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第二十二話 瑞樹のセカンドキス

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目の前に魔王がいる。

俺はそう確信した。

(恋愛偏差値が……違い過ぎるっ!!!)

俺は現状を悟り、
心底震え慄いた。

そもそもこの人を相手に、
ライラックの花のブーケごときを手渡して告白するなんて、

ラスボス魔王に対して、
ひのきの棒を装備して打ちかかるようなものだ。

俺は無力感に苛まれ、その場に崩れ落ちる。

「もっ……申し訳ありません。
しょ……初心者なんですっ! 
これが精いっぱいなんですっ!!」

軽く泣きが入った状態で、許しを請うと、

「もうっ! 仕方がないなぁ、瑞樹は」

今日はめずらしく、あっさりと魔王が引き下がった。

当の魔王……こと水無月さんは意外と上機嫌で、
俺の渡したライラックの花を生ける花瓶を選んでいる。

「ライラックかぁ、可愛いな。うん、可愛い。
どの花瓶に生けようか? 瑞樹選んで。
おっとその前にスマホで撮影して……と」

意外とチョロいのか? この人。

「機嫌…‥いいっすね」

俺は恐る恐る魔王の様子を伺った。

「あっ‥…当たり前だろう。
そりゃあ、そんなもん。
他でもない瑞樹から、愛らしいこのライラックの花を手渡されて
『俺の心です』なんて言われた日には、
無駄に舞い上がってしまうだろう?
ああ、ご近所中をスキップして、
今日の告白を自慢して回りたいくらいだ」

水無月さんの花束をぎゅっと胸に抱いて、頬を染めるその姿は、
恋する乙女そのものだ。

「まったくもう、
瑞樹はこの私をキュン死させるつもりか?」

鼻血を拭け、金髪っ!
興奮しすぎだ。

いや、でも、ひょっとして
この人実は俺の同じで、あんまり恋愛偏差値高くない?

そんな気がしないでもない。

でもさあ、これだけ喜んでくれたのなら、
すごく恥ずかしかったけど、告白して良かったなって素直に思えた。

「あなたに喜んで貰えたのなら、
俺はとても嬉しい……です」

俺の言葉に水無月さんが、
なぜだか真っ赤になって撃沈している。

◇◇◇

いつものように、夕食を終えて、
風呂に入り、就寝のために部屋に戻ろうとしたところを

「おいっ! ちょっと待て!」

魔王に呼び止められる。

「ひっ!」

パジャマの襟首を引っ掴まれて、
俺は小さく悲鳴を上げた。

「ひっ! じゃねぇだろ、ひっ! じゃ。
お前何しれっと部屋に戻ろうとしてるんだ?」

魔王の瞳孔が開いている。

「瑞樹よ、お前は晴れて恋人同士となった、
私たちの関係を深めようとは、思わないのか?」

水無月さんの言葉に、
俺は高速で瞬きを繰り返す。

「瑞樹お前、ひょっとして私に興味が無いのか?」

そう問われて、
俺は腹を括った。

「興味が無いことは、無いです」

俺は水無月さんをきっと見据えた。

「ほう、だったら、来いよ!」

水無月さんが煽って寄こす。

「いつまで初心者だ、何だっつって、逃げ回るつもりだ?
あいにく私はそんなに気が長いほうではない。
待ってやれるのは、このギブスが取れるまでだぞ?
ギブスが取れたら、色々やるぞ?」

水無月さんの本気の声色に、

「いっ…‥色々って‥‥‥???」

俺は震え慄く。

「安心しろ、ちゃんと瑞樹がパニクらないように順序を踏むから。
まずは私に慣れろ。
腕がこの状態だと、私が瑞樹に手を出すことは無理だ。
じゃあ、瑞樹が私に手を出せばいいのだと思わないか?」

水無月さんが幼い子を説き伏せる様に、
俺に言い聞かせる。

「おっ‥…俺が水無月さんに……手を……出すんですか?」

その絵面がうまく想像できなくて、
俺はひたすら目を瞬かせる。

寝室はまだはやいと、言われ、
俺たちはリビングの床の上に、例のごとく正座している。

「さあ、どこからでも、かかってきなさい。瑞樹君」

柔道の乱取りじゃねぇんだから。

っていうか、俺はこの人に一分の隙も見出せねぇっ!!!
猛者過ぎんだろっ!!!

「唇っ! しっ……失礼します」

そう言って俺は、涙目になりながら、水無月さんの肩に手をかけると、
水無月さんは静かに目を閉じた。

長い睫毛、すっと通った鼻筋……薄く形の良い唇。

すごく綺麗だなと思う。

普通に生活をしていると、忘れがちだが、
この人は日本有数の総合商社の社長で、

俺は‥‥‥吹けば飛ぶような、家族経営の和菓子屋の社員で……。

「俺なんかが……触れて……いいの?」

か細い声で、そう問うと

「触れてみ? こわがらないで」

そう言って水無月さんが俺を抱き寄せた。

「こわい……ですよ。めちゃくちゃ……こわい……です」

そう言葉を紡ぐ俺の声が、
情けない程に震えてしまった。

「なんでか……わかり……ますか?」

感情が高ぶり過ぎて、涙が溢れてしまった。

俺を見つめる、水無月さんのアクアブルーの瞳が、
少し細められた。

「あなたが…‥好き……だから……」

次の瞬間、俺は水無月さんに唇を奪われた。

「ふごっ! ふごごごごごごごごっ!!」

慌てて俺は、水無月さんの肩を突っぱねた。

水無月さんは軽く頭を振って、
それからようやく俺を見た。

「ごっ‥‥‥ごめんっ! 瑞樹。
一瞬理性が飛んでしまった」

水無月さん自身も、
その行動にショックを受けているようだった。

軽く信じられないといったように呆けている。

だけど俺も実はそれどころじゃ、ないんだ。

「うん? どうした? 瑞樹」

水無月さんが心配気に俺を見つめた。

「こ……腰が抜けて、立てません」

俺は涙目で、水無月さんのパジャマの裾を握った。



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