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第九話 初めてのキスはフィレステーキの味???

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それから二週間ほど経った。

あの日以来、水無月さんから俺への連絡はない。

俺は今日もスマホを開いては、小さくため息を吐く。

ちなみに水無月さんから、俺への連絡がないだけで、
俺の勤める会社『おかめ総本舗』は、

水無月商事との取引に無事に漕ぎつけて、

水無月商事の所有する、
ショッピングモールへの進出に向けて大忙しなのである。

「一ノ瀬君っ! 新店舗の内装のデザインの最終案の確認をお願いっ!」

副社長が、金切り声を上げると、

「あかんっ! 一ノ瀬君はこれからわしと、新店舗の現地視察に行くんやっ!」

社長が負けじと声を張る。

「この忙しいときに、何言ってるんっ! あんた一人でいきなはれや!」

副社長の怒声にも、社長は怯まない。

「そういうわけにはいかんのや! 
何せ今日は水無月社長もいらっしゃるからな」

社長の言葉に、胸の奥がチリチリと痛んだ。

「あっと、今日は俺、事務所で片付けてしまいたい案件があって……」

社長にそう告げると、

「瑞樹……そういうわけには、いかんのやっ!
わかってるやろ?」

社長が俺の耳元に小声で囁いた。

◇◇◇

俺たちが現地に到着してから間もなく、

従業員一同が、最敬礼をもって水無月社長を出迎えた。

整然と列を作る従業員の前を、
水無月社長は、淡々と歩いていく。

自意識過剰なのかもしれないけど、
その列の中にいる俺と、一瞬視線が交わった。

だけど水無月社長は、俺から視線を外して
通り過ぎていった。

(何? なんか怒ってんの? 俺のこと……)

ちょっとイラっとしないでもない。

(なんなんだよっ! 人のことは散々てめぇの惚気話のために振り回しておいてっ、
それで、その後は完全無視かよっ! はんっ! 気分悪っ!)

怒りのために顔を赤らめて下を向いたら、
隣にいた目元涼し気なイケメンなお兄さんがぷっと小さく噴き出した。

「いや、ごめん、ごめん。
水無月の社長に、毛を逆立ててる君が、
なんか僕の飼ってる猫に似ててさ」

何がおかしいのか、お兄さんはまだ笑い続けている。

「猫って……」

さすがに失礼だろ!
初対面の俺に対して、いきなり猫呼ばわりって……。


「いや、失礼っ! お詫びにお茶でも奢るよ」

今度は俺の怒りを宥めるために、そんな提案をしてきた。

そのときである。

呉里くれさと、その人から今すぐ離れろ」

頭上から底冷えのする声色が聞こえた。

「ひっ!」

その形相に俺は思わず悲鳴を上げてしまった。
魔王降臨である。

「あら~、これはこれは、水無月社長。
ご無沙汰しております~っ!」

呉里と呼ばれたお兄さんは、そう言って食えない笑みを浮かべた。

「瑞樹、来いっ!」

そういって水無月さんが俺の手を強引に取ったが、

「はあっ?」

俺は腹の底からの疑問符とともに、水無月さんの手を振り払った。

「俺、今からこの人とお茶するんですよ。
なんか文句あります?」

そう言ってやると、水無月さんは押し黙った。
そして……、

「昼食に極上のフィレステーキをつける」

その言葉に俺の腹の虫が切ない音を立てた。

◇◇◇

「フィレステーキ おかわりっ!」

俺は空になった皿を、ドンっと音を立ててテーブルに置いた。

「みっ……瑞樹君……お腹が空いていたのかい?」

対面する水無月社長が、驚きに目を瞬かせている。
そりゃあ、そうだろう。

今日五回目のお代わりなのだから。

「別にっ!」

俺は無言のままで、テーブルに展開する料理の数々を平らげていく。

「あんたは何で、この二週間既読無視をし続けた?」

単刀直入に切り出した、俺の不機嫌の理由に、
水無瀬さんは、うっと言葉につまったようだった。

「別に、もういいんですけどねっ! 
言いたくなければ、それはそれでっ!」

俺はそう言って、ぐっと水を飲み干した。

「ごっ……ごめん」

ようやく水無月さんが、絞り出すような声を出した。

「別にっ! あなたに謝ってもらいたい訳じゃありません。
理由を知りたかっただけです。
でも、言いたくなかったら、それでいいです」

なんか、悔しかった。

俺はこの人に振り回されっぱなしで、
そのくせなんにも話してくれないことが。

「だけど正直ウザいです。もう、俺に構わないでください」

俺はテーブルの上に、財布に入っていた一万円札を
五枚取り出してテーブルの上に叩きつけて、
席を立った。

不意に、水無月社長に手首を掴まれた。

俺の頭にかっと血が上る。

「……何考えてるんですかっ! あんたっ」

その手を振り払おうと、俺は力を入れるけど、
それ以上の力で抑え込まれてしまう。

「くっ痛っ!」

痛みに顔をしかめても、
水無月さんは俺の手首を離そうとはしない。

「勘違いしてんじゃねぇよ! クソガキっ!
買われたのは、てめぇのほうだ」

俺は頭上で簡単に両手を戒められて、壁際に追いやられ、

「くっ!」

その屈辱に、俺は唇を噛み締める。

個室なので、周りからは俺たちが見えない。

「っ!」

その感覚に俺は目を見開いた。

俺の唇が水無月さんに奪われたのだ。

しかも、それは触れるだけの、ひどく優しいキスで……。

なんでこんなときに……?

俺の頭がひどく混乱している。

身体が石のように固まって、抵抗できない。

ただ俺の眦から、涙が流れる。

無言のままに流す俺の涙を見て、
水無月さんがやっぱり無言のままに俺の身体を抱きしめた。

どうしてあんたは、残酷な言葉とは裏腹に、
そんなに大切そうに俺に触れるんだ?












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