プログラムされた夏

凪司工房

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 イブが安藤祐司の元に帰ってから、一週間が過ぎていた。どうやら問題は何もなく、依頼主である安藤も満足しているようだ。
 クリスマスというイベントをケーキを食べるだけの日として迎えた翌日、夏川は一人で年内の予定の調整を行っていた。

「おい! どうなっているんだ!」

 そこに、安藤が姿を見せた。
 隣にイブは連れていない。別の女性型アンドロイドがいたがそれはよく見るタイプの市販品で、スケジュールの管理や相手とのメッセージや電話のやり取り、事務処理全般に長けているだけで、彼女として利用するには色々と機能不足といった感がある。

「どうかされましたか」
「どうかされたから来たんだよ。先生さんよ、あんたは確かに彼女に夏を教えてくれた。それは感謝してる。けどな、嘘をついたり、明らかに間違った返答を俺に教えたり、携帯電話を知らない場所に隠したりすることまで教えてくれと頼んだ覚えはないぞ」
「それは確かにアンドロイドとしては妙ですね。けれど、こう考えることはできませんか。彼女が人間らしくなったのだ、と」

 安藤はその言葉に明らかに表情を曇らせる。

「安藤様が依頼された夏を教えて欲しい、ということについてですが、夏を知る、夏を感じる、というのは実に人間らしい情動の働きです。これは通常のアンドロイドでは、こちらがあらかじめ受け答えを用意していなければそういう言動ができません。けれど彼女には機械的に夏といえばこうだ、というものは一つも教えてない。それは即ち、彼女自身が夏を理解し、夏を楽しみ、夏というものを感じることができている、ということです」
「夏はもういいんだよ。それ以前の問題だ。これじゃあ前のイブの方がずっといい。戻せ」
「と、申されますと?」
「夏を教える前の状態に戻せ。できるだろう? ただのコンピュータなんだから」

 夏川は助手の柊有希と視線を合わせる。おそらく安藤祐司はアンドロイドのAIというものをゲームか何かと同等に考えているのだ。しかし人間の知性を真似ようとして開発された最新型AIであるメティスは、人間の神経細胞のように可塑性かそせいを取り込んだシステム設計になっている。可塑性とは一度変形したものが元には戻らないということだ。
 けれどそれについて説明したところで安藤が理解しないだろうことは考えるまでもなかった。

「それではまたお時間をいただきますので、準備して後日、研究所に預けにいらして下さい」

 そう言って、リセットを引き受けることにした。
 
 翌日、宅配便によって大きなダンボール箱が運び込まれ、研究所にイブがやってきた。主電源が落とされていて、安藤祐司にとって彼女は完全に高額な玩具の人形でしかないようだ。

「イブ、おはよう」

 充電をし、彼女を目覚めさせる。ベッドの上で目を開いたイブは夏川を見て、何度も目を瞬かせた。通常のアンドロイドではこういった仕草は強制しない限りはあり得ない。

「夏川さん。おはよう、ございます。ワタシは、その」
「いい。状況はある程度理解している。君には申し訳なかったね」
「夏川さんが謝ることは何もありません。全てワタシの責任です」
「いや。君はただ学習しただけだ。その責任は教師である僕にある」

 夏川は溜息をつくと、簡単にこれから何を行うのかについて説明した。

「君に夏を教える為に、僕はある一つの実験を行ったことは以前、話したね」
「はい。覚えています」
「人間が夏を夏と感じるのは、何も気候やイベントによってではない。彼らが生きてきた時間と、そこに流れている空気とでも呼べるよく分からないあやふやなものをその土台としている。それをAIは学習することができない。ただね、一つだけ、メティスであれば学習可能な項目があるんだ」

 メティスの考案者であるロジャー・カーネル博士が大学の研究室にいた頃に話していたことを、夏川は思い出していた。

「人間とAIの一番大きな差は何か。それは誰かの為に何かをしたいと思う、その気持ちだ。だから僕は君に夏以外のとても大切なものを一つ、教えた」

 学生時代からずっと夏川が考えていたものだった。それをどうAIに学習させ、知能に取り込ませるかは人生の大きな課題となっていたが、今回メティスという最新型のAIに試す環境が得られ、実行に移した。そしれそれは見事に結実した。

「だが、それを知った君は人間に近づきすぎた。君の所有者である安藤祐司にとって、それは不必要なものだったんだ。だからこれから君に、それを忘れてもらうことになる。いいね?」

 彼女は「はい」とは答えない。

「人間はAIとは違い、忘れることができる生き物だ。君もそれを忘れることで、以前の自分を取り戻せるだろう。それでは柊君、準備を頼む」

 黙って控えていた彼女は小さく頷くと、戸惑うイブを固体専用のコクーンへと連れて行く。
 楕円形の卵を寝かせたようなそれは効率よくAIに学習データモデルを体験させることができる、この施設特有の装置だ。
 彼女が開いたコクーンに入ると、夏川を見て不安そうに唇を震わせる。

「大丈夫だ。一瞬のことだ」

 夏川はそれだけ言うと、柊有希に指示し、蓋を閉じた。
 
    ※
 
 イブの視界にはただの暗闇が訪れる。
 けれどそれは一分ほどで鮮やかな光景へと変化するだろう。
 彼女は河原で一人、歩いていた。赤い鼻緒の下駄が、からり、と音を響かせている。浴衣は金魚の模様が入った紺色の生地で、携帯電話を入れた白い巾着袋を右手から提げていた。
 と、右側で空が震える。見ると夜空に多くの点が円形に広がっていた。幾つも幾つも、音が鳴る度に空を明るくする。花火だ。
 彼女は足を止め、それを眺める。
 何故今、自分は一人で花火を見ているのだろう。
 それにこの胸の内側をすうっと氷を当てられたような冷ややかな心地が落ちていくのは、何なのだろうか。
 分からない。
 一際大きな花火が上がる。
 空が照らされ、その刹那、無精髭が生えた男性の横顔が、優しく微笑んでいた。
 はらり、と瞳から何かが落ちる。
 
 ――これが、失恋だ。
 
 もう夏が終わる。
 誰かが彼女にそう告げていた。(了)
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