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第十二話 キスの理由

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ピンポーン!

ピンポンピンポンピンポンピーンポーン!

それは出勤前、
家族で朝食をとっていたときのことである。

清々しい五月の陽光差し込む、このさわやかな朝に、

「どこのクソガキが、ピンポンダッシュかましてけつかるねんっ!」

俺の叔父、こと『おかめ総本舗』の社長が、
軽くブチ切れつつ、玄関に向かった。

ピンポンダッシュとは他人の家のインターホンやら呼び鈴やらを、
鳴らして逃げるという犯罪行為である。

「やあ、社長……いえ、お義父さん。おはようございます」

どうやらピンポンダッシュではなかったようだ。

しかし家族一同はその場に凍り付く。

その声色に、俺たちはピンポンダッシュよりはるかに質の悪い、
魔王の襲来を悟ったのである。

「みっ水無月はんっ! すんまへん、今、花子は家にいてまへんねんっ!!!」

社長が心底焦って、泡を吹きそうになっている。

「いえ、今日は花子さんではなく……そちらの瑞樹君に用がありまして」

この金髪イケメン男こと、
水無月商事代表取締役社長、水無月涼は、

その手にクソでっかい薔薇の花束を抱え、
キッと俺を見据えた。

「なっ……なんだよ」

その眼差しと迫力に、不覚にも俺はちょっと怯んでしまった。

「今日は君に謝りに来た。
この間はすまなかった。
君にひどいことを言った。
どうか許して欲しい」

そう言って頭を下げた水無月さんに、
社長が血相を変える。

「ひぃぃぃぃ! やめておくれやす。
頭を上げておくれやす!
みっ瑞樹、何を言われたかは知らんけど、
もうええやろ? なっ? なっ?
天下の水無月商事の社長はんが、
こうしてわざわざうちに謝りに来てくださったんやで?
無下にしたら罰が当たりまっせ?
なっ? なっ?」

社長が必死の形相で、俺に訴えかけてくる。

「それは……もう……いいです」

俺がそうポツリと呟くと、

「はぁ~良かった~」

水無月さんがその場にしゃがみこんだ。

「許して貰えなかったらどうしようって、
どんだけ悩みぬいたことか……」

心なしか、水無月さんが少し涙ぐんでいた。

「LINEのブロック、解除して欲しいんだけど」

そう言われて、
俺はちょっと複雑な気持ちになった。

「瑞樹、ほれ、お前のスマホや。
LINEのブロック、解除しい」

俺の気持ちなどお構いなしに、
ホイホイと社長が奥から俺のスマホを持ってきた。

所詮、俺の意志など、最初からどうでもいいのだ。

そんな子供じみた感傷とともに、
それでもそんな俺のために、わざわざ花束を抱えて謝りに来てくれた
水無月さんに、ちょっとほっこりとしないでもない。

「きょ……今日の……ちゅ……昼食を……一緒にとりませんか? 瑞樹君」

少し上ずった声色で、水無月さんがぎこちなく言葉を発した。

「なっ……なんで?」

俺は身構える。

この間の失言については、許したが、
キッ……キスの件は、俺まだ引きずってるからな?

「そっそれは、その……新店舗の……内装の最終案が……だな……」

水無月さんが何かごにょごにょ言っている。

「いっいいい行ってこい瑞樹、会社のことは気にせんでよろしい。
後のことはなんとでもなるし」

なぜだか社長の声も、ひどく上ずっている。

◇◇◇

ポルシェのケイマンの助手席に座り、
俺は移り行く景色をぼんやりと眺める。

「やっぱりまだ……怒ってる‥…よな? 瑞樹……くん」

そんな俺のことを、腫物にでも触れるかのように、
かなりビビりながら、水無月さんが様子を伺っている。

「さすがに俺も……もう、怒っては……いません。
でも……なんか、もやもやしてます」

俺の発言に、なんか水無月さんが

「そっそりゃあ、そう、だろうね」

すでに挙動不審気味に視線を泳がせている。

「あのとき俺も、水無月さんのことを『ウザい』って言っちゃったから、
それでムカついて、水無月さんがああいうことを言っちゃったっていうのは、
理解できるんです。だけど……」

一瞬、言おうかどうか迷った。
だけど……。

「どうして俺にキスしたんですか?」

その問いに、水無月さんが急ブレーキを踏んだ。

「ひっ!」

俺の喉に悲鳴が凍り付いた。

危うくぶつかりそうになった、後方のプリウスから罵声が飛んでくる。

しかしそんな罵声も、どうやら水無月さんの耳には入っていないらしい。

「聞きたい? 瑞樹君、その理由を、君は本当に聞きたいのかい?」

真顔でそう問われて、俺は目を瞬かせる。

「いえ……やっぱり、やめておきます……」

俺は水無月さんから目を逸らした。

なんか開けてはいけないパンドラの箱的な?
もう後戻りができないような、
そんな感じがするんだよな。

「意外と意気地がないんだね」

水無月さんがそんな俺を見て、クスクスと笑っている。

ちょっとイラっとしないでもない。

「ったく、あんたにとっては冗談のつもりでも、
俺にとってはファーストキスだったんだからなっ!」

俺の言葉に、水無瀬さんがまた急ブレーキを踏んだ。

「ぎゃあっ!」

俺は悲鳴を上げる。

水無月さんはなぜだか唇を押さえて、真っ赤になって震えている。

「超ラッキー……」

何やらよく分からないことを呟いている。

「瑞樹……あのさ、
私はキスの件については、君に謝らないよ。
なにせあのキスには、私のありったけの心を込めたからね。
それをどう感じるかは、君次第だと思うんだ」

なんか、わかりそうで、わからない、相手の手の内が酷くもどかしくて、
それでいて、知るのが怖くて、逃げてる自分が、確かにいる。




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