものだが、結果からいえばあのままこの記念病院で診てもらっていた方が良かったかも知れない。
 とにかく心臓の手術をしてから十日ほどで、父は再び地元の病院へと戻った。
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