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第五章 「シーソーゲーム」
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原田貴明の父である原田貴生は画家としてその界隈ではよく知られる存在だった。
一番最初に売れた絵は母の裸婦画らしいが、頭角を現したのは当時話題になった元女優のストリップ劇のパンフレットに描いた表紙絵だったそうだ。全て原田が叔父から聞いた話で、本当かどうかは知らない。ただ、小さい頃から下着を付けたり、付けてなかったりするほとんど裸みたいな女の人が、年齢関係なく家の中を歩いていたことだけは確かだった。
裸の絵を芸術と呼ぶのかどうかは、この年齢になってもいまいち分からない。
それでもヌード写真で名を馳せた写真家が持て囃されたりしている姿を見ると、美しいものなら、喩えそれがテレビや雑誌に表立って掲載できないような代物であったとしても、芸術と世間は認めて金を出すものらしい、というのは理解せざるを得なかった。
一晩で数千万円の価値を描き上げる。
そんな人間に父性を見ることはなかったし、それは原田の実の母親にしても同様で、夫としてもとても褒められた人間ではなかった。
金を生み出す芸術家である。
その一点だけが、彼の価値なのだ。
今でも原田はそんな風に思っている。
「なあ、貴明君」
「何ですか」
タクシーが信号待ちで停車すると、叔父が唐突に話し掛けてきた。
「君、結婚する気はないのか?」
叔母さんたちならまだしも、まさか叔父の口からそんな話題をぶつけられるとは思っていなかった。原田は小さく咳き込むと、言葉を濁しつつも結果的に「まだないです」という言葉を絞り出した。
「そうか」
「どうして急にそんな話を?」
脇に抱えた鞄から見合い写真でも取り出されることを覚悟したが、そんな所作は見られず、動き出したタクシーのフロントガラスから覗く都内のビル群を見やりながら、叔父は唸るような声でこう返した。
「兄さんの面倒をさ、君が見てくれるのが一番だという話になっててね」
――ああ。
叔母さんか、あるいは祖父母の関係から言われたのだろう。
「最近どうもね、アレらしいんだ」
原田はアレの意味が分からずに、声を潜めて問い返す。「何ですか?」
「その、ほらアレだ。ちょっと認知症がね、入ってきてるって施設の職員から連絡があったんだ」
叔父の口ぶりは「まだ年齢的に早い」というのが滲み出ていたが、最近では四十や五十で認知症になる人もいるらしいから、それほど珍しいことではないのだろう。ただ実際自分たちの周りにそういう話が出ると、急に現実感が増して正直途方に暮れてしまう。
「だから、ですか」
――結婚をして、引き取れと。
原田は少しだけ目を細める。だが叔父は彼の方を見ず、窓の方に目線を向けたまま「そういう訳じゃないが」とあまりはっきりしない返事をした。
「弁護士の先生もね、絵の権利関係の管理が面倒になるから、その辺りも含めて手遅れになる前に処理しておいた方がいいと仰っててね」
「僕は、そういうのは全部放棄すると前々から言ってるじゃないですか」
もうこれ以上面倒に巻き込まれたくない。
そうでなくても、原田は自分の人生の半分以上をあの父親に目茶苦茶にされたと感じていた。
「面倒だ、というのは分かるよ。けどね、お金のことなんて大概面倒なんだ。何故ってそれが生きていくことの大半だからだ。金がなきゃ霞でも食って生きていくのか? そうじゃない。人間、草だけ食ってちゃミイラにでもなっちまうよ」
そこまで言って溜息をつくと、叔父は黙り込んでしまった。
原田も何も言わない。
タクシーは住宅街を抜けて山道に入り、ニ十分ほど掛けて父親の入所施設に二人を送り届けた。
一番最初に売れた絵は母の裸婦画らしいが、頭角を現したのは当時話題になった元女優のストリップ劇のパンフレットに描いた表紙絵だったそうだ。全て原田が叔父から聞いた話で、本当かどうかは知らない。ただ、小さい頃から下着を付けたり、付けてなかったりするほとんど裸みたいな女の人が、年齢関係なく家の中を歩いていたことだけは確かだった。
裸の絵を芸術と呼ぶのかどうかは、この年齢になってもいまいち分からない。
それでもヌード写真で名を馳せた写真家が持て囃されたりしている姿を見ると、美しいものなら、喩えそれがテレビや雑誌に表立って掲載できないような代物であったとしても、芸術と世間は認めて金を出すものらしい、というのは理解せざるを得なかった。
一晩で数千万円の価値を描き上げる。
そんな人間に父性を見ることはなかったし、それは原田の実の母親にしても同様で、夫としてもとても褒められた人間ではなかった。
金を生み出す芸術家である。
その一点だけが、彼の価値なのだ。
今でも原田はそんな風に思っている。
「なあ、貴明君」
「何ですか」
タクシーが信号待ちで停車すると、叔父が唐突に話し掛けてきた。
「君、結婚する気はないのか?」
叔母さんたちならまだしも、まさか叔父の口からそんな話題をぶつけられるとは思っていなかった。原田は小さく咳き込むと、言葉を濁しつつも結果的に「まだないです」という言葉を絞り出した。
「そうか」
「どうして急にそんな話を?」
脇に抱えた鞄から見合い写真でも取り出されることを覚悟したが、そんな所作は見られず、動き出したタクシーのフロントガラスから覗く都内のビル群を見やりながら、叔父は唸るような声でこう返した。
「兄さんの面倒をさ、君が見てくれるのが一番だという話になっててね」
――ああ。
叔母さんか、あるいは祖父母の関係から言われたのだろう。
「最近どうもね、アレらしいんだ」
原田はアレの意味が分からずに、声を潜めて問い返す。「何ですか?」
「その、ほらアレだ。ちょっと認知症がね、入ってきてるって施設の職員から連絡があったんだ」
叔父の口ぶりは「まだ年齢的に早い」というのが滲み出ていたが、最近では四十や五十で認知症になる人もいるらしいから、それほど珍しいことではないのだろう。ただ実際自分たちの周りにそういう話が出ると、急に現実感が増して正直途方に暮れてしまう。
「だから、ですか」
――結婚をして、引き取れと。
原田は少しだけ目を細める。だが叔父は彼の方を見ず、窓の方に目線を向けたまま「そういう訳じゃないが」とあまりはっきりしない返事をした。
「弁護士の先生もね、絵の権利関係の管理が面倒になるから、その辺りも含めて手遅れになる前に処理しておいた方がいいと仰っててね」
「僕は、そういうのは全部放棄すると前々から言ってるじゃないですか」
もうこれ以上面倒に巻き込まれたくない。
そうでなくても、原田は自分の人生の半分以上をあの父親に目茶苦茶にされたと感じていた。
「面倒だ、というのは分かるよ。けどね、お金のことなんて大概面倒なんだ。何故ってそれが生きていくことの大半だからだ。金がなきゃ霞でも食って生きていくのか? そうじゃない。人間、草だけ食ってちゃミイラにでもなっちまうよ」
そこまで言って溜息をつくと、叔父は黙り込んでしまった。
原田も何も言わない。
タクシーは住宅街を抜けて山道に入り、ニ十分ほど掛けて父親の入所施設に二人を送り届けた。
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