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②計画始動
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1926年9月30日。
かの震災から3年が経ちついに海軍の新規建造や改装が可能となった。
それに伴い伏見宮海軍軍令部総長は②計画の策定を各方面に指令し翌月の23日に大方まとまった。
まず改装については現在改装中の扶桑型3隻はもちろんのこと、駆逐艦や軽巡の主砲を両用砲に1929年までに換装すること、そしてその両用砲お戦艦にも搭載することとした。
そして新規建造艦は以下の通りとなった。
空母は1924年に出来た設計図を改良した蒼龍型であった。
蒼龍型は2段の格納庫を持ち半分は開放型だった。
これに露天繋止の分も合わせて搭載機は補用機も含めて78機と扶桑型に迫る搭載機数となった
また対空装備も40口径12.7㎝連装高角砲を片舷に4基搭載し25㎜機銃も片舷に24挺装備していた。
速力は29ノットと当初の計画よりかなり遅くなったものの、現在改装中の扶桑型の推定速力が28ノットなので問題とは思われなかった。
建造予定は2隻となった。
重巡は艦後部には砲塔設置を行わずカタパルトを装備した利根型だった。
利根型は南雲が強く主張した艦であり夜襲を行う際の司令船のような立ち位置を期待された。
もちろん夜戦に限らず索敵や対潜艦作戦と幅広い用途で使用可能な重巡だった。
こちらも2隻建造が決定された。
駆逐艦については主砲を両用砲とした朝潮型を12隻建造。
潜水艦は今回は新規建造を行わないことになった。
現在開発中の新型潜水艦のための資金を確保するためだった。
その他補助艦も30隻ほど建造されることとなり建造費は4億6819万円という規模のものになった。
これとは別に陸海共同ではあるものの、研究費としても1億円ほどの予算が計上されていた。
この②計画は30日の帝国議会で承認され翌月じゃら造船所は慌ただしく動き始めたのだった。
②計画が無事に議会を通過した翌日。
南雲の姿は横須賀海軍工廠の一角にあった。
「あと少し早かったら予算にねじ込めたのだがな。」
南雲は恨めしそうに言う。
「いえ、今はやっと試作艦ができた状態です。まだ量産には程遠いです。」
技師は南雲を誘導しながら歩いていく。
暗く湿ったトンネルを抜けるとそこには1隻の潜水艦の姿があった。
「あれが試作2号潜水艦です。」
「ほう、これか。」
南雲から期待交じりの声が漏れた。
この試作2号潜水艦は水中高速潜水艦だった。
従来の潜水艦は潜航中よりも浮上中の方が速力が出せる。
それを浮上中の速力を犠牲にしても水中での速力を上昇させたのだ。
その結果水中では18ノットでの航行が可能となった。
「この艦がこれからの潜水艦の基本となるだろう。」
その言葉に技師たちも頷いた。
かの震災から3年が経ちついに海軍の新規建造や改装が可能となった。
それに伴い伏見宮海軍軍令部総長は②計画の策定を各方面に指令し翌月の23日に大方まとまった。
まず改装については現在改装中の扶桑型3隻はもちろんのこと、駆逐艦や軽巡の主砲を両用砲に1929年までに換装すること、そしてその両用砲お戦艦にも搭載することとした。
そして新規建造艦は以下の通りとなった。
空母は1924年に出来た設計図を改良した蒼龍型であった。
蒼龍型は2段の格納庫を持ち半分は開放型だった。
これに露天繋止の分も合わせて搭載機は補用機も含めて78機と扶桑型に迫る搭載機数となった
また対空装備も40口径12.7㎝連装高角砲を片舷に4基搭載し25㎜機銃も片舷に24挺装備していた。
速力は29ノットと当初の計画よりかなり遅くなったものの、現在改装中の扶桑型の推定速力が28ノットなので問題とは思われなかった。
建造予定は2隻となった。
重巡は艦後部には砲塔設置を行わずカタパルトを装備した利根型だった。
利根型は南雲が強く主張した艦であり夜襲を行う際の司令船のような立ち位置を期待された。
もちろん夜戦に限らず索敵や対潜艦作戦と幅広い用途で使用可能な重巡だった。
こちらも2隻建造が決定された。
駆逐艦については主砲を両用砲とした朝潮型を12隻建造。
潜水艦は今回は新規建造を行わないことになった。
現在開発中の新型潜水艦のための資金を確保するためだった。
その他補助艦も30隻ほど建造されることとなり建造費は4億6819万円という規模のものになった。
これとは別に陸海共同ではあるものの、研究費としても1億円ほどの予算が計上されていた。
この②計画は30日の帝国議会で承認され翌月じゃら造船所は慌ただしく動き始めたのだった。
②計画が無事に議会を通過した翌日。
南雲の姿は横須賀海軍工廠の一角にあった。
「あと少し早かったら予算にねじ込めたのだがな。」
南雲は恨めしそうに言う。
「いえ、今はやっと試作艦ができた状態です。まだ量産には程遠いです。」
技師は南雲を誘導しながら歩いていく。
暗く湿ったトンネルを抜けるとそこには1隻の潜水艦の姿があった。
「あれが試作2号潜水艦です。」
「ほう、これか。」
南雲から期待交じりの声が漏れた。
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従来の潜水艦は潜航中よりも浮上中の方が速力が出せる。
それを浮上中の速力を犠牲にしても水中での速力を上昇させたのだ。
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「この艦がこれからの潜水艦の基本となるだろう。」
その言葉に技師たちも頷いた。
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