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第七章 魔女の呪い

第25話 魔女の呪い

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「私が魔女です」
 楓は、男に飛び切りの笑顔を向けた。

 楓の言葉に男は一瞬面を食らったようだが、すぐに男の激昂する声が響いた。
「お前が、お前が魔女なわけないだろ!」
「私はあの小屋で、魔女の魂を受け入れたんです。だから、助かった」
 男はそれを聞くと、鼻で笑った。
「嘘だな。俺は知ってる、その小野瀬って男がお前を助けたんだろ。車のレコーダーに全部映ってたよ」
「だから何だっていうんですか。小野瀬さんも魔女の魂に呼ばれ、あそこに来たんですよ。そもそもなぜ東京にいた小野瀬さんが、私を助けに華月町へ来たと思うんですか? 理由は簡単です。魔女が呼んだんです」

「なぜそうまでして、お前を守る必要が?」
「知りません。私が若くて可愛いからじゃないですか。そんなの魔女に訊いてください」
「ふざけたこと言ってんじゃねえ」
 男は怒りに身体を震わせている。楓は、あることに気付いた。
「あなたに魔女は殺せないんですよ。一人で! そんな拳銃を持っていたって! だって、本当は魔女を恐れてるんでしょ? 魔女はそんなあなたたちの望みなんて、叶えるつもりはないんですよ」
 楓は一段と強く叫んだ。
「違う……違う!」
「魔女は怒っているんです。魔女の遣いへの貢ぎ物のつもりで高澤美沙さんを生贄にしたことを。あなたたちの思いは、魔女への忠誠を尽くすつもりだったかもしれないですが、ハッキリ言って逆効果です。それが魔女を怒らせてしまいました」

「魔女は生贄を求めてるんだ。今までも、そうだった」
 男の語気が徐々に弱まり、声が震えてきた。
「本当に魔女が生贄を求めてるなんて思ってたんですか? 魔女は一度もそんなこと言ってませんよ。それに魔女は焼かれた後に滝に落とされたのに、あなたたちは逆に滝に落としてから魔女を焼こうとした。
 そんないい加減な想いで忠誠を尽くしたつもりですか?
 自分たちの行いを正当化するための、都合のいい言い訳です。あなたたちがやってきたことは、儀式でも何でもない、ただの犯罪です」

「五月蠅い。そうやって、俺たちの家は生きてきたんだ。生贄は、必要なんだ」
「生贄? 罪もない女の子を殺して、何が生贄ですか。あなたたちが手を掛けてきたのは、若い女性や子どもばかりでしょう? 自分たちの命を差し出そうなんて人はいなかった。何故だかわかりますか。あなたたちが弱い人間だからです」
 楓は、内心では怯え切っていた。しかし、ここで怯んでしまってはダメだ。

 もう少し。最後の一押しを。
 楓は賭けに出ることにした。
「魔女は生贄を殺させない。証拠を見せてあげます」
 日向を立たせ、窓越しに男に見せつけた。
「魔女は言ってました。あなたたちの身勝手な願いなんて、受取拒否ですって」

 殺したはずの諸星日向が目の前に現れ、男は強く動揺していた。
「なんで、生きてるんだ。くそっ。どいつもこいつも」
 男の限界は遂に越えてしまった。
 しかし、次に男は急に笑い出して言った。
「もうどうでもいい、魔女なら証明してみろ、死なないってことをな!」
 腰に差し込んだ拳銃を手にする。
構えて、銃口を楓に向けた。楓は窓を閉めようと手を掛ける。
 銃声が華月町の空へ響いた。

 しかし、その銃声は男の持っていた拳銃のものではなかった。
「確保!」
 咄嗟に閉めた窓の向こう、男の背後から二つの影が飛び掛かった。
 それに驚いた仮面の男は、置いていたポリタンクに足を取られ、ポリタンクごと地面に倒れた。影は落ちた拳銃を取り上げ、男を後ろ手にして手錠を掛けた。
「殺人未遂の現行犯で逮捕する!」
「大丈夫ですか!」
 倉橋健吾と倉田朋美、陽石警察署のクラクラコンビは、降り出した雨に濡れながら同時に声を上げた。

「助かりました。あの時、月島さんに伝えていただいたことで、現場の状況が理解できました。でも、あんなに危険な真似は、もう絶対してはいけませんよ」
 倉橋と倉田は頭を下げた。

 ──あなたに魔女は殺せないんですよ。一人で! そんな拳銃を持っていたって!

 あの時、倉橋と倉田の姿がの中に林に見えて、楓は咄嗟に二人に状況を知らせようとした。それがちゃんと伝わっていたのだ。
「あの状況だったんで、仕方なかったんです。それに、もう絶対しません。というかこんな体験、二度とごめんです」
 楓は苦笑しながら言った。
 当初は楓が男の注意を引く間に小野瀬が取り押さえるつもりだった。しかし、小野瀬が現れなかったのは、途中で小野瀬も倉橋と倉田が林に隠れているのを見つけたからだった。
 倉橋は男に見つからぬよう、ジェスチャーで小野瀬へ動かぬように指示していた。

 倉橋たちはバレないように拳銃を手に男に近づいていったが、追い付くより先に男が拳銃を構えたため、倉橋が慌てて空砲を発砲したのだ。
 倒れたポリタンクから流れ出た燃料で油まみれになっている犯人を、倉田が見張っていた。血まみれになった仮面の下の素顔は、どこかで見たような気がしたが、すぐに思い出した。崎田食堂でアジフライを食べていた男だ。静江なら知っているだろうか。

 ──そういえば、静江はどこに行ったんだろう。
 混乱の中で忘れていたが、騒動の最中も静江はずっと姿を消していた。たしか二階にいるはずだが。

 倉橋はイリスたちの状態を確認していた。
 イリスは怪我をしているが、意識はあるようだった。
「弾は肩の辺りに命中しているようです。出血も少ないので命に別状はないでしょう」
 倉橋が仮面を外す。イリスは四十代半ばの男性で、端正な顔立ちをしていた。
 倒れていたノックスも、スタンガンを当たられたことで手足がまだ震えているようだが、意識はあり大きな怪我はなさそうだ。
「応援と救助の要請をしてるんですが、どうやら華月町で火事があったようで、救急隊も混乱しているようです……とりあえず雨も降っているので中に入りましょう」
 こんな時に、火事まで。

「俺は、医者だ。二階に少し医療品があるから、応急処置をするよ。あと、そいつは農家の浅井って男だ」
 ノックスが倒れた男を指さして言った。まだ歩く姿はふらふらとしているが、意識はだいぶハッキリとしてきたようだ。静江に聞く前に犯人の名前が判った。
「ありがとうございます。助かります」
 倉田が言った。

 倉橋は浅井の腕を取りと歩かせようとするが、浅井は全身の力が抜けきってしまったように動かない。風が吹き、浅井の後ろの木の枝が揺れ、雨の雫が滴っている。
「まったく。ちゃんと歩け。中へ行くぞ」
 すると浅井は、力の入っていない身体から声を出した。まるで口すらも動いてないように見えた。
「橋本達也、ここではノックスだっけ? どっちでもいいか。お前の親父のことだ。お前の親父も、俺たちの仲間だった」
「なんだって?」
「お前の親父も俺と同じ犯罪者ってことさ。お前はその息子だ。儀式を追ってたサバトにいるのが息子なんて皮肉なもんだな」
「親父はどうした」
「殺したよ。お前の親父だけじゃない。関わったやつはみんな、俺が殺した」
「殺した? 何言ってんだよこの野郎!」
「嘘をついても意味ないさ。口ばかり出して自分たちは何もしない、あの連中が目障りになった。それだけだ。お前の実家で、今頃みんな黒焦げになってるだろうよ」
 黒焦げ? まさか、さっき倉橋が言っていた火事って……?

「ふざけんじゃねえ」
 ノックス──橋本達也の右拳が浅井の左頬をえぐった。
「よせ! やめろ!」
 倉橋が止めに入る。
 浅井の身体は後ろへ飛び、泥になった地面へと背中から倒れた。
「どうせ俺は死刑になる。けど、お前はずっと犯罪者の息子として生きていくんだ。呪いはお前が死ぬまで付き纏うんだよ」
「この野郎……」
 頭に血が上った達也を倉橋が必死に制止する。
「やめてください。これ以上やったら、あなたまで逮捕しなくてはならなくなります」
「生贄を得られなかった魔女の呪いは訪れる、必ずな。お前らが後悔した時には、もう遅いんだよ」
 浅井が地面に仰向けになったまま笑い始めた。
「この、サイコ野郎……」
 悪態をつきながら倉橋が浅井を起こしに行こうとした、その瞬間。
 爆発音のような音が轟き、一瞬白い光が辺りを包んだ。その場にいた者たちは、衝撃でその場に倒れ込んだ。

 キーンと耳鳴りがしていた。目の焦点もうまく合わない。
「な……なにが……」
 ようやく焦点が合ってきたが、耳鳴りはまだ治まらない。
 林の一番手前にある木が燃えていた。
 ──雷が、木に落ちたの?
「くそっ。なんなんだ。一体」
 耳鳴りのする鼓膜に誰かの声が響いた。あれは、浅井の声?
 泥交じりの地面に手をついて身体を起こす。
 他の者たちも同様に、状況を理解するので精一杯のようだ。
 バキッという音がした。
 燃え盛る太い枝が、炎を纏ったまま折れて下に落ちた。
「お、おい! 助け……」
 燃え盛る枝は、真下にいた浅井の身体へ落ちた。倉橋たちに取り押さえられた時、こぼれたポリタンクの中身が服に染み込んでいた浅井の身体は、一瞬で炎に包まれた。

「あ、熱い! 厭だ! 熱い!」
 幾度となく叫びながら地面を転げまわった浅井だが、しばらくしてその動きを止めた。
 倉橋によって火が消されたが、黒く焼焦げた身体が動くことは二度となかった。
 起き上がった者たち、それぞれが黙ったまま死体となった浅井を見下ろしていた。
「魔女の、呪い……」
 突然、声がして全員が振り返った。
 窓のところには、静江が立っていた。静江は車椅子を押していた。
 その車椅子には、装飾が施され口元の開いた仮面を着けた老婆が座っていた。
 その仮面を見て、楓は「嘘……」と小さく呟いた。
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