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第七話 フィットネスクラブでの受難

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「それでね、彼女は……一条寺花子さんは、
緊張のためか少し青ざめた顔で私見つめたんだ」

フィットネスクラブに向かうため、
今度はポルシェのケイマンを走らせながら、
俺の隣に座る金髪……こと、水無月さんは、

頭お花畑状態で俺への惚気を、
俺自身に語って聞かせているという何とも摩訶不思議な状態だ。

俺にこの人を騙しているという罪悪感が、無いといえば嘘になる。

そしてその罪悪感が、
こうして俺を水無月さんの惚気話に付き合わせているのだろうな。

「彼女と目があった瞬間、体に電流が走って……
それで私は恋に落ちてしまったってわけなんだ」

そう言葉を紡いで、水無月さんは艶なため息を吐いた。

「だったら、俺に惚気てないで、
彼女にその気持ちを伝えたらいいのに」

(いや、伝えられても
それはそれでこっちも困るんだけどね……)

一方で俺はそんな心の声を飲み込んだ。

「それがなんか……彼女……
スマホが壊れたって言って番号を教えてくれないんだ」

水無月さんはしょんぼりと肩を落とした。

「やっぱり私は彼女に嫌われてしまったのだろうか」

どんよりとした眼差しが、完全に死んでいる。

「好かれているか嫌われているかっていうのは、
俺にはわかんないんだけどさ、
スマホが壊れたっていうのは、事実だよ」

壊れたっていうか、つじつまを合わせるために、
今社長が新規で契約しに行っているっていうのが事実なんだけどね。

「ほっ本当かい? 瑞樹君、良かった~」

そう言って子供のようにはしゃぐ水無月さんに、
やっぱり俺の良心が痛む。

「っていうかさ、顔だけで人を好きになるってどうなのさ?」

水無月さんが舞い上がっているのが、
なんかちょっと、面白くなくて、

棘のある言い方をしてしまった。

「彼女が実はめっちゃ性格が悪かったらどうするんだよ?」

俺の言葉に、水無月さんが黙って考え込んだ。

「そうなんだよなぁ~。本当にどうしよう。
私がもし失恋したら、瑞樹君が慰めてくれ!」

目をうるうるさせて、水無月さんが訴えてきたが、

「ふんっ! 嫌なこった」

と俺は憎たらし気に鼻の頭に皺を寄せてやった。

「つれないなぁ。ところで瑞樹君は……彼女いないの?」

そう言って水無月さんは、ちらりと俺を見た。

「いたらこんなところで、
誰かさんの惚気話なんて聞いてませんよ」

俺の答えに、なぜだか水無月さんは
心底ほっとしたような表情を浮かべた。


「な~んで、ほっとしてんすか?」

その表情を横目で見て、
なんとなく聞いてみた。

「本当に……なんでだろうな……」

水無月さんが、心底不思議そうに目を瞬かせた。

「あ~あ、俺も彼女欲しいっ!」

少し声を張って、伸びをすると

「いや、それは困るっ!」

真顔で間髪を入れずに水無月さんがそう言った。

「へっ? なんで?」

俺がそう問うと、

「なんで……なんだろ?」

やっぱり水無月さんは心底不思議そうな顔をする。

◇◇◇

水無月さんの通うフィットネスクラブは、
会員制の高級ホテルの一フロアにあるんだってさ。

「お待ちしておりました。水無月様」


ホテルに着くと
専属のコンシェルジュが、俺たちを出迎えてくれた。

ラウンジでお茶と軽食を取って、
俺たちはフィットネスクラブのフロアに向かった。

「えっ? ひょっとして貸し切りなの?」

俺が目を白黒させていると、

「まあ、予約したからな」

水無瀬さんがしれっとそう言った。

タオルや運動用の服や靴も、すべてレンタルなんだそうだ。
洗濯が楽でいいよな。

ロッカールームに着くと、俺は豪快に服を脱いだ。

「ぶはっ!」

突如それを見た、水無月さんが飲みかけのミネラルウォーターを吹き出した。

「ちょっ……瑞樹君、いきなりそんなに大胆に服を脱ぐなんて……」

慌てて背を向けた水無月さんが耳まで赤くなっている。

「こっちにも……心の準備ってもんがあるんだから、
脱ぐなら脱ぐって言ってくださいっ!」

なんか……よくわからないけど、
水無月さんに怒られてしまった。

◇◇◇

どうして私は、瑞樹君を伴って、
こんなところ……もといフィットネスクラブになんか来てしまったのだろうか?

私、水無月涼は自問自答を繰り返す。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

雄たけびをあげて、私は全速力でランニングマシンの上をひた走る。

「ちょっ……ちょっと水無月さんっ! 
そんな速度で走ったら死にますよっ!!!」

瑞樹君が隣のマシンの上で青くなっているけれど、
そんなことを気にしている余裕は私にはない。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

やっぱり獣のように雄たけびを上げて、
私は全速力でランニングマシンの上をひた走るのみだ。

そうでもしていないと、なんか色々ヤバいのである。

私はチラリと、瑞樹君を盗み見た。

(不埒なっ!)


そしてすぐに瑞樹君から視線を逸らせる。

さきほどロッカールームで垣間見た、瑞樹君の半裸姿が
ひどくこの身体を火照らせるのだ。

くびれた細い腰を引き寄せて、
愛らしい薄桃色の淫らな唇を奪ってしまいたい。

不意にそんな衝動が、身体の奥から沸き起こってきて、

(うわああああああ! ダメだダメだダメだダメだ)

私はその危険思想を振り払うべく、やっぱり雄たけびをを上げる。



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