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第2章 東慶寺入山 御用宿 編
第17話 縁切りの予約
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お昼を過ぎたあたり、駆け込んできた女性への身元調べが始まった。
対象者は、今朝、天秀が道を譲って、東慶寺へと入って行った、恐らく武道を嗜んでいるであろう、例の女性である。
身元調べの拝聴は人生経験になると、甲斐姫とお多江の許可をもらって、天秀は時間がある時は、常に見学するようにしていた。
定番のように、番頭の利平の隣にちょこんと座る。
今日は、佐与も一緒について来ており、座るなり天秀は、「しまった」と、失敗を認めた。
事前に説明をしていなかったので、案の定、佐与は女性を見た瞬間に指をさして、声を上げようとするのである。
それには、天秀も慌てて佐与の口元を塞ぐのだ。
「ここは、知らないふりをしないと駄目よ」
「分かった」と、佐与が目で合図を送るのを確認して、天秀はその手を離す。
息が出来ずに苦しかったのか、佐与は、多少顔を赤くして、小刻みに呼吸を繰り返した。
天秀は、ちょっと悪いことをしたかと反省する。だが、身元調べの邪魔をするよりは、ずっとましだと思った。
準備が整ったところで、お多江さんと女性のやり取りを、ジッと見つめる。
「お名前は何とおっしゃいますか?」
「私、堀田源八郎の娘、辰子と申します」
「源八郎さんって・・・ひょっとして?」
何か心当たりがあるのか、お多江は少し、驚いた表情をした。辰子の方も聞かれ慣れている様子で、意図するところをすぐに察する。
「ええ、先月に亡くなりました」
「やっぱり」
辰子の父親、源八郎は剣術の町道場を開いていた。
有名な流派ではないが、意外と繁盛しているのか、先祖伝来の広大な敷地の中に、道場を構えていたのである。
「今、道場はどうなさってるんです?」
この質問に辰子は、苦虫を噛み潰したよう顔を示す。
よほど、気に入らないことが起きているようだった。
「師範だった弥太郎が仕切っております」
「・・・って、ことは・・・」と、言った後、お多江が言葉を濁す。
辰子が縁切り寺に来ていることを考えれば、おのずとその先のことが分かるからだ。
「父の遺言で、私は弥太郎と祝言を挙げなければなりません。それが嫌で、東慶寺に伺ったのです」
「なるほどねぇ。これから祝言を挙げるってことは、婚約でもしているのかい?」
「いいえ。そのような形式的な関係はありません」
辰子の言葉に、お多江の筆が止まる。繋がっている縁がなければ、切りようがないのだ。
今の段階では、二人の関係を結び付けているのは、父親の遺言だけということになる。
そいつは、東慶寺の範囲外だと、お多江は判断した。
「辰子さん、ちょっと、整理させておくれ。あんた、一体、東慶寺に何を求めているのさ?」
「遺言を守って祝言を挙げなければ、道場は売り飛ばされることになっております。ですから、不本意ながら、弥太郎とは祝言を挙げますが、すぐに縁切りをしたいのです」
「ふーん。縁切りの予約って、聞いたことないけどねぇ」
お多江は、そう言いながら、完全に書き留めるのを止める。いずれにせよ、今すぐ、何かをしなければならないということは、なさそうなのだ。
「それで、できれば東慶寺で祝言を挙げたいのですが?」
「そ、そいつは無理だよ。東慶寺は、尼寺さ。男の人は入れないんだ」
「やはり、そうですか」
辰子は、目に見えてがっかりしている様子だが、その発想には天秀も目を丸くする。
縁切り寺で縁結びをしようなんて、よく考えついたものだ。
辰子が落ち込んでいると、その背中に、「ごめん」と声がかかる。
柏屋に、誰か客が来たようだ。
振り返った辰子の顔色が変わるのは、柏屋に入って来た男の顔を見たからである。
「辰子さん。いい加減にしてくれないか」
「ふん。あんたに私の気持ちは分からないよ」
辰子は、そう言うと帰り支度を始めた。やって来た男の言葉など、まったく聞く耳を持たず、とっとと柏屋を出て行くのである。
残された男は、溜息を一つ漏らした後、柏屋の人達に対して、名乗り出た。
「私、堀田道場の師範をしている弥太郎という者です」
この人が、例の弥太郎かと女性陣が、一斉に注目する。
無骨な顔立ちをしており厳つい表情は、いかにも武芸に身を置いているという風貌だった。
お世辞にも男前とは言えないが、真面目そうな人物には見える。
天秀と佐与は、先日、辰子が他の男性と逢引きをしているところを目撃していた。佐与なんかは、「これなら、当然、逢引きしていた男の方を選ぶわ」と、勝手なことを考える。
若い女の子から、知らぬところで、失格の烙印を押されているとは、想像もしてない弥太郎。
姿勢を低くして、お多江に頭を下げる。
「どうか、この縁切り認めないでほしい」
「・・・いや、そんな事を言われてもねぇ」
お多江は、弱ってしまった。縁を切られる男が押しかけて来て、声を荒げられることはあっても、頭を下げて頼まれることは、滅多にないのである。
「私は、阻止するためなら、どんな手でも使いますよ」
頼んでも無理と察したようだ。静かな口調だったが、強い気持ちを言い残して、弥太郎は柏屋を出て行く。
ただ、去り際、「これが、辰子さんのためなんだ」と、小さく独り言を呟いているのを天秀は聞きとめた。
その言い方が、どうも気になる。
「何か、面倒なことが起きそうだねぇ」
お多江の嘆きに、全員、同意するのだった。
対象者は、今朝、天秀が道を譲って、東慶寺へと入って行った、恐らく武道を嗜んでいるであろう、例の女性である。
身元調べの拝聴は人生経験になると、甲斐姫とお多江の許可をもらって、天秀は時間がある時は、常に見学するようにしていた。
定番のように、番頭の利平の隣にちょこんと座る。
今日は、佐与も一緒について来ており、座るなり天秀は、「しまった」と、失敗を認めた。
事前に説明をしていなかったので、案の定、佐与は女性を見た瞬間に指をさして、声を上げようとするのである。
それには、天秀も慌てて佐与の口元を塞ぐのだ。
「ここは、知らないふりをしないと駄目よ」
「分かった」と、佐与が目で合図を送るのを確認して、天秀はその手を離す。
息が出来ずに苦しかったのか、佐与は、多少顔を赤くして、小刻みに呼吸を繰り返した。
天秀は、ちょっと悪いことをしたかと反省する。だが、身元調べの邪魔をするよりは、ずっとましだと思った。
準備が整ったところで、お多江さんと女性のやり取りを、ジッと見つめる。
「お名前は何とおっしゃいますか?」
「私、堀田源八郎の娘、辰子と申します」
「源八郎さんって・・・ひょっとして?」
何か心当たりがあるのか、お多江は少し、驚いた表情をした。辰子の方も聞かれ慣れている様子で、意図するところをすぐに察する。
「ええ、先月に亡くなりました」
「やっぱり」
辰子の父親、源八郎は剣術の町道場を開いていた。
有名な流派ではないが、意外と繁盛しているのか、先祖伝来の広大な敷地の中に、道場を構えていたのである。
「今、道場はどうなさってるんです?」
この質問に辰子は、苦虫を噛み潰したよう顔を示す。
よほど、気に入らないことが起きているようだった。
「師範だった弥太郎が仕切っております」
「・・・って、ことは・・・」と、言った後、お多江が言葉を濁す。
辰子が縁切り寺に来ていることを考えれば、おのずとその先のことが分かるからだ。
「父の遺言で、私は弥太郎と祝言を挙げなければなりません。それが嫌で、東慶寺に伺ったのです」
「なるほどねぇ。これから祝言を挙げるってことは、婚約でもしているのかい?」
「いいえ。そのような形式的な関係はありません」
辰子の言葉に、お多江の筆が止まる。繋がっている縁がなければ、切りようがないのだ。
今の段階では、二人の関係を結び付けているのは、父親の遺言だけということになる。
そいつは、東慶寺の範囲外だと、お多江は判断した。
「辰子さん、ちょっと、整理させておくれ。あんた、一体、東慶寺に何を求めているのさ?」
「遺言を守って祝言を挙げなければ、道場は売り飛ばされることになっております。ですから、不本意ながら、弥太郎とは祝言を挙げますが、すぐに縁切りをしたいのです」
「ふーん。縁切りの予約って、聞いたことないけどねぇ」
お多江は、そう言いながら、完全に書き留めるのを止める。いずれにせよ、今すぐ、何かをしなければならないということは、なさそうなのだ。
「それで、できれば東慶寺で祝言を挙げたいのですが?」
「そ、そいつは無理だよ。東慶寺は、尼寺さ。男の人は入れないんだ」
「やはり、そうですか」
辰子は、目に見えてがっかりしている様子だが、その発想には天秀も目を丸くする。
縁切り寺で縁結びをしようなんて、よく考えついたものだ。
辰子が落ち込んでいると、その背中に、「ごめん」と声がかかる。
柏屋に、誰か客が来たようだ。
振り返った辰子の顔色が変わるのは、柏屋に入って来た男の顔を見たからである。
「辰子さん。いい加減にしてくれないか」
「ふん。あんたに私の気持ちは分からないよ」
辰子は、そう言うと帰り支度を始めた。やって来た男の言葉など、まったく聞く耳を持たず、とっとと柏屋を出て行くのである。
残された男は、溜息を一つ漏らした後、柏屋の人達に対して、名乗り出た。
「私、堀田道場の師範をしている弥太郎という者です」
この人が、例の弥太郎かと女性陣が、一斉に注目する。
無骨な顔立ちをしており厳つい表情は、いかにも武芸に身を置いているという風貌だった。
お世辞にも男前とは言えないが、真面目そうな人物には見える。
天秀と佐与は、先日、辰子が他の男性と逢引きをしているところを目撃していた。佐与なんかは、「これなら、当然、逢引きしていた男の方を選ぶわ」と、勝手なことを考える。
若い女の子から、知らぬところで、失格の烙印を押されているとは、想像もしてない弥太郎。
姿勢を低くして、お多江に頭を下げる。
「どうか、この縁切り認めないでほしい」
「・・・いや、そんな事を言われてもねぇ」
お多江は、弱ってしまった。縁を切られる男が押しかけて来て、声を荒げられることはあっても、頭を下げて頼まれることは、滅多にないのである。
「私は、阻止するためなら、どんな手でも使いますよ」
頼んでも無理と察したようだ。静かな口調だったが、強い気持ちを言い残して、弥太郎は柏屋を出て行く。
ただ、去り際、「これが、辰子さんのためなんだ」と、小さく独り言を呟いているのを天秀は聞きとめた。
その言い方が、どうも気になる。
「何か、面倒なことが起きそうだねぇ」
お多江の嘆きに、全員、同意するのだった。
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