女のフリして某企業の社長と見合いをしたのだが、どうやらそいつが俺に一目惚れして、正体知らずにめっちゃ俺に惚気てくるのが、正直うぜぇ。

萌菜加あん

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第十話 嘘つき

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(ああ、私はまた……やらかしてしまったようだ)

脳裏に私が幼いころに壊してしまった、
母の形見のガラス細工の白鳥が過った。

それには決して触れてはいけないと、
わかっていたはずなのに。

「痛ってぇ……」

私は瑞樹に殴られた頬に触れた。

唇の端が切れて、鮮血が滴ったっている。

(そりゃあ、あんなことをしたのだから、当然だろう)

瑞樹の華奢な手首を戒めて、
私は強引に瑞樹の唇を奪った。

瑞樹は……泣いていた。

その光景を思い出して、
私は軽く死にたくなった。

◇◇◇

「俺、仕事しますからっ!」

そう宣言し、一心不乱に仕事に打ち込む俺を、
従業員一同が遠巻きに見守っている。

「一ノ瀬君……いや、瑞樹……せやけど……もう夕飯の時間やで? 
ちょっとくらい休憩したらどないや?」

代表で社長が俺の様子を伺いにきたらしい。

「結構です。昼飯にクソ不味いフィレステーキを死ぬほど食べたので」

取りつく島もない俺の言いように、

「そっ……そうか?
ほんなら、家で待ってるわな」

社長はあっさりと引き下がった。

やがて就業時間の終わりを告げる『蛍の光』の電子音が鳴って
警備員さんが会社の戸締りを始めた。

今はもう、何も考えたくなかった。

目の前の仕事をひたすらに片づけて、

それだけに集中して、何もかもを忘れてしまいたかった。

(なんでたかがキスひとつで、俺は……こんなっ……!)

やっぱりちょっとイラっとする。

「っって……よく考えたら、
これって俺のファーストキスじゃねぇかっ!
どうしてくれんだよっ!
クソ!ボケ!カスッ!」

俺の遠吠えが、深夜の事務所に空しく木霊した。

◇◇◇

「せやから、瑞樹……頼むわ!」

自宅に帰ると、社長こと、俺の叔父が、俺に両手を合わせた。

どうやら水無月さんから連絡があったらしい。

次の日曜日、
俺は女装して水無月さんとデートをしなければならないそうだ。

「瑞樹には、ほんまに申し訳ないと思ってる。
せやけど、この通りや! 
今、水無月社長にそっぽ向かれるわけにはいかんのや!」

叔父は本当に申し訳なさそうに、俺に頭を下げ続けている。

(なんなんだよ、この状況は……)

なんか、もう逆に笑いが込み上げてきた。

「み……瑞樹?」

社長がブチ切れている俺を見て、ただオロオロとしている。

「なんでもありませんよ。
あなたに育ててもらった恩義は、忘れてはいません」

そう呟いて、俺は自室の扉を閉じた。

その瞬間、膝から力が抜け落ちて、
俺はその場に蹲る。

『勘違いしてんじゃねぇよ! クソガキっ!
買われたのは、てめぇのほうだ』

水無月さんに投げつけられた言葉を思い出して、
俺は唇を噛み締める。

「勘違いって……なんだよ」

涙が溢れた。

「買われた……って、あんたは俺をそんなふうに見ていたのか?」

そう呟いて、俺は天を仰ぐ。

『今、水無月社長にそっぽを向かれるわけにはいかんのや!』

叔父の言葉を思い出して、
俺は静かに膝に顔を埋めた。


◇◇◇

「せやけど瑞樹、お前、ほんまに別嬪さんやな」

支度を終えた俺を見て、叔父が心底関心したように言った。

「全然嬉しくありません」

俺は、不愛想丸出しの口調で、叔父にそう言った。

「瑞樹、激渋やがな。いくら別嬪やいうても、女は愛嬌やで?
 ほら、もっとにっこり笑って」

そう言って俺に口角を上げる様に促すが。

「俺、男ですし」

安っぽい愛想笑いをくれてやる気はない。

「では、行ってきます」

そう言って、俺は家を出た。

叔父は衣装コーディネーターに依頼して、
それ用の衣装をいくつか用意した。

メイクは自前だが、雑誌を見たり、動画を観たりして研究した。

「うわぁっ! 今の人見た? すっごい美人」

すれ違う人が、ほうっとため息をついては、俺をチラ見する。

(水無月さんは、俺の顔が好きなんだっけ?)

俺は小さくため息を吐いた。

叔父に告げられた時間通りに、俺は駅前の北口に着いた。

しかしそこにはすでに憔悴しきった様子で、
その場に立ちつくしている水無月さんがいた。

「あのっ花子さんっ!!
瑞樹はっ!? 瑞樹くんはどうしていますか?」

俺の姿を見つけて、駆け寄ってきた水無月さんの視界には、
女装の俺の姿など、微塵も目に入っていないようだ。

「瑞樹くん……ですか?」

俺は少々面食らって目を瞬かせた。

「瑞樹が電話に出ないんです。
どうやらLINEもブロックされてるらしくって
連絡の取りようがないんです」

水無月さんは泣き出さんばかりの形相で、
花子に扮する俺に訴えてくる。

俺はジト目で水無瀬さんを見つめた。

「なんかブロックされるようなことをしたんじゃないですか?」

そう言ってやると、

「それはっ……そうなんですけど……」

水無月さんは辛そうに目を伏せた。

水無月さんの焦燥具合が半端ないので、
不覚にも俺はちょっと不安になった。

(あんた、ちゃんと眠ってねぇだろ!
ちゃんと三食食ってんのか?
その状態で、あれだけの激務をこなしたら、
てめぇ、死んじまうぞ!)

そう怒鳴りつけてやりたかった。

「瑞樹君は……まあ、元気ですよ。
見た目は……ね」

そう言葉を紡ぐ、俺の声が少し震えた。

「元気……なんですね。良かった」

水無月さんが、その言葉に心底ほっとしたような顔をした。

(全然元気じゃねぇよ!クソッ! バカッ! ハゲッ!)

俺は腹の底から込み上げてくる、そんな思いを必死に飲み込んで、

「今は仕事がとても忙しいみたいで、それに没頭して、
なんとかご飯を食べて、なんとか眠って……そんな感じですかね」

なるべく淡々と言葉を紡ぐ。

じゃないとまた、泣いてしまいそうだったから。




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